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自由の宗教化

「自由」って聞いて悪いイメージを持つ人はいるのだろうか。上枝美典『「神」という謎』には、「自由という概念ほど、洋の東西、老若男女を問わず人気の高い概念は珍しい」と書かれる。

確かにそうだ。フランスでは、「自由・平等・愛」が掲げられているぐらい、自由はいいものだと捉えられている。

そもそも、自由とはなんなのか?。辞書を引いてみる。

「自由とはまず第一に、強制や束縛を受けずに気ままにふるまえることを意味する。(中略)。憲法では、さまざまな事柄に関して個人の自由が保障されているが、これもそうした事柄に関して国家や他人からの不当な干渉を排除するという意味では、強制、束縛からの自由とみることができる。」

"自由", 日本大百科全書(ニッポニカ), JapanKnowledge, https://japanknowledge.com , (参照 2020-08-08)

とか、、

「自由には、もう一つ、消極的な「……からの自由」ではなくて、積極的な「……への自由」という意味もある。哲学において選択や決断の自由とよばれるもので、古来この自由は自由意志の問題として論議されてきた。」

"自由", 日本大百科全書(ニッポニカ), JapanKnowledge, https://japanknowledge.com , (参照 2020-08-08)

そしてそして、

「17、18世紀の市民革命期に、ホッブズ、ロック、ルソーなどが、人間は生来、自由で平等な存在であるとして、人間の自由を確保できるような政治社会をつくるように提案して以来、自由の重要性が人々の間で認識されるようになった。」

"自由", 日本大百科全書(ニッポニカ), JapanKnowledge, https://japanknowledge.com , (参照 2020-08-08)

このように自由には、視点、前後につく文脈によって、様々な捉え方をすることができるような感じがする。人々が自由を信仰するのなら、自由にもいろんな定義があり、それぞれ信仰集団をもつ教団になっている。まさに、自由という文字の分派。

果たして、自由とはそんなにいいものなのか。17世紀、18世紀に自由や平等が説かれたのであれば、人間が自由とともに歩んできた歴史はそう長くは無い。キリスト教や仏教、イスラム教をはじめとする、世界に広がる数多くの宗教よりも、新しい宗教なのかもしれない。

果たして人間は自由を完全な存在、まさに一神教の神のように奉ることで幸せになれるのだろうか。果たして人間は自由が表すような、強制や束縛、制約を受けない状況に達することができるのだろうか。

私の現段階における個人的見解は、ノーだ。人間は生きている限り、仕事をしなければならないからだ。ここでいう仕事とは、生きること。つまり、生きるために、生きるという仕事をしなければならないのだ。食べたり、寝たり、、、生存欲求の最低限はしなければ生きていけないだろう。

これら仕事がある限り、自由にはなれないんじゃないかな。かといって、自由を目指し、死ぬというのもあっているかどうか、今の人間界では答えが出ていないだろう。

つまり何が言いたいかというと、自由という言葉とのつきあい方をある程度考えなければいけないよねって話。カルトにのめり込んだ人のように、お金も生活も何もかも吸い取られるような自由は、果たして本当の自由なのか。自由の名の下に、自由を破壊する人生は自由なのか。そんなこんなで自由に対する批判的思考というのを養わなければならない、そんなことを考える8月の暑い日であった。

地球にいる限りこの暑さから、自由になることはできないのだろうか。これに拍車をかける、地球温暖化に携わる我々、つきあい方見直さないとね。自由のために、地球を壊し、自由から遠ざかる生活に自由信者の皆で終止符を。

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