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アイルランドの劇作家たち Vol.1 ジョン・ミリントン・シング

これはおたくが推しについて書いている推しの応援記事です。
初めましての方、アイルランド演劇初心者の方はVol.0をみてもらえると。



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John Millington Synge(1871-1909)

誰?と思ってしまった人もいるかもしれない。日本ではかなりマイナーな人で、逆にご存知の方とは積極的に仲良くなりたいくらい。が、アイルランドで不動の人気を誇る劇作家であるし、リアルタイムの日本では菊池寛や芥川龍之介らが影響を受けた。とくに菊池寛は熱狂的なシングファンだったっぽい。人気の具合は感覚的には、日本でいう つかこうへい くらいかな(あくまで人気度の肌感ですよ)。シングの影響を受けた人は数知れず、プロアマ問わず上演も多い。演劇企画CaL第一回企画でも彼の作品を上演したので、まずはこの人から紹介するしかないでしょ。

ジョン・ミリントン・シングは首都ダブリン生まれ。1902年から戯曲を書き始め、1909年に亡くなるまでに計6本(+幻の処女作)の戯曲、それから紀行文2冊といくつかの詩を書いた。もともと病弱だったようで若くして亡くなり、かつたったのこれだけの作品しかないのに、非凡な文章で多くの作家に大きな影響を与えた、英語演劇の世界でもアイルランド文学の世界でもめちゃくちゃ有名な人である。


シングの戯曲と時代背景

シングの何がそんなにすごいかというと、まずはなによりも「詩的で音楽的な台詞」を書いたということ。アイルランドの人たちはその方言をもともと、「歌うように話す」とよく言われる(節があるアクセントもそうだし、言葉のチョイスも詩的な人が多い)のだけど、この土着の人々の話し方を見事に舞台上に引きあげたのがシングだった。ちなむと韻文じゃなくて散文なので、魅力は「言い回し」そのもの。それから、シングは「アイルランドのリアル」を最初に描いた戯曲を書いた。ジャンルとしては「農民劇」と言われて、まあざっくり言うと地元の農家とか漁師とか、もしくはそれ以下の浮浪者とか乞食とか、身分が低いけど人口比的によく見る人たちのことを、実際の日々から切り取ってきたように描いたのである。

シングの生きた時代は、長らくイギリスの支配下にあったアイルランドで、ようやく独立の兆しが見えてきた、くらいで、シングは活性化する独立運動を見る前に亡くなる。だからか、あんまりナショナリズムとかイギリスにからんだ作品はない。アイルランドの独立背景は日本の江戸幕末くらいむちゃくちゃいろいろあって話すなら丸一日かかるし、独立のポイントというのもかなり複雑なので明確ではない。とりあえずターニングポイントになったイースター蜂起という反乱が1916年に起きた、ということだけ書いておくが、とにかくそれまではアイルランド島内で独自の創作みたいなものは基本的に許されてなくて、シングの時代以前の作家たちはみなロンドンに渡って戯曲を書いていたので、アイルランド人の、アイルランド人による、アイルランド人のための演劇というのがそもそもなかったのだ。

独立の歴史が気になる人はウィキペディアに行ってもらうか、もしくはとりあえずマイケル・コリンズという映画を観るのが良いかと。リンクのはDVDだけどサブスクもやってるはず。


シングの人生

さてシングは短い人生ながら執筆をはじめたのはかなり遅く、30歳を越えてからだった(37歳で亡くなる)。しかし最期の10年くらいが彼にとっては怒涛の才能開花祭りだった。そもそも筆を執るきっかけ自体が運命的というか物語的というか。少し彼の人生の話をしよう。

シングはカトリック大国のアイルランドにおいてプロテスタントの生まれである。土地も持っていてまあまあお金持ちの家だった。これは他の作家に対しても何度も言うことになるだろうが、村社会な島国で、社会的マイノリティの家に生まれるということ自体がどれだけデカかったか。同じく村社会な島国に生きるわたしたちなら想像に難くないだろう、アイルランドでの「プロテスタント」という存在は、日本でいう「外人」みたいなものだ。もちろん日本もアイルランドも少しずつ少しずつ変わってきているが、こういう生きづらさっていうのは大陸の人には共感しづらいのではないかと思う。

とにかく一家はエリート貴族みたいな感じで、兄弟も多く皆が立派なエリートプロテスタントとして育った中、末子ジョン・ミリントン・シングだけはプロテスタント社会が嫌いで、カトリック文化とケルト文化の融合したアイルランドの伝統とか市井の人々とかの方が好きだったらしい。

シングはもともとずっと音楽を学んでおり、夢は音楽家だった。ダブリンで大学卒業後、夢を追ってドイツに留学。ここで現実に直面し挫折、夢破れ、しょうがないのでとりあえずもともと嗜んでいた文学を学ぶ。しばらくイタリアやフランスなど大陸でふらふらしていたところ、ついに1896年、運命の出会いが!

パリでウィリアム・バトラー・イェイツと出会い、彼の「君はアラン諸島に行って本を書きなさい」という神のお告げみたいだが本当に言われたこのアドバイスに順に従い、1898年シングはアラン諸島へ向かう。まあ夢破れてだいぶ廃れてた時期だったはずなので運命の導き的なこういう話は個人的に分からんでもない。しかしこれがシングにとってまさに運命だった。この島々と島民との出会いがシングを変えたのだ。

アラン諸島

アラン諸島というのは、上の地図のオレンジで囲った三つの島のことで、キリスト教が伝わる前の古来からのケルト文化などが一番根強く残っている場所である。わたしも昨年訪れたのだが、のどかですべてが自然と共存していて妖精がいそうな感じ。言葉にするとなんかふわっとする気もするが本当にそうなのだ。

ここでわたしが訪ねた際のアラン諸島はイニシュモア島の写真を。

イニシュモア島3 吉平

基本ずっとこんな景色。未だに文明的なものはほとんどなく(まあスマホはさすがにみんな持ってるけど)、電柱があってかろうじてたまに車を見るくらいで、あとはほんとに何にもない。しかしちゃんと住んでる人はいる。空気そのものになんか妖力があるみたいな、そんなところ。

このアラン諸島での日々をしたためたのが『アラン島』という紀行文で、これは文学作品としてかなり評価が高い。島で出会った人々と風景と日常を直接的に、いきいきと描いている。人の名前なんかはさすがに変えたらしいが、それ以外は一切嘘偽りなく脚色もなく書いたそうだ。その嘘偽りないありのままの姿がうつくしい。きっとアラン島に行ったことのない人でもその風景が見えてしまう。たとえばこんな感じ。

 立ちこめる霧におおわれて、一週間になろうとしている。(中略)
 初めのうち、人々は、周囲の荒凉たる気配をさして気にしていない。だが二、三日もたつと、台所での彼らの話し声は低くなってゆき、豚や牛についての果てしない会話も、いつしか幽霊屋敷で言葉を交わし合っている人々の囁き声のように、沈んでいく。
 雨は降り続いている。しかし今夜は、何人かの若者が台所で漁網の手入れをやっていた。やがて、密造酒〔ポティーン〕が隠し場所から持ち出されてきて、栓が抜かれた。(『シング選集[紀行編]アラン島ほか』恒文社より)

ちなみにポティーンっていうのはアイルランドで古くから飲まれているめっちゃ強いお酒で、度数が高すぎて(50度超え)ずっと製造禁止だったのだが、酒好きのアイルランド人がそんなことで止めるわけがなく、家庭でこっそり作っては隠れて飲んでたという具合。

小説は書かなかったシングだけれど、この『アラン島』はほんとうに傑作なのでぜひ読んでみてほしい。とくに古代ケルトとかケルト文化とかが好きな人にはきっとささる。あとアイルランド特有の雰囲気がありのままに描かれているから、純粋にアイルランドに興味がある人への入門としてもおすすめ。演劇はおいといて、アイルランド文学は、ジェイムス・ジョイスを筆頭に小説家は皆小難しくて陰湿な文章を書きがちなので、もちろんこれはこれで趣はあるんだけど、まあとにかく初心者にはとっつきにくいので、アイルランド文学に興味を持ったら、『ユリシーズ』よりも『ダブリン市民』よりも、『アラン島』を読んだ方がいいかもしれない。と、勝手な自論。

わたしの抜粋とは別バージョンですがこっちのが手に入りやすいし読みやすいのでおすすめ。

このアラン諸島での生活を経て、シングは戯曲の執筆を始め、以降たったの7年でアイルランド演劇界屈指の劇作家となる。


シングの戯曲作品

幻の処女作を含めても全部で7作品しかないのでとりあえず全部並べよう(かっこ内は初演年)。しかし幻の処女作というのは、出来が悪く本人の意向で世に出すなと言われていた『月が沈む時 -When the Moon Has Set-』で、実際あまり良作ではないらしい。死後随分経ってから一応出版はされているらしいが、わたしはまだ英語版も日本語翻訳版(あるのかも知らないが)も見たことがない。

さて、そういうわけで以降6作品である。創作戯曲であってもシングは「自分自身が見聞きしたこと、言葉しか書かない」的なことをずっと言っていて、戯曲の題材はみなアラン諸島や自分の地元なんかでの経験、そこで聞いた話に基づいている。実際『アラン島』やもう一つの紀行文集『ウィックロー、ケリーにて』を読んでいると、戯曲の元ネタ話が全部出てくるので、戯曲の方を知った上でそっちを読むと「あ、これあの話だ、おや、この人はもしやあのキャラ…」みたいな楽しみ方もできる。

・西の国の伊達男 -The Playboy of the Western World- (1907)

(英語圏では)言わずと知れたシングの大傑作。三幕ものの喜劇。訳題は『西の国のプレイボーイ』『西国の伊達男』『西の人気者』などとも。初演時に登場人物が「はしたない女」だと観客たちがキレて劇場で暴動(文字通りガチの暴力沙汰、しかも上演中)が起きたことでも有名。とりあえずあらすじを。

アイルランドの西にあるメイヨーのさびれた村でパブ(呑み屋)をひとりで切り盛りするオーナーの娘ペギーン・マイク。ペギーンには許婚がいるが、彼は神父と聖書に従順な弱気なカトリック信者で、ペギーンにとってはつまらない男。ある晩このパブに怯えた様子の見知らぬ若い男がやってくる。クリスティ・マホーンである。話を聞いてみると、自分の親父を鋤でぶん殴って殺したと告白する。クリスティがびくびくして匿ってくれと縋るやいなや、刺激が欲しかったペギーンや村人たちはクリスティのことを英雄のようにもてはやし歓迎する。ちやほやされたクリスティは気が大きくなって本当の英雄のように振る舞い、そのうちペギーンともいい感じになる。ところがそんな中殺されたはずのクリスティの親父が現れ、人気者クリスティは一転してホラ吹きとなる。人気者の自分を取り戻したいクリスティはもう一度親父を殺そうと試みるがうまくいかず…。


といった話。父親殺しなんてのが一見大層な設定だが、それは物語の中ではちょうどいい味で、これを軸に、ヨーロッパの果ての島の田舎町の悲劇性を忠実に見せつつも、喜劇のセオリーにのっとった構成で、そしてアイルランド訛りの響きに合うように計算し尽くされた、詩的な台詞で彩られている。今日語られるアイルランド演劇の言葉のうつくしさと、「悲喜劇」といわれる構造は、どちらもシングが形にしたといっても過言ではないだろう。

この作品の序文でシングは「良い演劇とはすべての台詞が木の実や林檎のように香りづけされているべきだ」と記していて、まさにそれを体現した戯曲を書いたのだ。

ちょっと一節を抜粋。

クリスティ  (前略)おれの生活はさ、夜の明けるから日の暮れるまで、あくせくあくせく、土ん中、泥ん中、ただもう働きづめでさ、遊びも何もありやしない、それでも楽しみっていや、まっ暗闇の夜に家を抜け出して、山で野兎の密猟をするんだ。おれは密猟の名人でね、神さまには申し訳ないが(少年のように純真)、一度なんざ、肥しの熊手で魚を刺して六か月も牢屋に入れられるとこだった。
ペギーン   それが楽しみだったのかい、外の暗闇で、たったひとりでさ。
クリスティ  そうだとも、ほんとだとも。おれは小春日和のおてんとさまみたいに楽しい気分だったよ、光がきらきら北の空で動くんだぜ、霧の裂け目を通して、そのうち兎がキーキー鳴きはじめる、おれはハリエニシダの茂みの中を一目散だ。そうやって遊びたいだけ遊んで山から下りてくると、あひるやガチョウが街道のはしっこでのんびり寝てやがる、家の肥溜めのまだ先からおやじのいびきが聞こえてくる、寝てりゃいつだって大いびき、起きてりゃいつだってどなり声、金ぴかの勲章つけた将校みたいに、どなるは、わめくは、罰当たりな悪態のつきどおしだった。   〈大場建治訳〉

続く他の作品にも共通するが、こういう生き生きとした語りのシーンが多い。この戯曲でいうとクリスティが村人たちに父親を殺した時の様子を語るシーンなんかは目玉の一つである。

もともとアイルランドでは民話や言い伝えを語る「語りの文化」というのが伝統的にあり、語り部といわれる人たちが口承で語り継いでいる。日本の落語や講談に似ている気もするが、アイルランドの語りはもっと日常的というか、田舎の家のダイニングでおばあちゃんが椅子に腰掛けて話してくれるようなもの。

しかしこういうものに限らず、アイリッシュはおしゃべりというイメージもあるように、そもそも「話すこと」「スピーチ」が得意・好き・身近な人が多い。そしてこの「語りの文化」というのは、アイルランド演劇においてけっこう重要なキーワードになっている。

・谷の陰 -The Shadow of the Glen- (1903)

初期の作品で、なかなか刺激的な一幕ものの喜劇。以下あらすじ。

山地ウィックローの谷間の端にある寂しい家に1人の浮浪人がやってくる。外は大雨で、家主の若い妻ノーラ・バークは浮浪人を迎え入れる。家の中では日暮れに死んだ老夫ダン・バークがシーツをかぶって横たわっている。田舎でご近所さんは遠いので通夜に呼びにも行けずノーラはひとりで家にいたのだ。いわくダンは死ぬ間際ノーラに呪いをかけ、身体を触ると呪われるようにしたらしく、ノーラは何もできない。しかしそんな状況でもノーラは浮浪人に留守番をさせて、愛人の若い男のところに行ってしまう。死人と2人きりでびくびくする浮浪人の前で、ダンがぬっと顔を出してきて…。


ちょっとホラーテイストになっちゃったけどホラーでもなんでもなくて、これも田舎のリアルな人間模様が描かれている。そもそも老人のもとに若い娘が(無理やり)嫁がされるという設定が一番ホラーだし悲劇で、あとは基本的にただ滑稽な話。しかしただでさえ若い女が不倫しているということだけで厳格な人たちにとってはマジギレ案件なのに、その不貞行為を夫が死んだそばから堂々と行う女、だなんてまあ刺激的も刺激的。今となってはけらけら笑って観られるけれど、当時猛烈に叩かれたというのはうなずける。

一節紹介しよう。

ノーラ   こいつァおいぼれのな、そいでおかしな男だったよ、旅の衆、いつも山の上へあがっちゃ暗いもやン中で考えごと考えてたっけ。……(シーツをちょっとめくる)ちょっと手ェ当ててみてよ、たしかに冷やっこくなってるだかどうだか、教えてくンなよ。
浮浪人  おらにそのたたりをおったたらせるつもりだかよ?おかみさん。おら金輪際手なんか当てねえだ、ナハナガンの湖金で埋めてよこすだっちうたって。
ノーラ   (落ちつかぬようすで屍骸を見つつ)なんだな、冷やっこいだなんてこた、死んだ証拠にゃなンねえだかも知ンねえね、こういうような男にゃ、なんしろいつだって冷やっこい男だっただかンな、おらが知ってっからってもなァ、くる日もくる日も……そいからくるよるもくるよるもよ、旅の衆……  〈木下順二訳〉


・鋳掛屋の婚礼 -The Tinker’s Wedding- (1909)

演劇企画CaL第一回企画で『旅人たちの春の夢』と題して上演したものである。二幕ものの喜劇。これはちょっと予備知識が必要で、アイリッシュティンカー(鋳掛屋)というのはジプシーのような放浪生活をしながら、鍋や缶などの鋳物を作ったり直したりして暮らしている人たちのことで、アイルランド独特の放浪者の一種らしい。鋳物を扱う技術があるということで、ただの放浪者よりもちょっと違う位置にいて、一般市民にとっても好ましくはないけど毛嫌いはされてない特殊な人たちのよう。以下あらすじ。

旅をしながら生きる鋳掛屋の女サーラ・ケイシーは、ある日唐突に長年連れ添った同じく鋳掛屋のマイケル・バーンと結婚をしようと思い立つ。ウィックローの村の教会の前で2人は神父を待ち伏せ、結婚式を挙げてもらえないかと交渉し、なんとか約束を取り付けるが、飲んだくれのマイケルの母メアリ・バーンが約束の代物で酒を飲んでしまい…。


これは基本ドタバタコメディって感じなのだけど、結婚やその他カトリック文化のしきたりについて考えさせられる。しきたりに倣うことと、目の前の人とずっと一緒にいるという事実そのものと、はたしてそこにどんな意味があるのか。みたいな。これまたカトリック文化をかなり皮肉ってて、挙げ句の果てには神父にえらい暴力を振るうわけで。ちょっとわたしたちの上演の舞台写真から問題のシーンを。

旅人たちの春の夢 舞台写真

文字通り袋叩きに遭っているのが神父さま。この後ふんづけられる。

寺の坊さんが一番尊厳あった時代の日本で坊さんをめっためたにする芝居を上演するみたいなことしようとしていたわけで、1903年にはすでに書いていたものの、こればっかりはさすがに上演は見送られ、初演は1909年シングの没後だった。

僭越ながらうちの上演台本から一節を。過激な話とはいえ、台詞は相変わらず詩的に語っていてうつくしい。

サーラ  (略)今まで聞いてない?お巡りさんたちがグレン・マルーで十マイルもあたしを追いかけてきて、愛を語りかけてきた夜の話とか、学校帰りの子供たちとすれ違って、『今日はサーラ・ケイシー、バリナクリーの華を見れたから、いい日になるね』って言ってるのとか。
マイケル  かわいそうなやつらだな!
サーラ  かわいそうなのはあんたのほうよ、二、三週間のうちに、闇夜に目を覚ましてはあたしが太陽と一緒に出てくるかもって考えるようになるよ、でもその頃あたしはジョーンティン・ジムの籠の後ろ。寂しさと寒さでいっぱいであんたは夜の土手に寝そべるのよ、わかってる?あの婆さんのうるさい寝言とか、コウモリの甲高い鳴き声とかを聞きながらね。

主宰が記事書いてるからついでに言っておきますが、上演時に物販として販売していたこちらの上演台本、在庫あるので御所望でしたらお売りできます。システムにできてないのでメールかTwitterのDMでご連絡いただければ。

・海に騎りゆく者たち -Riders to the Sea- (1904)

ここまでの喜劇から一転これは一幕ものの悲劇である。以下あらすじ。

アイルランド西海岸の離れ島(はっきり書かれてないがアラン諸島のことらしい)で暮らす一家は、父親と男兄弟をみな海の事故で失くしていて、残る男は末息子のバートリーだけ。芝居はマイケル兄さんの遺体が見つかったらしいといって妹のノーラが彼の遺品を持って帰ってくるところからはじまる。バートリーはこれから船に乗って本島へ出ようとしているが、外は強風が吹いている。老いた母モーリアは最後の息子を引き留めようとするが、若者バートリーは耳をかさず、出て行ってしまう。


男はみな死にゆき、女たちだけが残るという悲劇だが、この話のやるせないのは男の命を奪うのが海だということ。これが殺人鬼に殺されたとかなら怒れるけれど、自然相手じゃどうしようもない。しかも離島だとよけいに、海は絶対、なんだろう。(ちなみにオチを明記したくないだけなんですが、「悲劇」でこのあらすじだともうフラグしっかり見えてるよね)

モーリア  (顔をあげ、まわりの人が目に入らないかのようにはなしはじめる)みんな、みんな、行っちまった。海も、これ以上、わしに対してむごいことはできんじゃろう。……南風が吹き起こって、東のほうからも、西のほうからも高波が打ち寄せ、その両方がぶつかりあって、すさまじいどよめきの音を立てる、そのたびに、思わず、起きあがって、泣きながらお祈りをする……そういうことはもう、わしゃしなくてようなったんじゃ。 〈高橋康也訳〉

アイルランドでは出ていく男と取り残される女、という構造の話がけっこうある。これまた話すと長くなるが、アイルランドの歴史物語はずーっと悲劇的で、基本的にとにかく救われない。だから大切な何かを失うとかそういうことに対して「諦め」という姿勢を見ることが多い。この戯曲も、男たちを皆失って悲しいけど、どうしようもない、いつかはこうなる運命なんだから、これでもう失うことを恐れなくてよくなったから、わたしたちはとりあえず明日を生きよう、という物語なのである。

・聖者の泉 -The Well of the Saints- (1905)

三幕ものの喜劇で、これは個人的にお気に入りだったりする。以下あらすじ。

アイルランド東部の山間で路上暮らしをする盲目の乞食夫婦マーティン・ドールとメアリー・ドールは汚らしい見た目の老夫婦なのだが、自分たちは誰もが羨む美男美女夫婦だと信じていて、辛い日々もその幻想に支えられて生きている。ある日、どんな怪我や病気もたちまち治す聖水を持った聖者が近くを通るとの噂を聞きつけたふたりは、それぞれ「見える世界」に憧れて盲目を治してもらう。ところがいざ見えるようになると、お互いの醜さを知ってしまい罵り合い、今まで優しくしてくれていた周りの村人たちにもひどい扱いを受けるようになる。二人は目を治してもらったことを後悔するようになり、やがて再び視力は衰え盲目に戻る。


なんでも治す聖なる水っていうのが唯一伝説的で少し現実味がないところで、これが原因かリアリティを求めていた当時の観客にはあまり人気がなかったらしい。しかし噂によると芥川龍之介はこれに影響を受けて『鼻』を書いたと言われているようだし、そういう刺さる人に深く刺さって影響を与えたものである。

夫婦は目が見えない時に抱いていた理想と、見えないからこその果てしない想像力でそれなりに楽しく生きていたのが、憧れを手にすると同時に何もかも崩れ落ちてしまう。理想はあくまで理想、ハンデは消すのではなく付き合っていくもの、知らない方が幸せな世界って、みたいなことを考えさせられる。

とりわけ贔屓の作品なので二つのシーンから抜粋する。盲目な時の夫婦の会話と、目が見える時の夫婦の会話だ。

マーティン・ドール  (少し悲しそうに)夜が長い時には思うんだよ、一時間、いや一分でも、自分たちの姿が見られたらいいだろうなって。そうすれば、東の七つの国々でおれたちほど見場のいい男と女はいないことが分かるものなーー(恨みがましく)そうなれば、出鱈目を言ってた目明きの連中は罰が当る、そしておれたちはやつらの言うことなど気にしなくてすむようになるのさ。
メアリー・ドール  お前さんが大馬鹿者じゃないのなら、今だってやつらの言うことなど気にしない筈だよ。だって目明きの連中は性悪で、すばらしいものを見たら、面白がってわざと見えないふりをしたり、馬鹿げた嘘をついたりするのさ、
メアリー・ドール  (略)悪魔なんだよ、お前さんを治して、気が変になって出まかせを言うようにしたのは。
マーティン・ドール  お前こそ、この十年昼も夜もおれに出まかせを言って来たじゃないか。でももう駄目だ、だって神様のおかげで目が明いてみると、おれが見たのは皺くちゃ婆で、とてもおれの子供を育てる柄じゃないってことが分かったんだから。
メアリー・ドール  いやだね、お前さんのような皺くちゃの餓鬼を育てるのは。世間にはね、お前さんよりましな男と結婚していても、子供ができなくて有難いと思う女がいるものさ。うっかり子供を産んでたら、それを見た雲雀や烏はもちろん、天使までが怯えて逃出すようになってたんだがね。 〈喜志哲雄訳〉

このあと二人は喧嘩別れして、それぞれ自力で暮らそうとするのだが、抱いていた幻想がことごとく砕け散ってしまう。ちなみに上記の二つのシーンはどちらも第一幕なので、三幕ものの長編はここからが本番なのだ。

・哀しみのディアドラ -Deirdre of the Sorrows- (1909)

三幕ものの悲劇でシングの遺作。これはちょっといろいろ特殊で、というのはこれは未完のままシングが亡くなってしまったのだ。未完というのは話が途中で終わっているのではなく、他の作品のようにシング本人が納得できるまで改稿しきれなかった、ということである。また他の作品と違うのは、これはケルト神話をもとにした話であり、だんとつでアツいロマンスものでもある。ケルト神話、わたしはまだそんなに詳しくないので正直うまく解説ができないのだが、「アルスター伝説群」というのの中に「ディアドラの悲恋」という話があり、これをベースに芝居を書いたようだ。以下あらすじ。

ディアドラは生まれた時に「その子は美しい娘になるが、アルスター王国とウシュナの息子たちを破滅させ、自らも小さな墓に入ることになろう」と予言されていた。だがアルスターの大王コナハーはディアドラを引き取り、自らの妃とするために育てていた。やがて美しく成長したディアドラは、老人コナハーとの結婚など望まず、ウシュナの息子・ニーシという若者と恋に落ち、駆け落ちする。しかしやがてディアドラは自らの宿命を受けいれ、帰国しエヴィンの都のコナハーのもとに向かうことを決意する。


もとの話はもちろん、他の作家たちもこのモチーフでいろいろ書いているらしいのだが、ちょっとそこまで詳しくないので比べてどうというのが言えない。特徴としてはたぶん「宿命を背負うディアドラがひとり哀しみを背負って、すべての悲劇を受け入れた状態で死へと向かう」という構造がはちゃめちゃにうつくしいということかな。

駆け落ちしたディアドラが帰国を決意するシーンから抜粋。ちょっと長めだが良いシーンなので許して。ほんとはもっと見せたいんだ。

ニーシ  二人の寿命尽きる日まで、私たちなら、すばらしい喜びを保ち続けられるとも。大いなる武勲〔いさお〕を語るファーガスの言葉さえ、私たちをエヴィン・ヴァハに連れ戻すことはできなかったではないか。
ディアドラ  あなたが向かおうとしておいでなのは、大いなる武勲ではなく、間近に迫る災いです。日の光の燦々と輝きわたる若さを、無惨にも断ち切る、時ならぬ死です。私に、このディアドラに、あなたをそれから遠ざける力がないとは、なんと情けないことでしょう。
ニーシ  言ったではないか、私たちはいつまでも、このアルバンに留まるのだ。
ディアドラ  いつまでも留まれる場所など、どこにもありませんわ……私たちは、すでに長いこと、唇を寄せあい、連れだって丘辺をそぞろ歩き、あるいは互いの腕の中に安らぎを見出してきました。六月の草叢の香りの中に目覚め、高く聳える木々の梢に囀る鳥たちの歌に耳を傾ける日々を、長いこと過してきました……長い歳月でした。でも、それも終る日が、やってきたのですわ。
ニーシ  まるで、北から渡ってくる鶫〔つぐみ〕の群や、暗い海へと飛び立つ若鳥たちのように、なぜかと問われてもその理由もわからぬまま、私たちもエヴィンへ旅立てと言うのか?
ディアドラ  もの事の終りには、必ず理由があるものですわ……それに、ニーシ、私たちが旅立とうとしている今、季節は、太陽が空に低く留まり、月が暗い夜空を支配する冬であることを、私は喜んでいますの。なぜなら、くっきりとした冬木立ちの枝の向うに明るい光が透けてみえ、サンザシの繁みを飾るその実が、まるで赤い壁のように私たちを囲ってくれるこの時期に、あなたと私の最期の日を過せるのですもの。  〈甲斐萬里江訳〉

『海に騎りゆく者たち』の項目でも触れた「諦め」の究極の形に思える。自分がこの先永遠に幸せになれないと悟ったとき、その運命を嘆くのではなく、「そういう運命なのです…さあ、ゆきましょう」と言う女のなんとうつくしいこと。しかもこれは舞台上で言われる台詞なわけで…想像するだけで身震いする。やばい。こういうのを演じきれる女優さんって最高だよなあ。


以上さくっと紹介してきた(この文量でさくっとかよとお思いの方、シングはもっともっと深い沼なのですよ…)が、作品数が少ないこと、日本じゃマイナージャンルの割には翻訳本や解説本が複数あることなど、わりととっつきやすいと思う。わたしが紹介に使った戯曲テキストはすべて下の本から。

この戯曲集が個人的には一番読みやすい訳集なのだが、絶版で中古を探すしか手がない。いまんとこネットには出てる。

*追記(5/4)
原文(英語)テキストのほうはとっくに著作権が切れていて、海外サイトの青空文庫的なところで読めるので、もし興味がある方は。このリンク先の下の方に各戯曲へのリンクがまとまってるので。

独特の言い回しとか倒置とか多くて「普通の英語」ではないので、アイルランド初心者にはちょっと難しいかもしれないが。

シングの最初で最後の女モリー

『哀しみのディアドラ』はシングが最後に書いた戯曲で、集大成(となるはずだった)と言われているが、これだけ少々テイストが違うのは惚れた女のために書いたからというのがデカいと勝手に思っている。

というのも、シングは最期の3年くらいで女優のモリー・オールグッドと親しくなり、婚約し、モリーに看取られ亡くなる。モリーはアビー・シアターという国立劇場の座付き女優で、シングはアビーの専属劇作家だった。アビー・シアターというのは歴史的にもかなり存在のでかい劇場で、これについてはまた長い長い話になるので、後日創設者の作家ウィリアム・バトラー・イェイツの記事を書く時に詳しく書こうと思う。気になる方は検索してもらうと、それなりの記事は出てくる。

ちなみに最初で最後の女と書いたが、ぶっちゃけ最初かどうかは分からない。ただ彼がここまで心を許せたのはおそらくモリーだけだったと思うから、間違っちゃないのでは。妄想がすぎるかしら。

とにかくこのモリーにディアドラ役を想定して、彼女のためにこの芝居を書いたらしい。だからディアドラの描写はその構図も台詞も際立ってうつくしい。だって自分が劇作家で、この世で一番好きな女に言わせる台詞なんだからそりゃ気合い入るよね。一番美しく見せたかったんだろうね。


ここまでくるとジョン・ミリントン・シングという人間そのものがいとしくなってくる。ここらへんでちょっとむずがゆいシングからモリーへのラブレターの一部でも載せちゃおう。

いま星が見えるよ。もうずっと前、よく、その星の下を歩いたよね。ぼくたちが互いに対して抱く思いはこの神聖な世界と非常に結びついているから、ぼくたちの特別な情愛も真の意味で、神聖であるにちがいない。エニスケリーからのくねくねした道を二人で歩いた時、星が小さなろうそくみたいに輝いて、星以上に価値あるぼくたちの素晴らしい愛の周りをめぐっていたね。それに匹敵するようなことが、人生にあるだろうか。この薄暗い部屋の静寂がぼくを夢のような気持ちにさせる。君が今ここにいてくれたら、と神に祈るよ。     (若松美智子『劇作家シングのアイルランド』より)

本から引用してタイプしてるだけでもかゆい。相手が女優なだけに、お互いその感性全開で付き合っていたんだと思う。そしてお互いにその感性を受け止められたから、こんなに惚れ込んでたんだと思う。ちなみにモリーは、シングの死後自らが演出・主演して『哀しみのディアドラ』を上演した。映画みたいだな。

実際の上演

残念ながら日本ではマイナーなので舞台上演の記録はほぼない。わたしが調べた限りでも数える程で、それもリーディング公演が半分くらい。うちがやった鋳掛屋なんて、日本初上演だったんじゃないかと思うんだけど、過去の上演をご存知の方がいたら是非教えてほしい。

本国ではめちゃくちゃ人気で、『西の国の伊達男』なんかは中学(かな?)の授業で読むし受験にも出るらしいし、学芸会とかでもよく使われるようだ。ちなみにアイルランドの学校は4歳から小学校8年(卒業年が日本と一緒)、中学校6年(中高一貫みたいな感じ)、大学なので年齢的には日本の高校生くらいが読むんだと思う。話が逸れるけど学校の国語の授業で戯曲を読むっていう教育文化、アイルランドに限らずヨーロッパでは当たり前で、さすがだなと思うし絶対日本でも取り入れた方がいいと思うな。


ドルイド・シアター・カンパニーという名実共にアイルランド随一の劇団があって、彼らはかつて「ドルイドシング」と題打って上記6作品を丸一日かけてぶっ通しで上演するというヤバイ企画をやってのけたのだが、この引きこもりの日々のために当時の映像から現時点で3作品『西の国の伊達男』『海に騎りゆく者たち』『谷の陰』が無料公開されている。これはわたしなんかにとってはヨダレものなのだが、なにせドルイドのシングは「本に忠実」であることで有名なので、それはつまり訛りも「ホンモノ」であるということで、わたしでも随分聞き取りづらい。ただでさえアイルランド訛りは初心者にはさっぱり聞き取れないといわれているのに、こんなホンモノはハードルが高すぎて簡単に薦められない。

とりあえず、短くて、コメディで、何言ってるか聞き取れなくてもあらすじをつかめばなんとなく楽しめそうな『谷の陰』を載せておく。他2つはご興味あればこちらから。


もし有識者の方がこれを読まれて、もし何か間違いなどがあればそっと教えてください。何卒。

☆この企画は基本的に無料記事で書き続けますが、投げ銭BOX(サポート)を設置してありますので、少しでも投げていただけると嬉しいです。わたしが次の本を買う足しになります。またコメント大歓迎なのと、活動に興味があってお話ししてみたいって方はわたしのTwitterのDM開放してあるのでお気軽にどうぞ!もしくは演劇企画CaLの問合せ先に連絡してもらっても見ております。

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