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まゆ自叙伝

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わたしが生まれてから大学を辞めて宿をやるまでを自叙伝にまとめます
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2021年12月の記事一覧

(7)4000枚ポスター貼って0円で地球一周

(7)4000枚ポスター貼って0円で地球一周

ポスター貼りに命をかけてた49日間
そうしてわたしは21歳の時、大学3年目を1年休学し、0円でピースボートに乗るためにポスター貼りを始めた。ポスター貼りというのは、ポスターを貼った枚数に応じで船の船賃が割引されるというボランティア制度である。時間はあるけどお金がない若者はみなこのボランティア制度を使って一生懸命ポスターを貼り、割引を貯めて安く船に乗っている。

初めは大学が函館だったので、ひとり孤

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(6)国際協力×教育という軸に決めた高校生

(6)国際協力×教育という軸に決めた高校生

わたしは、中学の頃英語の先生に恵まれ、英語がだいすきになった。そして英語という共通言語がひとつあれば、肌の色が違くても、瞳の色が違くても、文化や宗教が違くても、想いを伝え合える、心つながることができることに感動した。

そしてもっと英語を話せるようになりたい、異文化に触れたいと思い、商業高校の中の国際教養学部へと入学した。そこは、オーストラリア語学研修や異文化理解に特化した取り組みがたくさんあった

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(5)正義感の小学。人目を気にして生きたってどうせ嫌われるんじゃんと吹っ切れた中学。

(5)正義感の小学。人目を気にして生きたってどうせ嫌われるんじゃんと吹っ切れた中学。

小学生のころは、ずっと一緒にいた親友の子がいじめられやすくって、わたしは「いじめられている子と一緒にいたら、次は自分がターゲットになる」という暗黙の了解を、知っていながら、それでもその親友の子と一緒にいた。

正義感強く強気で毒舌な小学生だったと思う。
それだからか、わたしはいじめられっ子の親友の子と一緒にい続けても、なぜかわたしがいじめのターゲットになることはなかった。

ちょっと度の過ぎた嫌が

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(4)人を傷つける人がいちばん傷ついている

(4)人を傷つける人がいちばん傷ついている

ある日、おばあちゃんが真夜中に、私とお母さんと母の彼氏が住んでいる家を見張っていた時のこと。夜中の2時とか3時とかにお母さんが彼氏と帰ってきたので、おばあちゃんが「あんた茉優はどうしたの」って聞いたらお母さんは「家の中にいる」と答えた。

おばあちゃんが「茉優が起きたらどうするの」と聞くとお母さんは「起きないもん」って答え、それにおばあちゃんがブチ切れて「あんたは母親失格です!茉優はうちが預かりま

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(3)わたしにとっての「言葉」

(3)わたしにとっての「言葉」

私は小さい頃、言葉を話さない子どもだったのだとおばあちゃんからよく聞いていた。

保育園に入ってすぐの頃、保育園の先生たちや家族・親戚たちがわたしを見て、「この子は言葉を知らずに生まれてきたんじゃないか」って話してたんだよ、とおばあちゃんが教えてくれた。

わたしは、言葉がうまくない人、言葉にきつさがある人、言葉で人を刺してしまう人、言葉で人を殴ってしまう人というのは、それだけ大きなこころの傷が、

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(2)愛されているかどうかは、比較であり競争だった

(2)愛されているかどうかは、比較であり競争だった

両親が離婚し、私が小・中学生の頃は週末だけお兄ちゃんが、私とお母さんが二人で住んでいるアパートに泊まりに来るという習慣があった。お母さんは離婚の際に、お兄ちゃんのことを、一緒に連れていきたかったけど連れて帰ってこれなかったこと、お母さん自身もお兄ちゃんに手をあげてしまう時があったことから、お母さんはお兄ちゃんに対して罪滅ぼしみたいな罪悪感があった。 

だから、お兄ちゃんが週末に遊びに来たときお母

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(1)生い立ち

(1)生い立ち

私は1995年、新潟市に生まれた。
3つ上のお兄ちゃんがいる。
わたしのお母さんがお兄ちゃんを妊娠したから両親は結婚した。だが、のちにお兄ちゃんのことを「この子は俺の子じゃない。」と父が言い出した。父は元々気性が荒かったが、きっとそれがきっかけで家庭内には父から母に対する暴力があった。父の主張が事実かどうかはわたしにはわからないけど、とにかく、緊張、怒り、憎しみ、恐怖、そんなものが家庭の中を渦巻い

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