- 運営しているクリエイター
2019年3月の記事一覧
ロバート・リンドの無常感
無常感は日本独自のものではない。次の一節はロバート・リンドRobert LyndのThe Pearl of Bellsというエッセイ集からである。
With most men the knowledge that they must ultimately die does not weaken the pleasure in being at present alive. To the poet
九鬼周造の「もののあはれ」と無常感
九鬼周造は言う。
「万物は、有限な他者であって、かつまた有限な自己である。それがいわゆる「もののあはれ」である。「もののあはれ」とは、万物の有限性からおのずから湧いてくる自己内奥の哀調にほかならない。客観的感情の「憐み」と、主観的感情の「哀れ」とは、相制約している。「あはれ」の「あ」も「はれ」も共に感動詞であるが、自己が他者の有限性に向って、また他者を通して自己自身の有限性に向って、「あ」と呼び
『伊勢物語』の無常感
古来より、日本人は自然や物事の移り変わりに敏感であった。自然も人事も変転きわまりないものであるが、自然はいつしか以前の姿に回帰するのに対して、人事はその姿を失うや二度と元には復帰しないのであった。世は移ろって元に戻らず、人は老い、または死んでいくのであって、再び元の懐かしい頃には帰らないのであった。次の一節は日本文学史上稀(まれ)にみる色好みであり、かつロマンチックでもあった在原業平(ありわらのな
もっとみる