人生における気づきと、「神様」

 人生は、やりたいこと全部やって、それぞれで自分の限界を知るのが大切なんだ。その時の限界を知った上で、自分がそれに挑み続けるべきなのか、他の強みを探すべきなのか。そうやって自分の可能性を模索し続けるのが大事なんだ。
 わたしは大学の学部4年間のほとんどでそれをできなかった。
 しかしこの自分自身の問題は、もっと昔からある根深いもので、多分、高校生の頃?、もっと遡ってもいいかもしれない。中学生、小学生…。自分が生まれるずっと前からの問題なのかもしれない。
 親がいて、それぞれ自分を生きる苦しみを持っていて。親の親も、苦しみながら生きて。そのまた親も…。そうやって脈々と親から子に染み込んできた何か。
不完全な人間が不完全な人間を生んで無意識に託すもの。生み落とした後、育てるならその間も引き継ぎがされたりする。(生みの親と育ての親が違うならば双方から引き継ぐものがあると思う。考え始めるとキリがないので締めます。)
 わたしの親は、わたしを生んだ後、かなりの誠意をもってわたしを育ててくれたと思うけど、わたしは彼らの人間的な弱さも十分に受け取っている。そうした中で、わたしの場合だと、「自分の可能性を広げようとしない弱さを克服する」が、ひとまずの人生の課題になるのは、必然だったのだと思う。

 生まれる場所を選べない(選んでいるかも)わたしたちは全員、それぞれ天命を持っている。最近そういうことを真面目に考える。
 神様によって天命は与えられる。そしてその天命に沿って、人生の節目が作られ、それぞれの節目に必要な悟りがもたらされる。
 神様って言ったけど、「神様」の正体って、「今まで生まれ落ちた人々の悔いと望みの結晶」だったりしないかな、なんて思う。多分その結晶は、遺伝子のように組み込まれているもので、だから人によって「神様」は違う気がする。けっこう雑な考え方だけど。(この話はもっと突き詰める余地があるな。)
 そう考えると、子どもを生むっていうのは、すごいことだなと思う。異なる神様と天命を持つ二人が融合して、新たな神様と天命を生む。

 色々思いつきの思想を書いてしまったけど、とにかく神様は、絶対に、悟らせるタイミングを狂わせない。
 きっかけは、人との出会いや別れといった関わりの変化だったりすることが多いけど、多分それは、それぞれの人の中にいる神様が、そうやってすり合わせているのだと思う。
 一人一人に神様が宿っていて、やり取りをしている。とんでもなくすごいことを普段わたしたちは何気なくしているんだなと、少し怖くなる。

 今わたしは、やってみたいことにたくさん手をつけて、自分を試している最中だ。その中で色々な人と接することも増えた。久しい人と違う形で関わったりもする。一日一日を生きるのが前よりもずっと楽しい。自分のダメさを感じることもあり、もちろん楽しいばかりではないけど。気づけて本当によかった。何事もなるべくしてこうなっている。

 きっと自分の中にいる神様がこういう順番にしている。だからどんなことがあっても絶対に大丈夫。そこからもたらされるものが必ずある。

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