アイルランドの劇作家たち Vol.3 リチャード・ブリンズリー・シェリダン
これはおたくが推しについて書いている推しの応援記事です。
初めましての方、アイルランド演劇初心者の方はVol.0をみてもらえると。
Richard Brinsley Sheridan(1751-1816)
これまた誰?となる人がほとんどだと思う。しかも18世紀にも遡る。が、個人的にかなりおすすめしたいし、シェリダンと、同時期に活躍した同じアイルランド出身の劇作家オリヴァー・ゴールドスミス(1730-1774、別記事で書きます)は伝説の二人なので、知らなきゃ損っていうレベル。
どんなところが伝説的かというと、まず現在まで人気であり続けるアイルランド出身の劇作家たちの中で、名声を得た一番古い二人であること(有識者の方、ジョージ・ファーカーを入れてなくてごめんなさい)。
アイルランドの文学(=Writerの作品)の歴史っていうのは文学の国というわりには意外に短くて、作家として有名な一番の古参は『ガリバー旅行記(1726)』の作者ジョナサン・スウィフト(1667-1745)である。日本文学の古典最高峰『源氏物語』は1008年初出らしいのでその差は歴然(というか逆に、こういうとこで日本はほんとうに誇らしいと思う)。アイルランドでスウィフト以前の文章というと、神話や御伽噺、宗教関連書物などはあっても歴史に名の残る作家ってのはいない。
それから、イギリス演劇の流れの中で、新しい風を起こし歴史に名を刻んだ人でもある。
17世紀初頭までにシェイクスピアが一世を風靡して以降、しばらくはいくつかの名作喜劇などが現れるも、17世紀も半ばごろから20世紀に入るまで名作がめっきり生まれなくなっていたようなのだが、このイギリス演劇の空白の時代に名を馳せたのが、お隣アイルランドから来たシェリダンとゴールドスミスだったのだ。中でもシェリダンの代表作『悪口学校』は、長い演劇史において「英語喜劇の傑作」とも言われている。
ちなみにふたりのあとも、ロンドンで名を馳せた劇作家はアイルランド出身者が続く。19世紀に入ると二人のテイストを引き継いだディオン・ブシコーやオスカー・ワイルドが活躍する。そして19世紀末、Vol.2のバーナード・ショーへと結びつく。ほれ歴史が繋がったよ!この二世紀にわたってロンドン演劇界で名を馳せた劇作家たちがアイルランド人ばかりなのすごくないすか?
シェリダンの戯曲と時代背景と「ステージアイリッシュマン」
ジャンル的には風習喜劇(comedy of manners)。当時のロンドン演劇は、勧善懲悪、お涙頂戴の「感傷喜劇(センチメンタル・コメディー)」という道徳的で慈善的な人間を説くようなジャンルの芝居が流行っていたらしい。これに対抗して人間の「駄目なところ」をちゃんと描いていったのがゴールドスミスやシェリダンだった。
時代としてはまだガッツリ階級社会で、イギリスは産業革命真っ只中、周辺で言うとアメリカ独立宣言(1776)とかフランス革命(1789-1799)の時期。彼の作品の舞台設定もほとんどが当時(ただし当時の時事的なイデオロギーは見えない)。いろいろ目まぐるしく変わっていた最中なんだと思うけど、シェリダンはアイルランド人で、だからたぶん大英帝国にアイデンティティを持ったロンドンっ子たちとは情勢に対する感覚が違ったはず(まあわたしの勝手なイメージなんですが)。
わたしはあくまでアイルランドおたくなもんでイングランドの文化に関してはそこまで詳しくなくて、そこらへん情報が浅くてごめんなさい。18世紀といえば髪の毛ぐるぐるの白髪カツラかぶってるああいうイメージの時代ですね。(髪の毛ぐるぐるのカツラでふと思い浮かんだモーツァルトは調べてみると1756年生まれでした。シェリダンのほうが年上!それくらいの時代です。)
くわしくは作品についての項で触れているが『悪口学校』の有名な「スクリーンのシーン」のようす(1778)。当時の劇場でのお芝居ってこんな感じだったんだー。大英博物館コレクションオンラインより。
シェリダンの人気を物語る伝説はいくつかある。たとえば連続上演記録。人気のオペラ『乞食オペラ(1728)(ブレヒト『三文オペラ』の元ネタ)』が当時連続上演最長の62夜を記録していたのだけど、シェリダンの処女作『恋敵』はその連続上演記録を塗り替え75夜も続いたそう。75夜って三ヶ月半くらいか。ふつうに今考えてもロングラン公演としては長い方だな。
それから『悪口学校』は訳者の菅泰男曰く、「ロンドンにおける上演回数の統計をみると、一、二位がシェイクスピアの『ロミオとジュリエット』と『お気に召すまま』で、三位が『悪口学校』で、『オセロウ』とならんでいる」らしい。上演回数ランキングでここに食い込んでるだけで、相当な人気なのがお分かりいただけるだろう。
それからシェリダン含め当時の戯曲を語るにあたって大事なキーワードがもうひとつ。「ステージアイリッシュマン」というキャラがこの当時のアイルランド人劇作家たちの人気の要因でもあり特徴でもあった。いわゆる「ヤンキーキャラ」とか「ぶりっこキャラ」とかそういう意味の「キャラ」。
で、どういうキャラかというと、「アイルランド人」というステレオタイプのイメージを舞台上でキャラクター化したもので、酒好きで荒くれ者でおしゃべりでお金がなくて人情味がある、というやつ。小馬鹿にするようなものというよりは、愛くるしい人間味あふれる描かれ方をしている印象。いろんなお芝居で、3、4番手くらいなのにいいところを持っていく「ズルい役」ってあるじゃないですか、そういうキャラだと思うのよね。
「アイルランド人」っていうのは長らく卑下されてきていて、それはアイルランド自体が長くイギリスの支配下だったこともあり、イギリスやアメリカに多くの移民が仕事や居場所を求めて渡るも、どこへ行ってもずっと貧しく、労働階級で、いわゆる「白人がする仕事」はさせてもらえず肉体労働などが多かったようだ。つまりイギリス人(やアメリカの白人支配階級)にしてみればアイルランド人ってのは無意識的に格下だったわけ。
また、当時の演劇はずいぶん俗な場所だったというか、観客の態度のほうがずいぶん強かったというか。どうも芝居が気に入らないと平気で客席で騒いだりステージに物を投げたり、途中入退場も自由だったりと今の「劇場マナー」のイメージからは程遠い様子だったよう。
そういうわけで、アイルランド人が気に入らない横柄な客からは、下手にアイルランド人を芝居に出すとひどい仕打ちを受けかねない状況だったと思われる。そんな中で、アイルランドにルーツをもつ劇作家たちが、きっと愛を込めてアイルランド人を表現し、「差別対象」から「愛されキャラ」のイメージをつくりあげようとしたんじゃないかな、というのがわたしの妄想。
一応いっとくと「ステージアイリッシュマン」はあくまでステージ上でのステレオタイプなキャラクターで、実際のアイリッシュと比べるとかなり誇張されてます。あのまんまの人は実際にはそうそういないんでね、あくまで「イメージ」なんでね。
このキャラ位置にあるのは、シェリダンの作品だと、たとえば『恋敵』ではサー・ルシウス・オトリガー(Lucius O'Trigger)というアイルランド人の紳士、『悪口学校』では弟チャールズなど。同世代のゴールドスミスや、下の世代のブシコーの作品にもこういうステレオタイプが出てくる(ちなみにこのキャラは全員アイルランド人の設定、というわけではない。まあ多いけど)。
あ、余談ですがO'Triggerみたいな、O'ナントカっていう名字はアイルランド人の名字あるあるで、他にもO'Neill(オニール)とかO'Casey(オケーシー)とかO'Connor(オコナー)とか挙げだしたらきりがない。もうひとつわかりやすいアイルランド人名字はMc/Macナントカで、こっちはビートルズのポール・マッカートニーのMcCartneyやあのMcDonaldとかで世界的に有名。つまりポールはアイルランド系なのだ。(ちなみにビートルズは実は4人中3人がアイルランド系なんですよ〜)他にもMcMahon(マクマホン)とかMcKenna(マッケンナ)とか。
ちなみに日本人に馴染みの深いあの最高司令官マッカーサー(MacArthur)はスコットランド系だそう。スコットランドもアイルランドと同じケルト民族で同じケルト語がルーツなので、似てるところはたくさんある。
アイルランドの名字はもともとアイルランド語(ケルト語)での名前を英語表記に直しているので独特なのだ。Macはアイルランド語でson(息子)という意味で、O'はdecendant(子孫)という意味らしいので、McCartneyはCartneyさんの息子、O'NeillはNeillの子孫という意味だそう。
おまけのおまけ、最近某所で見かけたのでここにも貼っとこ。アイルランドの名字ランキング。O'やMc以外にも独特な名字は多い。だいたいこういう名字の人はアメリカやイギリスなどにいてもアイルランド系かなってなる。21はあのJ・F・ケネディのKennedyなんだけど、彼は世界一有名な「一番成功したアイルランド移民の子孫」じゃないかしら。ちなみにランキング圏外だけどSheridanというのもわりとよくあるアイルランド名字で、何をかくそう私の恩師もSheridan氏なのだ。
シェリダンは劇作家であるから、戯曲自体を読み物として読むより、舞台の上で台詞として見聞きするほうが何倍も面白いみたいな話も聞くんだけど、わたしは残念ながらまだ公演を観たことがない。観たいなあ…。
シェリダンの人生
ダブリン生まれ。父親はトマス・シェリダンというけっこう有名な俳優で、今でもダブリンにあるスモック・アレイ・シアター(Smock Alley Theatre)という歴史の古い劇場でマネージャーも勤めた。なんとこのトマス・シェリダン、名付け親がジョナサン・スウィフトで、スウィフトとは家族ぐるみで親しかったそう。母親は作家だった。
ここまでリサーチしていてシェリダンの家系が面白くなって遡ってみると、おじいちゃん(父の父)の肩書きも随筆家、劇作家、詩人とか書いてあって文人一家だあ!ってなった。このおじいちゃんがスウィフトと仲良しで、なんとこのおじいちゃんの家にスウィフトが居候してる際に『ガリバー旅行記』を書いたとか。ほええー。また子孫にも詩人や作家が何人もいる。これぞ血だな。
ちなみに完全なる余談なんだけど、ショーン ・オケイシー(1880-1964)という有名な劇作家とシェリダンは同じ通り(Dorset Street)沿いの家で生まれたんだって。ロマンだあ。
かつてのDorset Street。Irish History Linksより。
彼自身は7歳くらいの時に家族でロンドンに移ってるので、周りの環境という意味ではそんなにアイルランド感強くないかもしれないけれど、先述の通り両親は二人ともがっつりアイルランドで演劇に携わっていたわけで、自身の創作をするにあたって「アイルランドでの演劇」の影響はかなり濃厚だと思われる。
それから先にも述べたように、「アイルランド人」であるというだけで当時のイギリスでの扱いは段違いだったようなので、この人もまた「社会的マイノリティ」の中で独自に道を切り開いていった人だった。
シェリダンは20歳そこそこでかなり面白い経験をしている。駆け落ちまでした当時の恋人が悪い男につきまとわれていて、彼女のためになんとガチ決闘をした(しかも二回)らしい。相手はトーマス・マシューズ(Thomas Mathews)というゴシップ記者?だったようで、シェリダンの恋人、エリザベスについてあることないこと書き散らしてたみたい。
決闘って今では美談っぽくなりがちだけど当時の決闘はガチで命を賭けてたらしいから笑えないし、実際シェリダンも二回目になかなか大怪我をしたらしい。それでもこの決闘を経て彼はエリザベスと結婚する。こんな今となっては映画のような大恋愛をリアルにしたんだなあ。
シェリダンとお相手トーマス・マシューズとの決闘の新聞記事ってのを見つけた(さすがにわたしもこれは読みづらくて所々しかわかんないや)。
彼の作風として、自身の経験からくるところはけっこう現れているみたいで、『恋敵』に登場する二組のカップルは、共に自身とエリザベスをモデルに書かれたようだし、なんなら終盤には決闘シーンもあるし、『批評家』の演劇制作のようすは自身の演劇人としての経験からきている。
シェリダンはこのドルリー・レーン・シアター(今はTheatre Royal Drury Lane)の劇場支配人を務めていた。この絵自体は1808年って書いてあるのでシェリダンが携わってだいぶ後年だ。
話が逸れてごめんなさいだけど、ロンドンに限らずヨーロッパの劇場って、こういう幅はきゅっとしてるけどが高さと奥行きがあるつくりが多い。そしてゴージャス。たとえばわたしの好きなダブリンの劇場ゲイエティ・シアターはこちら。
The Gaiety Theatre Virtual Tourよりスクショ。わくわくするでしょ!観客として入ってわくわくする劇場っていいよね!あと高さはあるけどその分直線距離はそんなに遠くないので、思ってるよりけっこうステージは近く感じられるのもいいよね。
いまとなっては役者、とりわけロンドンで活躍する役者なんて立派も立派な職業として認められているけど、当時のイギリスは階級意識がかなり強くて、その中で役者というのはずいぶん下に位置していた。ので、その息子のシェリダンもまた、かなり下のクラスの人間として扱われていたようだし、地位もお金もお世辞にもあったとはいえないだろう。
シェリダンは1780年に庶民院(イギリス議会下院)の議員となり、その後大臣を務めたりもして、晩年はほとんど政治家として活動していたのだけど、当時こういう出生の人が政治家にまで上り詰めるっていうのはかなり稀有な才能だったということだと思う。ここまで来るともうわたしの管轄外ということで、気になる人はご検索を。ちなみにホイッグ党の所属だった。
シェリダンの戯曲作品
先に書いた伝説の二人、シェリダンとゴールドスミスなのだが、作品人気でいうとシェリダンのほうが強い印象。戯曲は10作品くらいあるっぽいが、日本で翻訳されてるのはおそらく『悪口学校』と『恋敵』の二作品。(かっこ内は初演年)
・悪口学校 -The School for Scandal (1777)
最も愛され続けている代表作だと言えよう。五幕構成、シチュエーションコメディとも言えるかな。
ロミオとジュリエットの「バルコニーのシーン」と言えば、演劇にそんなに詳しくない人でもシーンが浮かぶと思うけど、この「バルコニーのシーン」に匹敵するほどにみんな知ってるシーンというのが、『悪口学校』の名シーン「スクリーンのシーン」である。後ほどじっくり語るので、まずはあらすじから説明しよう。
社交界で有名な兄弟、ジョーゼフとチャールズ。兄のジョーゼフは口を開けば道徳を説く模範的な「いい人」で、弟のチャールズは金と酒と女にだらしない放蕩者の「悪い男」。ジョーゼフはマライアという女の子の後見人サー・ピーター・ティーズルから気に入られていて、婚約しているのだが、マライアは実はチャールズの方が好きで、チャールズもまたマライアが好き。ある日、長らく東インドに居た、兄弟の叔父でサー・ピーターの旧友でもあるサー・オリヴァーが帰ってくる。サー・オリヴァーは噂に聞く正反対な兄弟の本当の姿を試すため、兄ジョーゼフには遠い親戚で借金まみれのスタンリーという男になりすまし、他方弟チャールズには金貸しのブローカーのプレミアムという男になりすまし、それぞれに会いにいく。
人間関係さえ掴めれば、200年以上前の古典とはいえ笑いどころたっぷりでほんとうに面白い。一番有名で一番面白いのが叔父さんが兄弟それぞれに別人のフリをして会いに行き本性を確かめるという構図なのだが、プラスアルファでマライアをめぐる策略や、噂好きな社交界の人間関係、思惑などが絡みに絡んでまあドタバタする。
ジョーゼフの八方美人な振る舞いは回り回って本人を苦しめることになるわけだが、たとえばこんな感じ。マライアに嫌われないために彼女を口説こうとすると、ジョーゼフが浮気なふりをしているティーズル令夫人(サー・ピーターの若妻)が来てしまうシーン。
マライア (略)あの不幸な方〔チャールズ〕へのわたしの気持ちはどうあろうとーーはっきりしておきますわーーあのご難儀で、実のお兄さんさえあの方をお構いなさらなくなったからといって、わたしがあの方を見捨てなきゃならないわけはありませんのよ。
ジョーゼフ いや、マライア、そんな顔をしていやだなんて言わないで。正直、天にちかって、わたしは……(ひざまずく)
ティーズル令夫人、背後に登場
ジョーゼフ (傍白)あっ、いけない、ティーズルの奥様だ。(マライアに、大声で)いけませんーーいいえ、そうはさせないーーなるほど、ティーズルの奥様には深い関心をもってはいるけれどーー
マライア ティーズルの奥様、ですって!
ジョーゼフ サー・ピーターが疑うことになるとーー
ティーズル令夫人 (前へ出て)何です、これは?ーーこの子をわたしだと思ってるんですか?ーーあんた、隣の部屋でご用よ。(マライア退場)
こりゃ一体どうしたっていうんです?
ジョーゼフ いや、全くもって不幸なまわりあわせで!マライアが、どうしてだか、わたしがあなたの幸福を祈ってるやさしい気持ちをかぎつけて、サー・ピーターに言ってやるっておどかすんです。ーーで、そんなことはないって、理性でもって説きつけてたところへ、あなたが入って来たんです。
ティーズル令夫人 あら、そう!でも、理性で説きつけるのにやさしい仕方をなさるのねーーいつも、ひざまずいて議論をなさるの?
ジョーゼフ なに、相手は子供ですからなーーすこし大げさにやってたんです。ーーですが、奥様。いつ、あなた、わたしの書斎を見に来て下さるんですーーお約束だったでしょう?
ティーズル令夫人 駄目よ。何だか、たしなみがないことのように思えて来ましたわ。おわかりですわね、あなたを恋人みたいにしてるのは、ただ流行のせい、それだけなんですからね。
ジョーゼフ 全くーーただの、プラトニックな恋の騎士ーーロンドン中のどの奥様もおもちになっていいーー
ティーズル令夫人 そうよ、流行おくれになってはいけませんからね。(中略)(退場)
ジョーゼフ 妙なことになっちまったぞ、少々策を施しすぎたかな。はじめは、ティーズルの奥様のご機嫌をとろうとしただけなんだーーマライアのことで敵にまわらないように。ところが、どうしたことやら、いつの間にか本当の恋人になっちまった。全く、いい評判をかせぐのにあんなに精を出すんじゃなかったよーーこのままだと、いろいろ策略に巻きこまれたあげく、正体をバラされちまいかねないぞ。(退場)
ちなみにここら辺で触れておくと、ジョーゼフはこういう腹黒いやつなんだけど、物語は勧善懲悪ではないので、ジョーゼフの悪事を暴いて改心させるのが目的なお話ではない。人間はみんなそう簡単に変わらないし、なにか悪事がばれたからといって、それまでに築かれた関係性が180度変わるわけでもない。腹黒いことをしていたかもしれないけど、ジョーゼフがチャールズを助けてきたのは事実だし。ジョーゼフだって、自分なりの生き方を必死に模索した結果が、客観的に見ると偽善者になってしまっていた、というだけで、懲らしめられて結構、な悪党というわけではない。物語の構図的にはジョーゼフは悪の立場にいるけど、この悪党も憎めない、人間味が溢れる描き方をされているのが、この作品が傑作である理由の一つだと思う。あたしは君が好きだよジョーゼフくん。
※※※※※※ここから先物語の顛末に触れます!別に気にしないという人は続きをどうぞ。個人的にはミステリーじゃないしあっと驚く大仕掛けってわけでもないしそもそも古典作品だし、ここからが最っ高に面白いところなのでぜひとも味見してってほしいところなんだけど、まあ種明かしのシーンが一番の見所であったりもするので、ネタバレされるのが嫌いな方はどうぞ戯曲をお読みになってください!
文庫で手を出しやすいのでぜひ。引用元もすべてこちらです。電車の中で読んだらニヤニヤしちゃっていけないタイプのお話。竹ノ内明子訳というのもずいぶん古くに出てるみたいなんだけどどこにも取り扱いがなくって手に入らなさそう。情報求。
次の『恋敵』の記述へは先頭の目次から飛べますんで、ネタバレ回避の方も見てもらえるとうれしいです!
※※※※※※※※以下ネタバレ
やはりこの戯曲の見せ場のひとつはサー・オリヴァーが兄弟のもとにそれぞれ身分を偽って訪れるシーンなわけで、まずは一人目、放蕩者の弟チャールズの元へ、金貸しのブローカーのプレミアムとしてやってくるシーン。第三幕第三場。代々の屋敷を兄の情けで引き継いだチャールズだが、あまりの浪費で代々伝わる貴重な品物たちはすっからかんに。ここにやってきたプレミアム(のふりをした叔父)に対して、借金の担保をどうしようかという会話をチラ見せ。
サー・オリヴァー 貯蓄もおもちでない?
チャールズ 貯蓄はないーー家畜があるばかりーーそれも、犬と小馬が二、三頭で。ですが、プレミアムさん、私の親戚のことはご存じですか?
サー・オリヴァー 実を言えば、存じています。
チャールズ じゃあ、ご存じでしょう、東インドにとんでもなく金持ちの叔父がいます。サー・オリヴァー・サーフィスという人で。この人からとびきりの遺産がはいりそうなんです。
サー・オリヴァー お金持ちの叔父さんがいらっしゃるということは承っています。ですが、ご遺産がどうなるかは、おわかりにはならんでしょう。
チャールズ いや、いや!疑いはありません。人の話では、わたしは大変なお気に入りで、みんなわたしに残してやると言ってるそうです。
サー・オリヴァー ほんとうに?それは初耳ですな。
チャールズ いや、そうなんです。モーゼズ〔使用人〕も知ってます。そうだろう、モーゼズ?
モーゼズ さようで!誓ってその通りで。
サー・オリヴァー (傍白)今に奴等、おれはまだベンガルにいると、おれにも思いこませてしまいそうな。
チャールズ そこで、プレミアムさん、あなたが承知して下さるなら、叔父のサー・オリヴァーがなくなったら借金を払うという契約はいかがですか。もっとも、あの老人はわたしにとても気前よくしてくれましたので、本当のところ、あの人の身の上にそんなことが起るとは、思って見たくもないんですが。
サー・オリヴァー わたしこそさようでーー全く思って見たくもありませんな。ですが、あなたのおっしゃるその契約は、正に最も悪い保証でしてーー仮にわたしが百まで生きたって、元金さえ受け取れそうにありませんからな。
チャールズ いいや、そんなことはありません!サー・オリヴァーがなくなったとたんに、金を請求に来ればいいんです。
サー・オリヴァー その時には、わたしは、あなたの思いがけもしない、奇妙な取り立て屋になってるわけで。
チャールズ 何ですって?サー・オリヴァーが長生きしすぎるだろうって心配してるんですか?
サー・オリヴァー いや、心配だなんてーーそんなことはありません。もっとも、あの年であんなに元気で強壮な方は世界中にあるまいと聞いておりますがね。
チャールズ それ、聞きまちがってる。ーーいや、気候のせいですっかり参っているんです、気の毒に。ええ、もう日増しに弱って行くという話ですよ。ーー近頃はあんまり変ってしまったんで、ごく近い親戚の者でも、会ってもわからないってことです。
サー・オリヴァー へえ!は!は!は!変っちまったんで、ごく近い親戚でもわからない!は!は!は!そいつはいいーーは!は!は!
まさにコントの鉄板のようなやりとりでしょ、いまのわたしたちにとっては分かりやすい、ど直球なすれ違いネタに感じるけど、改めてこれは250年ほど前の芝居で、それを今、ど直球なのにこうやって読むだけでも笑えるのすごくない?そういう古典なのだ。
ちなみにチャールズとのやりとりはここからが本番、このまま、この家の中で価値のあるものはもはやご先祖様方の肖像画だけなのでそれを譲るといって、プレミアム(のふりをした叔父)相手に肖像画のせりが始まって、このせりもずうっと滑稽なんだけど、サー・オリヴァーの肖像画に関してだけ、チャールズは「大切な人だから」といってかたくなに手放そうとせず、これにサー・オリヴァーはすっかり心を鷲掴みにされてしまうのだ。第四幕第一場のこの「肖像画のシーン」もなかなか名場面なのでこちらはぜひとも読んでみてほしい!
さて、それからサー・オリヴァーはジョーゼフのもとへ、借金まみれの親戚としてやってくるのだが、ここでいよいよ先述の「スクリーンのシーン(屏風の場)」をご紹介しよう。これはサー・オリヴァーとジョーゼフのご対面の前にある。
第四幕第三場、浮気な関係になっていたジョーゼフとティーズル令夫人(サー・ピーターの若妻ね)がジョーゼフの書斎で密会をしているところに招かれざる客が次々とやってきてしまう。まずはサー・ピーター、それからチャールズ。ジョーゼフは鉢合わせされると困るティーズル令夫人をスクリーン(=屏風)の裏に、サー・ピーターを戸棚の中へと隠していく。しまいにはチャールズをものにしたくてジョーゼフと手を組んでいるスニアウェル令夫人まで訪ねてきてしまい、ジョーゼフがその場を離れざるをえなくなったところで、チャールズの悪戯心によってすべてが暴かれてしまう。
人によって自分の立場をころころ変えているジョーゼフにとっては話が噛み合わなくなってしまい、嘘に嘘を重ねまくりわけがわからなくなって、おまけにそんな話を一番聞かれると困る張本人がいる中でしなければならないなどの大大大ピンチである。
ここのスクリーンのシーンはずうーーーっとどたばたしてるので、ずうーーーっと可笑しいんだけど、ちょっと一部分をお見せしよう。ティーズル令夫人がすでに屏風の裏に隠れていて、サー・ピーターとジョーゼフが話しているところにチャールズが訪ねて来る。サー・ピーターは自分の妻が浮気をしているのに勘づいていて、相手がチャールズだと疑っておりそれをジョーゼフ(真犯人)に相談していたところだったので、探りを入れてもらおうと自ら隠れようとする。
サー・ピーター 一つ、君、言うことを聞いてくれ、お願いだ。チャールズがあがって来る前に、わたしをどこかへかくしてくれ。それから、さっき話していたことをチャールズに問いつめてくれ。その返事を聞けばわたしも納得がゆく。
ジョーゼフ 何ですか、サー・ピーター!そんな卑しい策略をわたしにさせるんですか?ーー弟をわなにかけるなんて!
サー・ピーター いや、君は、弟はきっと無実だ、と言ったろう。それなら、疑いを晴らす機会を与えてやるがいいーーそれが何より当人のためになる。その上、わたしを安心させてくれる。さ、だから、いやと言うな。(舞台奥へ行き)うん、屏風のうしろがいい。(屏風の方へ行く)おい!何だ!え、もう、立ち聞きしてる奴がいるじゃないか!ーーたしかに見えたぞ、ちらりと、スカートが!ーー
ジョーゼフ は!は!は!こいつはおかしい。実を申しますとね、サー・ピーター、わたしは、企んで色事をするような男は、まったく、いやしい奴だと思いますけれど、でも、まるっきりの堅造〔かたどう〕、聖書のヨセフみたいなのもいいとは限りません!まあ聞いて下さい。あれはフランス洋品店の小娘で、私につきまとって困ってるんです。あなたがおいでになったんで、変な評判でも立つといけないってんで、屏風のうしろへ逃げこんだんです。
サー・ピーター ああ!ジョーゼフ!ジョーゼフ!いたずら者め!うまくやってるな!だが、ほかならぬ君が……だが、おい!その小娘、妻のことを言ったのをすっかり立ち聞きしてしまったわけだ。
ジョーゼフ あ、それは大丈夫、ほかへは洩れません!請けあいます!
サー・ピーター 大丈夫か?じゃあ、ま、すっかり聞かせてしまえ。ーーうん、この戸棚でも間に合うな。ーー
ジョーゼフ おはいりなさい。
サー・ピーター いたずら者め!うまくやってやがる!(戸棚の中へはいる)
ジョーゼフ 危機一髪、あぶないところだった!だが、妙なまわりあわせになったもんだな、夫と妻との間をこんな風にさくなんて。
ティーズル令夫人 (屏風のかげからのぞいて)そうっと逃げ出せない?
ジョーゼフ じっとしてらっしゃい、好い子だから!
サー・ピーター (首を出して)ジョーゼフ、しっかり問いつめろよ。
ジョーゼフ 引っこんでて下さい!
ティーズル令夫人 (のぞいて)錠をかけてサー・ピーターをとじ込めたら?
ジョーゼフ 静かになさい、しっ!
サー・ピーター (のぞいて)洋品店の小娘はしゃべりゃしないか?
ジョーゼフ はいって、はいって、サー・ピーター!ーーええい、戸の鍵があればいいんだが。ーー
チャールズ・サーフィス登場。
チャールズ やあ!兄さん、どうしたんだい?下男の奴、はじめはおれをあげてくれなかったぜ。どうしたんだ!金貸しか、女の子でもいるのかね?
ジョーゼフ どっちもいやしないよ。
この後屏風が倒されて、フランス洋品店の小娘ことティーズル令夫人が現れてしまうのが、先に載せたこの絵の場面というわけだ。
隠し事がいっぺんにバレてしまったジョーゼフだが、この後彼の元に借金まみれの遠い親戚スタンリー(のふりをした叔父)が訪ねてきて助けを乞うも、ジョーゼフはサー・オリヴァーが贈ったはずの物たちを「そんなのもらってない」と嘘をつき、「目処がたったら改めて連絡します」みたいな絶対助けてくれなさそうな適当な言葉であしらう。
面白いのはジョーゼフのスキャンダルが社交界に広まるんだけど、やはりこれまで彼がしてきた「いいこと」が功を奏することもあり、噂はねじれにねじれて「ジョーゼフが悪い」と「ジョーゼフは悪くない」が混同する。この結局誰も悪者にならない感じがわたしはとっても好き。
・恋がたき -The Rivals (1775)
シェリダンの処女作。五幕構成。初演は評判が悪かったのだが、それを受けて書き直し、滑稽なアイルランド人キャラ、サー・ルシウス役により腕のいい役者を采配して再び上演したところ爆発的に大ヒットしたらしい。ざっくり言うと「理想の恋愛」にとらわれすぎた女の子と政略結婚に踊らされる男たちをとりまくラブコメって感じかな。構成として、のちのオスカー・ワイルド『真面目が肝心 -The Importance of Being Earnest』がこれに多大な影響を受けていると言われている。以下あらすじ。
舞台はバースというイングランド南西部の(当時は洒落た最先端の華やかな)町。良家の娘リディアは恋人の条件が「自分より身分が下で貧しい男」という、自分の理想の恋物語に固執している。リディアを落としたいジャック(キャプテン・アブソリュート)は自分を貧しい軍人ビバリーと偽って近づき親しくなる。そんな中ジャックの父サー・アンソニーが現れ、息子に縁談を持ちかける。リディアに入れ込んでいるジャックは断るが、実はその縁談の相手はリディアだった。さらにリディアには他にも二人の男性に言い寄られていて、うち片方はサー・ルシウス・オトリガーというアイルランド人紳士。彼はビバリーという男もリディアに求婚していることを知り、ビバリー(=ジャック)に決闘を申し込む。一方ジャックの友人フォークランドはジュリアというリディアのいとこに夢中なのだが、このフォークランドはひねくれ者で嫉妬深く、思い込みが激しいので見当違いな振る舞いばかりしている。
メインはこの二組のカップルの恋模様で、当時の流行が描かれてるとか人々の気取り方とか政略結婚の感じとかはあれど、プロットはめちゃくちゃ面白いと思うし、とっても良い意味で今でも万人受けするような話だと思う。だってたとえば理想の恋物語そのものを求めてしまうリディアは現代で言うと少女漫画に憧れが強すぎる女の子みたいな、そういうことじゃない?現代に生きるわたしたちでも共感できると思うのよ。
もっと日本のみんなも読もうぜ、と言いたいところなのだが、この作品の特徴でもあり面白さの大事な鍵のひとつでもあり、そしてそれは翻訳するのにはてしなく難易度が高いことが大きな障害になってるのかなあと思う。
リディアの後見人(叔母)で、気取ったお説教や小難しいお話が大好きなマラプロップ夫人という人がいて、彼女は背伸びして難しい言葉を使って話をする癖があるのだが、それがことごとく言葉を言い間違えている、というキャラなのだ。
このMalapropという名前はそもそもフランス語のmal à proposという、不適切な、妥当でない、というような意味の言葉からつけられていて、このキャラがあまりに大受けしたのでMalapropismという言葉が流行り、そのまま英単語として定着したのだ。ちなみに英和辞典(わたしが高校時代に使ってたジーニアス)で引いてみると
malapropism マラプロピズム,言葉のこっけいな誤用《特に発音が多少似ている2語の混同;a musical prodigy(=音楽の天才/神童)をa musical progeny(=音楽の子孫)と言うなど;R.B. Sheridan の劇 The Rivals に登場する老婦人Malaprop夫人の言葉の誤用癖から》
とあった。
このマラプロップ夫人の言い間違いがやはり英語独特のニアミスを笑うものなので、翻訳するとなるとぜったいむっちゃ難しい。「ふとんがふっとんだ」を英語にするのが難しいのと同じね。
どうでもいいけどかつて自分が使ってた英和辞典とか世界史の教科書とかそういうのに、おたくな今となっては常識でも当時は関心すらなかったアイルランドにまつわることが書いてあるのを見つけるとなんか心の奥の方が熱くなるんだよなあ。
日本語版は竹ノ内明子訳でずいぶん昔に出ているのだけど、さすがのAmazonも取り扱いなしだった。読みたいよう。『悪口学校』も面白いけど上演するなら『恋敵』のほうがぜったいうけると思うんだけど、なにしろマラプロップがなあ〜〜〜。なんとかできないかなあ〜〜。
この他にも、当時の舞台制作のようすをメタ的に描いた、三幕構成の劇作家とカンパニーと劇評家の芝居『批評家 -The Critic(1779)』や3月17日のアイルランド最大のお祭りセント・パトリックス・デー当日を舞台にした二幕構成のロマンスもの『聖パトリックの祝日 -St. Patrick's Day(1775)』なども有名。
原文だったら読める可能性はぐっと広がる。こちらは『悪口学校』『恋敵』『批評家』『聖パトリックの祝日』と悲劇『ピッツァロ』の5作品の原文戯曲テキストリンク。
映画やテレビドラマもたくさんつくられているので、見ようと思えば見れるんだけど例によって英語オンリー。あと全体的に製作が古い(50年以上前とかがほとんど)。
シェリダンはとにかく面白いんです、見てもらうのがほんとは一番なんです、それも舞台の上が一番面白いはずなんで、多少言葉が分からなくても面白さは分かるはず!今後もしどこかで彼の作品を見る機会が訪れたら見逃さないでほしいのでどうか心の片隅にでも置いといてください!!!
もし有識者の方がこれを読まれて、もし何か間違いなどがあればそっと教えてください。何卒。
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