コソボのイメージがだいぶ変わった日(2023年8月11日)
こんにちは、車でユーラシア大陸を横断してアフリカを目指しているまよりこです。
【これまでの経路】日本🇯🇵→韓国🇰🇷→カザフスタン🇰🇿→ウズベキスタン🇺🇿→カザフスタン🇰🇿→アゼルバイジャン🇦🇿→ジョージア🇬🇪→アルメニア🇦🇲→ジョージア🇬🇪→トルコ🇹🇷→ブルガリア🇧🇬→セルビア🇷🇸→コソボ🇽🇰
2023/8/11 Prokuplje, Serbia→Prezren, Kosovo
今日は昨日と違って、無事に誰にも起こされずに、平和な朝を迎えました。
今日はコソボに向かいます。
セルビアでは観光という観光はしませんでしたが、田舎の素朴な雰囲気がとても好きでした。
オレンジ屋根の白い壁の家に、赤やピンクのバラが庭にあるというパターンが多くて、とても可愛い。
セルビアはコソボを国と認めていないので、セルビア→コソボ入国時はどんな手続きなのかな?とドキドキ。
出国・入国スタンプどちらも押されなかったのではっきりとよくわかりませんが、おそらく入国手続きだけした感じでした。
コソボ入国にはVignette(ビネット)という高速道路料金/インフラ税的なものが必須と言われ、15ユーロ(現金のみ)で購入しました。
入国してすぐに気づいたのは、アルバニアの国旗がいたるところに掲げられているとこ。
アルバニア国旗以外にも、独立にあたって支援したEUや国の国旗が良く目立つ。
独立してまだ約20年。民族対立意識はまだ続いているのが垣間見えます。
意外だったのが、ドイツの国旗や製品(ケルヒャーやドイツ車のディーラーがたくさん)なども見かけたこと。
おそらく独立にあたって大々的にバックアップしてきた国の一つなので、取引が多いのかな?
首都のプリシュティナは、通り過ぎただけだけど、マンションなどけっこう建設中の建物が多い印象。
これから大きくなっていくのかな。
Wifiが欲しくて適当なカフェに入ると、英語の話せる40代くらいの女性オーナー曰く、この店は伝統的なコソボスイーツで有名らしい。
1つ頂くことに。
トルコで食べたスイーツとそっくりだけど、ちょっと味付けが違う気がする。
試食でミートパイ的なものも頂いちゃいました。
その後通った名前のわからない町を観察するのが面白かったな。
結構モスクやおじさんたちがたむろするカフェ、ヒジャブをかぶった人も見かけられ、トルコを思い出させるような、オスマン帝国の影響が感じられた。
それから、新築のきれいめなお家が多い印象。国が比較的新しいのが影響しているのかな?
軍事用地も多い印象。
色々他の国と違う。
次にMitrovicaという町に向かいます。
ここは「分断の街」ともいわれ、イヴァル川という川を隔てて、北側にセルビア人、南側にアルバニア人が住んでいる、争いが絶えないセンシティブなエリア。
橋は両側に両国の警察が常に監視していて、どきどきしながら渡ります。
色んなブログなどを呼んだ通り南側は比較的活気があるけど、北側は少し活気が薄れてどんよりした雰囲気。
北側の車はすべてナンバープレートの国名がシールで隠されていたのが印象的でした。
調べてみると2年前、これを巡って対立があったそう。
アルバニア系のコソボ政府が、これまで自由な乗り入れを認めていたセルビアのナンバープレートを付けた車に対し、コソボで交付された仮ナンバープレートに付け替えなければ入国を認めない措置を取ったのに対して、セルビア系側の反感が高まったそう。
最終的には、特別なシールを貼る暫定的な対策を取ることで一致したそう。
(ざっと調べただけなので間違っていたらごめんなさい)
それでも、橋を両側の人が行き来している様子はあったので、完全に北と南に壁がある訳ではなさそうな印象を受けました。
Mitrovicaからの帰り際、なぜかコソボ人にめっちゃ話しかけられますw
ハロー!とか、コソボはいい国だからもっと泊まっていってね!とか。コソボはアジア人はそこまで来ないからなのか、お国柄なのか、どっちなのだろう。
有難く挨拶し返しておきました。
今日は最後に、Reçakutという村に向かいます。
NATOがセルビアとコソボの紛争に本格介入するきっかけとなったアルバニア人虐殺が起きた村らしい。そんなことを感じさせないくらい可愛くて平和な町でした。
最後に車中泊の場所探しに向かいます。アルバニアとの国境に向かう途中に、プリズレンPrezrenという町があるのでその周辺で探してみます。
町はかなりにぎわっていて、巨大なホテルもあったりして、後から調べたらコソボの第2の中核都市とのこと。モスクなども多く、オスマン帝国時代の街並みが残る古都だそう。
町を少し出て車を走らせると、崖の下を走る道が!
川沿いの良いスポットを見つけてここで寝ることにします。
おやすみなさい!
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