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元素概念の進化(1)

以下は、飽くまでもソクラテス以前の自然哲学の話である。

物事を具体的にとらえることから抽象的に考えるようになることを仮に「精神の進化」と呼ぶ。(ここに価値判断はない。生物が進化するように人間の精神も進化するというだけであって、具体的にとらえることが未熟で悪いというのではなく、また抽象的に把握することが成熟した望ましい在り方であるというのでもない。)

人間の思考は具体的思考から抽象的思考へと進化するが、両者は等価であって、その内実は等しく、そこに優劣はない。具体的思考の欠陥が抽象的思考によって補われ、また抽象的思考の不足が具体的思考によって埋められるのである。前者が否定されて後者と取り換えられるのではなくて、前者がいわば成長して後者へとなるのである。(とはいえ、具体的思考では自然言語が用いられており、抽象的思考は科学的に表現されているとすれば、自然言語はそれぞれの言葉が多義的であってどうしても何らかの曖昧性は残存するであろうし、対して科学的抽象理論は使用される用語は厳密に定義されて一義的であろうから、両者が隅から隅までピタリと一致することはないであろう。私がここでいう「等価性」というのは、飽くまでも理念的なものである。)

具体的思考と抽象的思考の相補性は、理系の学問でいえば、例えば理論を実験や観察によって検証することである。理論とは、提唱者の脳内にあるだけであって、いまだ現実に確認されていないことであり、その意味では抽象的思考である。実験・観察とは、現実に確認できるものであり、それらの意味を確認する者が具体的に思考するのである。抽象的理論だけでは不十分なので、これを具体的な観察・実験によってその不備を補うことにより、私たちは自然の秘密を知るのである。理論を形成せずに闇雲に観察やら実験やらを続けるだけでは、データは山ほど蓄積されようとも、自然の本質を暴けやしないであろう。逆に、独創的理論を思いついたとしても、実験や観察の裏付けがなければ独断に陥るだけであろう。互いが互いを必要とするのであり、両者が総合されて始めて私たちは真理の山頂に到るのである。理論も必要なら実験・観察も必要なのであり、その意味で両者に優劣はなく、等価なのである。また理論が正しければその内実は実験・観察の結果に示されるのであって、この点からも抽象的理論と具体的実験・観察は等価なのである。私のいう「等価性」とは、両者に優劣がないという等価性であり、同時に両者の内実は同等であるという意味の等価性なのである。

このような抽象的思考と具体的思考は、文化人類学的に言えば、レヴィ=ストロースのいう「科学的思考」と「野生の思考」におおむね相当し、キリスト教の愛の教えに即して言えば、イエスにおける「隣人愛」と「善きサマリア人のたとえ」に当たるように思わる。あるいは、科学的理論とそれに相当する何らかの寓話・比喩・諺などの等価性もあり得ると考える。ここでは、科学理論と諺の等価性として、カオス理論と「風が吹けば桶屋が儲かる」というものを紹介したいと思う。(私は科学音痴なので、読者諸子よ、ここでは話を単純化することを許されたし。)

まず、カオス理論の「カオス」とは何か。簡潔に広辞苑の定義に従おう。

初期条件によって以後の運動が一意に定まる系においても、初期条件のわずかな差が長時間後に大きな違いを生じ、実際上結果が予測できない現象。流体の運動や生態系の変動などに見られる。

次に、「風が吹けば桶屋が儲かる」という諺はどういう意味なのか。同じく広辞苑によれば以下の通りである。

「風が吹くと砂ぼこりが出て盲人がふえ、盲人は三味線をひくのでそれに張る猫の皮が必要で猫が減り、そのため鼠がふえて桶をかじるので桶屋が繁盛する。思わぬ結果が生じる、あるいは、あてにならぬ期待をすることのたとえ。」

これらカオス理論と「風が吹くと」の諺の内実は、完全な等価ではないにしても、重なる部分は少なからず見いだされると考える。カオスとは「結果が予測できない現象」であり、「風が吹くと」の諺は「思わぬ結果が生じる」ことであり、いずれも複雑な事象内における予測の不可能性を伝えており、その意味で重なるところがあると解釈できるのである。カオスでは、ちょっとした最初の条件の違いが予想を超えた結果の違いをもたらしているのであり、「風が吹くと」の諺では、実にさまざまなる条件が折り重なって、とても予測できないような結果が生じるのである。そしてカオス理論が科学的であり抽象的思考の賜物であるのならば、「風が吹くと」の諺は庶民の日常生活の日常言語に基づいた一種の寓話であり、具体的思考の産物なのであり、両者は重なる一点があるのであり、その意味で(少々強引ながらも)等価性が担保されるのである。

さて、ここから元素概念の進化について述べようと思う。繰り返すが、飽くまでもソクラテス以前の自然哲学の話である。(続く)


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