【書く習慣Day22】自分の弱さを正直にさらけ出したら、人付き合いがラクになってきた女の話
今日のテーマは「人付き合いで1番大切だと思うこと」
(この記事、下書き状態でそのままにしてしまっていた……というのは横に置いといて)
さーいってみよー!
わたしは人付き合いがド下手
本題に入る前にひとつ。
(今日の記事は前置きが長くなっちゃった)
わたしは幼少期から今に至るまで、とにかく人付き合いがド下手だ。
保育園の頃は、まぁ自由奔放に楽しくやってたと思う。「絵を描く人になりたい」という夢もあったし、友達と園内を走り回ってた記憶もある。
でも、小学校の記憶はあまりない。何があったかわからんが、根暗を極めてた気がする。
休み時間や放課後、友人と遊ぶときもあったけど無理して合わせてたことも多々あるけど、逆に、「無理する必要なくね?」と考え1人で行動し始めたらやりすぎて、ちょっとクラスで浮いた感じになったり、親に心配されたりすることはしょっちゅう……。
その後、成長するに連れて「自分の殻にこもってちゃ勿体ないよな」と興味のある場所に思いきって単身で飛び込んだり、人に会いに行ったりと社交的に振る舞ってみるようになったものの、
結局、なんだか周りに溶け込めないような、一生に同じ時間を楽しめていない気がしたし、たとえ友人であろうと、長時間いっしょに居ると気を遣ってしまっていた。
そして、いっちょ前に恋愛するような年齢になると、人付き合いがド下手なのはもっと悪化した。
1人ぼっちで生きるのは世界が広がらなくてつまらなかったから、外の世界と繋がりたくて人と関わったけど、結局、適切な関係を築けなくて壊すことの方が多かった。まるで、自分が竜巻にでもなったかのようだった。
これ以上傷つかないよう、自分自身に呪いをかけた
ところで、わたしは最近、30代になるまでずぅーっと、自分の弱さや苦手を隠して、誤魔化し誤魔化し生きてきたことに改めて気がついた。
……いや、もしかしたら、最初のうちは弱みを見せていて、両親や友人にそれとなく、苦手や不安を伝えていたのかもしれない。そして、それに対して、ポジティブなメッセージをくれた人がいたのかもしれない。
でも、当時のわたしはそれを上手く受け取れなかった。
「大丈夫、気にし過ぎだよ」と言われる度、胸がチクチク傷んだ。
だって、気にしないようにしても無理だった……困りごとがあったら相談してねって言ってもらったから、勇気を出して自分の気持ちを伝えたのに、返ってくる言葉は「気にしなければいいよ」だったから。
「やっぱり、自分が弱いのかな」
「自分が周りとズレてるから親に心配されるのか?それなら、“それなりにできてる”人間になれたら何も言われずに済む?」
こんなふうに考えるようになって、いつしかわたしは、自分自身に呪いをかけてしまった。「“普通“に生きていけているわたしを演じろ」と。そして、正直に心の内を明かすのをやめた。
傷つけられるのも、助けてくれるのも人だから、わたしは人と付き合う
でも、わたしは結局、人との付き合いを完全に断つことはできなかった。
以前、人にこれ以上迷惑かけたくないからと、部屋に1人引きこもってみたことがあったけど、あまり意味なかったよ。
相談できる人なんて居ないと思ったから、1人で今後どうするか真剣に考えようとしたけど、脳内がグチャグチャで、毎日なかなか眠れないか眠りすぎるかのどちらかだった。
でも、自分の弱さを認めて、少しずつ人に弱みを見せられるようになってから、不思議とスムーズに事が進み始めた。
結局、人との関係に悩んでたけど、人に助けられてきたのもまた事実だ、と今は思う。
もちろん、自分の全部をさらけ出す必要はないし、相手を傷つけてしまう可能性がある場合は、逆に自分の本心を明かさない方が良いケースもある。
でも、正直に生きていくのは気持ちがいい。
何かあったとき、「自分はこう思うんだけど、あなたはどう?」って聞いてみる。
相手がどう返してくるかわからないけど、相手の反応は相手が決めることで、自分はコントロールできないし、しちゃいけない。
相手の反応を想像してしまって勝手に不安になることもあるけど、結局、それは自分の妄想にすぎない。
自分が謙虚に、正直に生きていけさえすれば、後ろめたい気持ちは減っていくんじゃないかと思う。少なくとも、わたしはそう。
わたしが自分にかけた、『正直に話すのはやめておこう』という呪いはかなり強力。正直に生きたいって思っていても、まだまだ本心を明かすのは怖い。
それでも、これからは正直に生きたいなって思う。自分の正直な気持を誰かがわかってくれたら、すごく嬉しくて、心が通じたような気持ちになれるから。
お わ り 🤓
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