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M-1グランプリ2022に出場した話

 M-1グランプリ2023が既に始まっていて、いまは1回戦がいよいよ終盤を迎えているところだ。現在は活動休止中なのだけれど、昨年の私はお笑いコンビを組んで漫才に取り組んでいて、M-1グランプリ2022にも出場した。

 相方は高校からの知り合いで、私が「人生変えてやる!」と勢い込んで誘ったら乗ってくれた。その年の1月1日、他にも数人をまじえ地元の居酒屋で飲んでいたときのことだった。前月にM-1グランプリ2021のテレビ放送を観ていた私は途中でふと「出たいな」と思い立ち、今度会ったときに彼を誘おうと決めていたのだ。

 M-1は子どものころから毎年のようにテレビで観ていたけれど、それまでは自分が出場するなんて思ってもみなかった。しかし出ようと思えば難しいことなんてなにもない。受付期間中にエントリー用紙に必要事項を記入してコンビの写真を同封のうえ郵送し、あとは当日に会場に行ってエントリー料の2,000円を払い、ステージに出て行くだけだ。

 世の中の大抵のことはそんなものかも知れない。私達はきっと知らず知らずのうちにたくさんの可能性に溝をつくっているけれど、実はかんたんに跳び越えられる溝ばかりなのだろう。始めるのは容易い。ただ、その先には往々にして壁がある。壁にぶつからないための溝なのだ。

 人生で初めて出場したM-1グランプリ。私が跳び越えた溝とぶつかった壁を記録しておく。


1.本番前

 私が出場した1回戦の会場は東京、シダックスカルチャーホールAだった。渋谷駅のハチ公前からスクランブル交差点を渡ってタワレコの方に進み、タワレコを越えて、その先のニトリをさらに越えた先にある建物だ。

 私と相方は会場入りの時刻よりも2時間ほど早くハチ公前で集合し、カラオケに入ってネタ合わせをした。これは単なる最終確認、あるいは本番前に発声しておくために過ぎない。

 1月1日にコンビを組んでから半年以上、ネタをつくっては休日や平日の仕事終わりに集まってネタ合わせをし、4月からは都内のエントリーライブ(芸人がエントリー料を支払って出場するお笑いライブ)にも週に1~2回のペースで出場し、できる限りネタを磨いてきていた。大ウケも大スベリも両方経験した。初めて大スベリしたときは酷かった。お客さんが3、4人しかいなくて、しかもイヤホンをしていたり雑誌を読んでいたり寝ていたりするような環境で、笑い声なんてひとつもなく、ネタ中に冷房の音がやたらと気になった。どうにか首の皮一枚繋がったギリギリの精神力で出番を終えると朦朧とした意識のまま会場から脱兎のごとく逃げ出してカラオケに入って『WOW WAR TONIGHT~時には起こせよムーヴメント』を熱唱後にぶっ倒れて相方には苦労を掛けた。

 たった半年ちょっとだけれど、書ききれないくらい本当に色々なことがあった。だからM-1当日でもあまり緊張はなく、むしろいつものライブ前と変わらない心地だった。そう思っていると、ふとした瞬間に「いよいよかあ」と感慨深い気分も持ち上がって、しかしそれさえ客観視できている自分もいたりして、こう書くとやっぱり普通ではなかったのかも知れない。とにかくこの日に懸けてきたのは確かなのだ。

 会場入りの時刻が迫り、私達は会場にやって来た。前年のチャンピオンである錦鯉さんの優勝の瞬間を切り取ったポスターが貼ってある。建物に入ってすぐの階段をのぼると受付があって、受付を済ませるとエントリーナンバーの書かれたステッカーを渡され、胸元に貼るよう指示される。それからエレベーターに乗り、八階で下りる。ひとつひとつの行動から、M-1に出場しているんだという実感が湧いて楽しくなる。

 お客さんは正面の入口からホール内(客席)に入るが、出場芸人は左の通路に進む。通路上にパーテーションが立てられていて、その奥が出番を控える芸人の待合スペースだ。壁際と窓際で向かい合うようにパイプ椅子が並んでいる。みんな衣装に着替えたり、壁に向かってひそひそとネタ合わせしていたり、雑談していたり、スマホをいじっていたり、目を瞑って精神統一していたりする。ホワイトボードにはその日の香盤や審査員の名前なんかが貼られている。

 待っている間、はじめは相方と雑談をしていたのだけれど、相方がいつになく真剣に台本(LINEのノート機能で管理している)を読み返し始めてからは、私もネタの内容を頭の中で反芻したり、周りの人達を眺めたりして過ごした。ここでも緊張はなかったけれど、たった2分半にも満たない漫才をするだけなのに、映画館で2時間以上の映画を観る前よりもトイレは気にしていた。もう一度行っておこうかな、もう呼ばれちゃうかな等々。

 そして出番が近づくとスタッフに呼び出されて誘導されて、いよいよ舞台袖に移動する。ステージで今まさに漫才をしている芸人の声が聞こえる。お客さんの笑い声は聞こえたり聞こえなかったりする。舞台袖は想像していたほど張り詰めた空気ではない。まだ1回戦だからだろう。なんだか健康診断でレントゲンや問診の順番待ちをしているときの空気感に近いと思った。事務的に感じられたのである。

 考えてみれば、何組もの芸人が絶え間なく最長2分半のネタを入れ代わり立ち代わり披露していくのは、回転ずしみたいに流れ作業の観がある。問題は、そのなかで手に取りたくなる皿になれるかどうかだ。

 私達の出番が近づいてくる。さっきから他のコンビが全然ウケていないが、私はそれでも良いと思った。この空気で爆笑を搔っ攫えば通過は堅い。

 私達は次の次の次だ。すると、さすがに緊張してくる。次の次。打って変わってめちゃくちゃ緊張してくる。次。さいわいにも丁度良い緊張感に落ち着く。もうやるしかないと諦めがついたのだろう。相方と何度も顔を見合わせた。まあひとりでやるわけじゃないのだ。肩を軽く叩き合ったりもした。

 私達のコンビ名が呼ばれた。

2.本番

 ステージに飛び出していった途端に、目に飛び込んできた光景。映画館みたく後ろに行くほど高くなるように段となった客席が扇状に広がっていて、いっぱいにお客さんが座っている。

 シダックスカルチャーホールの固定席は127席もある。満席ではなかっただろうが、それでもこれまで経験してきた地下ライブとは比較にならない規模だ。この人数にネタを観てもらえるというのは、それだけで私の高揚感を一挙に煽った。結果的にそれは抜群に上手く作用して、ベストなパフォーマンスを引き出した。

 披露したのは、歯医者に親知らずを抜きに行った私が口から心臓を抜かれてしまい、そこから私の身体の秘密や歯医者の陰謀が絡み合い展開していく、私達が得意とするストーリー仕立てのネタだ。

 どかん!どかん!どかん!どかん!どかーーーん!

 とにかくウケまくった。

〈ここでこういうウケ方をするのが理想〉という、まさにそのかたちどおりに全箇所がバッチリと計算どおり、いや計算以上に嵌っていた。

 私はネタ中には客席をあまり見ないのだけれど、それでも途中、ひとりのお客さんと一瞬だけ目が合った。若い女性のお客さんだったが、若いといっても成人しているのは明らかだった。しかしその顔はキラキラと音が聞こえそうなくらい輝いていて、両手を胸の前で組み、「わあ!」のかたちに口を開けて、まるで小学4年生のクリスマスの朝みたいに私達を観ていた。

 会場にいる全員が我を忘れて釘付けになってくれているのを感じた。

 我を忘れていたのは、私達も一緒だった。もう頭では考えていなかった。間もテンポも動きも声量も、すべて意識しないまま完璧に調整されていた。

 最初から少なくなかった笑いの量は、終盤へ向かうにつれてさらにグングングングンと増えていった。最後のオチに至ったときには爆笑に混じって「おおーーーー!」という感嘆の声が会場に響き渡った。万雷の拍手を背に私達はステージを後にした。

3.本番後

 舞台袖にはける。振り返ると相方も確かな手応えとそれによる興奮で笑っている。私は「とりあえず出よう」と云って、二人してそそくさと帰りのエレベーターに乗り込む。エレベーターの中で私達二人だけとなって、そこで私は床に両膝を着き「……ぃよっしゃぁぁぁぁあぁぁ」と声を振り絞った。

 間違いなく過去最高にウケた。過去最高にウケてほしい場所で。

 外に出て昼間の渋谷を駅に向かって歩きながら、私達は熱に浮かされたままだった。相方は「さすが」「隣で観ていても、今までで一番のパフォーマンスだった」と云って私の労をねぎらい、私は相方に感謝を伝えた。

 相方は私と違って、ネタ中に客席を結構見る。相方によると、客席の中央には見るからにいぶし銀のおやじが鎮座していたらしい。腕を組んで、口をへの字に引き結び、まさに頑固一徹。相方はひと目見て、そのおやじこそがM-1のヌシなのだと悟った。おやじは滅多に笑うことがない。おやじは他のお客さんと違って、笑いに来ているのではなく見極めに来ている。この国のお笑いの歴史を最初から全部見てきたおやじ。生き証人。彼が見出した芸人は必ず名声を欲しいままにした。

 そのおやじが最後、私達のネタを観てニヤリと口の端を上げたと云う。

 これで1回戦は通過だろう。あのウケの量だし、それよりも何よりも、いぶし銀のおやじが笑ったのだ。私と相方は互いに「おめでとう」と云い合った。もちろんここで満足していてはいけない。まだ1回戦。M-1は始まったばかりである。勝って兜の緒を締めよ。

 私も相方も午前休を取得していたが午後は仕事だったので、渋谷駅で解散した。私は会社に行って、なかなか落ち着けない午後を過ごした。とはいえ通過は確信していたし、既に次の2回戦でやるネタのことを考えていた。

 そして夜になると結果が発表された。結果は判っている。単なる確認作業のつもりで私はそれを見た。私達は落ちていた。

 えーーーーーーー!!!!????

 あれだけウケていたのに不思議で仕方なかったが、まあ私達の順番あたりが低調だっただけで全体を通せばあのレベルのウケ方が平均だったのかも知れないし、ウケていてもネタの内容がコンプライアンス等の観点からよろしくなかったのかも知れないし、審査員がみんなトイレ休憩とか煙草休憩に出ていて評価欄がブランクだったのかも知れないし、本当は死ぬほどスベッていたせいで私と相方の心理が自己防衛のために大爆笑を巻き起こしているという幻覚を見せていただけなのかも知れない。

 とにかく私達は2回戦には進めずに敗れ去った。

 だが年末になってテレビ放送された決勝は、それでも、と云うよりいつも以上に楽しんで観ることができた。なにせ自分が参加した大会なのだ。

 当然ながら決勝で漫才を披露したコンビは皆さん本当に面白くて、自分もやったからこそ、その凄まじさがよく判った。それを観ていて、私達は1回戦を突破しても、その後落ちて決勝には行けなかっただろうと思った。自分達がそこに並ぶ姿をイメージできなかった。

 だから納得している。M-1の壁は高かった。

 しかし諦めたのではない。底が見えたものには興味を失うけれど、お笑いはまったく底知れない世界だ。必ずまた挑戦したいと思っている。

 壁を破るのか、超えるのか、

 あるいは壁にぶち当たっている姿すら笑いに変えられるかも知れない。

以上

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