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「導く」という言葉について思うこと

ここのところ、ずっと違和感を感じている言葉があります。
【導く】という言葉です。

3日くらい考えていて、わたしはこの言葉が苦手なんだな、と気付きました。 占い師は人を「導く」存在だから、とよく言われます。

けれど、わたしはリーダーは要らないと思うのです。

みんながみんな、自分のリーダーであって欲しい。

誰かに導かれる無力な存在ではなく、自分のことは自分で決められる主体的かつ自由な存在であって欲しいのです。
導かれる必要のある人なんていない。
みんながみんな、それぞれの心のうちに強さも力も個性という才能も持っている。

わたしには生まれる前の記憶があります。
これは特別な存在だからではなく、単に覚えているというだけです。

生まれてくる前、知らないおじさんと生まれる時期を相談しあいました。
いつがいいか、どこがいいか?
「この時期がいい!」
と言ったら、猛烈に止められました。
この時期は時代の転換点だから・苦労をするから、といった理由からでした。
でも、わたしはこの時代に生まれること・生きることを選びました。
生まれるとき、3つ持っていくツールを選んだことを覚えています。
これがあるから大丈夫。
それらは、1つ以外は忘れてしまいました。

この投稿を読んでいるあなたもきっとその列に並んでいた人なんだと思います。
(みんな、自分で決めて選んで生まれてきて偉い!)

時代の大きな変わり目は、苦しいけれど、他では体験できないジェットコースターと脱出ゲームが味わえます。
ジェットコースターに乗ると決めたら、脱出ゲームをすると決めたら、自分のリーダーは自分です。

わたし達は誰かに導かれる無力な存在ではなく、さまざまなヒントをかき集めて、この大変で面白い時代を体験するために生まれてきたのです。

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