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オーストリアのユースワークはどんな感じ?

さて、いままで連日に渡ってグラーツのユースワークを特集してきましたが、ここで少し視野を広げ、オーストリアにとって「Jugendarbeit」(以下、ユースワークという言葉で代用する。)はいかなる状況かをとても簡単に紹介する。
まず歴史から、、
オーストリアではユースワーク的取り組みが19世紀半ばから、宗教的な領域で始まったとされている。これはやや日本の勤労青少年施設に近いような、地方から都会に来る若者の支援の一環として始まった。特徴的なのは、そういった若者に対して寝床の支援も行っていたようだ。
19世紀後半から第一次世界大戦後にかけて、オーストリアは領土縮小の過程で、「オーストリア人」というアイデンティティの再確保とともに、様々な思想、主張を持った若者団体が乱立するように生まれ、そこで若者の余暇活動が盛んに実践されていた。しかしそれらは、第二次世界大戦時に、国家社会党とヒトラーユーゲント、ドイツ連邦共和国といった青年組織のみに絞られることとなる。
第二次世界大戦後、以前の青年組織の再結成が起こり、それぞれが協力し、オーストリア連邦青年団というネットワークを形成し始める。1960年代からは、既存の若者組織にとらわれない、つまりは宗教や政治に左右されない、若者自治が最優先の場が生まれ始める。このことから、オーストリアでは「Offtene Jugendarbeit」という、開かれたユースワーク的な呼ばれ方をするようになる。
そういった、オープンユースワークは現在、オーストリア全土の統括組織を持ち、知識情報の共有、質の向上を掲げている。オーストリア全土で、オープンなセンターは637か所を数えられ、フルタイムのワーカーは2000人を超えるとされている。各中学校区に1つのセンターがあるといっても過言ではない状況だ。そしてそれらの約半数が、協会によって運営され、そのほかは地方自治体が40%を占めるなど、自治体の若者局が積極的に活動している地域も多い実態がある。
基本的にセンターでは、ソーシャルペタゴジーの資格を持つワーカーがいる。資格は大学、専門学校、地域によっては経験+研修で取得することができる。予算は基本的には街単位の行政から出されるが、州という場合もある。オーストリアは州ごとに若者を管轄する部門や若者政策が異なることから、それぞれ地域で特色のある活動が実践されているように思われる。

とても簡単に、オーストリア全土のユースワークの様子を伝えようと思うと、このような感じ。

オーストリアは人口が約900万人の国で、面積は北海道とほぼ同じサイズでありながら、8カ国と国境を接する国である。隣接する国家からの多様な背景を持つ若者、さらには各州にある都市は学生都市としても機能することから、世界中から若者がやってくる。それでも尚、日本でもあるように、地方の若者の減少課題が叫ばれている。職業は欧州の中でも充実している方とも言われる。

そんなオーストリアのユースワーク、特にグラーツ周辺を中心に、私たちは個人的に調査をしている。体1つでは限界があるため、グラーツに特化した情報が多いが、ご了承願いたい。ただ、現地の生の声、数字では見えてこない部分を伝えられるのも私たちの特徴かと思うため、できるだけ鮮明に記録していく。

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