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2019年3月の記事一覧

ロバート・リンドの無常感

ロバート・リンドの無常感

無常感は日本独自のものではない。次の一節はロバート・リンドRobert LyndのThe Pearl of Bellsというエッセイ集からである。

With most men the knowledge that they must ultimately die does not weaken the pleasure in being at present alive. To the poet

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九鬼周造の「もののあはれ」と無常感

九鬼周造の「もののあはれ」と無常感

九鬼周造は言う。

「万物は、有限な他者であって、かつまた有限な自己である。それがいわゆる「もののあはれ」である。「もののあはれ」とは、万物の有限性からおのずから湧いてくる自己内奥の哀調にほかならない。客観的感情の「憐み」と、主観的感情の「哀れ」とは、相制約している。「あはれ」の「あ」も「はれ」も共に感動詞であるが、自己が他者の有限性に向って、また他者を通して自己自身の有限性に向って、「あ」と呼び

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花鳥風月

花鳥風月

古来より、日本人は春夏秋冬の巡りに敏感であった。人々は春には鶯の歌声に喜び、秋には紅葉を愛でるのであった。人々はそれぞれの季節の風物を通して、ある季節がいっそうそれらしくなっていくのを喜び迎え、またある季節の内部より次の季節が現れつつある姿に驚嘆するのであった。そうして一つの季節が静かに滅んでいくのであり、それをひときわ深く悲しむのであった。

・尾張連(おはりのむらじ)の歌
うちなびく春来るらし

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『徒然草』の弁証法

『徒然草』の弁証法

『徒然草』第百五十五段には、次のような一節がある。

「春暮れてのち夏になり、夏はてて秋のくるにはあらず。春はやがて夏の気をもよほし、夏より既に秋はかよひ、秋は則ち寒くなり、十月は小春の天気、草も青くなり、梅もつぼみぬ。木の葉の落つるも、まづ落ちてめぐむにはあらず、下よりきざしつはるに堪へずして、落つるなり。迎ふる気、下にまうけたる故に、待ちとるついで甚だはやし。」

(春が暮れてから夏になり、夏

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『伊勢物語』の無常感

『伊勢物語』の無常感

古来より、日本人は自然や物事の移り変わりに敏感であった。自然も人事も変転きわまりないものであるが、自然はいつしか以前の姿に回帰するのに対して、人事はその姿を失うや二度と元には復帰しないのであった。世は移ろって元に戻らず、人は老い、または死んでいくのであって、再び元の懐かしい頃には帰らないのであった。次の一節は日本文学史上稀(まれ)にみる色好みであり、かつロマンチックでもあった在原業平(ありわらのな

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