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問いの構造と万物の根源

以下はハイデッガーの『存在と時間』の記述を自己流に解釈してソクラテス以前の思想に適用したものである。それなりに考えつつ書いてはみたが、どうにもいろいろと修正する必要がありそうである。

ハイデッガーは問いについて次のように述べる。問いといえば、人はものを問う際にまず何かについて問い(what is asked about)、次にその何かを吟味し(what is interrogated)、最後にその何かが何であるのかを見出す(what is to be found out)、と。ハイデッガーにとっては、何について問うているのかといえば存在であり、その何かを吟味する際には「存在とは何か」と問う存在者である人間を吟味していくのであった。そしてハイデッガーがついに何を見出したのかは、私にはまだわからない。

この問いの構造は普遍的なるものであって、誰であれ何かを探究すれば立ち現れるものである。例えば、ガリレオは新たなる宇宙像を作り上げたのであるが、何について調べたのか、といえば、まずは宇宙についてである。次に、では宇宙をどうやって調べたのかといえば、宇宙のいたるところに点在する天体であり、ひとまずは最寄りの月でも、と調べたのである。だから何を吟味するのか、としたら月を吟味観察したのである。そして月に望遠鏡を向け、焦点を絞ってじっくり観察して何が見出されたのかといえば、月には凹凸があるということであり、かくして従来の宇宙は全体としても個々の天体においても完全なる円形である、という中世的価値観は脆くも崩壊したのである。かくして、問いは完結して答えが得られるのである。

これをソクラテス以前の諸子に適用してみよう。タレスである。タレスはまず何かについて問うたのであるが、何についてかといえば、世界についてなのである。タレスは全体としての世界のメカニズムを知りたかったのである。次に、その世界の何を吟味したのかといえば、いろいろな事物を吟味したのであろうが、中でも水に焦点を絞って吟味したのである。周囲の諸々の事物を吟味観察すれば、あらゆる生命体は水を必要としており、水分なくしては干からびて死ぬのであり、十分なる水分を摂取すればよく成長し自らを維持するのである。人間とてもそうであり、水を飲まなければ人間はすぐにも死ぬのであり、血液とても水なのである。また、大地は水に取り囲まれていることからおそらくは大地は水に浮いているのであり、大地すらも水に支えられているのである云々。以上は、私の空想も交えたものであるが、おそらくはタレスの考えたことである。かくして、タレスが水を吟味観察することを通して何を見出したのかといえば、水が万物の根源たるに相応しい、ということなのである。

かくしてその万物の根源はタレスにとっては水となったのである。タレスは世界について問い、世界内のさまざまな事物を吟味することを通して水の綿密なる吟味観察を行い、かくして水こそが万物の根源たるに相応しいということを見出したのである。

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