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行動することの大切さ


この間、何年もずーっと気になっていた脱毛の契約をついにした。
その時、ポジキャリでの自分の変化を感じられたので、その事を書こうと思う。

新しいことを始められない私

かつての私は、新しいことを始めようと思った時、まず情報収集をしていた。

情報収集は今でも大事だと思う。
でも、集めるのは「次の行動方針を決める為」の情報だけでいい。
行動できそうな目処が立てば、その時点でやってみればいいと思う。

でも、かつての私は違った。
初めてやる事でも、最初からベストな行動を選択したかった。
今なら分かる、そんなのほぼ無理だ。できたとしてもハードルが高すぎる!

でもかつての私は出来ると信じていた。
もちろんハードルが高いので沢山調べる必要がある。そうして調べて知識が増えると、新たな疑問や不安が出てきて、さらに調べなくてはいけない…結果、検索魔になっていた。

そのうち、検索する事に疲れ、たくさんの知識と不安を抱えた結果、行動にたどり着く前にエネルギー切れを起こす。やりたかったはずのことなのに、そのことを考えるのさえ面倒になってきて、結局やらない。
こんなことを繰り返していた。

読んでみて思う。これぞまさしく本末転倒
この四文字熟語のお手本事例として、辞書に載せれるんじゃないかってレベルでこの言葉がピッタリである。

でも、かつての私はこの状態に本気で気づいていなかった。
親にも「石橋を叩きすぎて叩き割るタイプ」と言われたことがあったが、その時も
「私が叩いたぐらいで割れる橋なんて、それは石でできているだけで、私が渡れるだけの強度が足りなかったってことでしょ?
と思っていた。

でも、私の耐久テストは、どちらかというと粗探しに近かったと思う。なので、粗が見つからないと叩き続ける事になる。何でも叩き続ければ割れるのが普通だと思う。

ちょっと考えてみて欲しい。
「石橋を叩きまくる耐久性テスト」より「橋を歩いて渡る」方が明らかに楽である。そして、そもそも橋は渡る為にかけてあるのだ。
なのに、わたしは渡りもせず、手前から一生懸命耐久テストをしている。
そんな私は、外から見れば「石橋を渡る為に耐久テストしてる人」ではなく「石橋を叩き割ろうとしてる人」だったと思う。親が言いたかったのはそういうことなんだと思う。

さて、そうして元々あった石橋が割れた、もしくは割れそうになったら、もう怖くて渡れない。割れてなくても、テストで何か弱点が見つかったら、もう怖くて渡れない
渡る為には何かで橋を補強するか、掛け直さなくてはいけない。
耐久テストで既に疲れているのに、こっから、まず補強に何の素材を使うかから検討して…
…いや、めんどくさすぎるやろ。無理。もうやーめた。渡らなくていいや。
ってかなんで橋割れちゃうのよ。しょぼいな。みんなよくこんなしょぼい橋渡れたな。
怖いもの知らずすぎでしょう。

…これが、新しいことを始められない私の顛末だった。
ちなみに「石橋を叩きまくる耐久テスト」が「検索魔」である。
そう、なのでこの検索魔、めっちゃ疲れるのだ。調べるほど増える不安に、ベストな選択を考えることにエネルギーがゴリゴリと削られていく。そうして、渡れない理由を探すか作っている。何がしたいんだ私…って感じだが、過去の私はいたって真面目にこうなっていた。

かつての私も、自分が腰が重いタイプだな、とは思っていた。でもそれは、何かを決断して行動するのに莫大なエネルギーが必要だから、私にそのエネルギーが少なめなんだと思っていた。
だから、すぐ行動できる人はとってもエネルギッシュな人なんだなと思っていた。

でも違う。私はみんなが行動する為に使っている領域のエネルギーまで、考えることに全振りしていたのだ。行動につながらなくてある意味当然である。
この事に気づき、行動分のエネルギーを残すように意識できるようになっただけで、今回実際に行動を起こせた。本当にポジキャリ受けてよかったと思う。

調べてわかる事、分からない事

さて、やっと契約時の話。笑
医療脱毛の無料カウンセリングを受けて、そのまま契約してきた。

カウンセリングの中で、対応してくれた看護師さんから聞いた話。
なんと、95%知ってました。笑
なんなら、このクリニックにはない機械の脱毛の仕組みとかも知ってる。やってもないのに知識だけは一人前。
「さすがに調べすぎでしょ」って自分で笑いそうだった。

でも、看護師さんに唯一、そしてとっても重要な箇所で、知らないことを言われた。

「処理をしなくて良いレベルまで脱毛したいのであれば、10回以上のコースで契約することをお勧めしております」
「6回のコースでは、追加ありきになると思いますが、よろしいですか?」

えー!?そんな感じなのー!?
通う回数が少ないから医療脱毛にしたのに、それじゃあ結局時間もお金もかかるじゃん!!

そう、満足できるレベルになれる処置回数、は調べてもばらつきがあった。
あんなに調べても分からないこともあるのだ。
まあ、効果は個人差がどうしてもあるので、仕方ないかなとは思った。
それでも5回以上やれば医療ならだいぶ薄くなる、って書いてあったんだけどな!?あれ!?

かつての私だったら、新たに出た不安に耐えきれず、看護師さんおすすめの10回以上のコースを契約していたであろう。
でも、看護師さんのおすすめコース、想定の倍以上する。高いし、施術回数が増える。

一度出直すか…?えーでももっかい来るのめんどくさいなぁ、せっかく今回来れたのに。
今考えれないかな、と一度自分の目的に立ち返ってみた。

自分に合った選択

私は、美意識が高い訳ではない。むしろ低めな方だと思う。
じゃあなぜ脱毛をしようと思ったのか。それは「毛が見えるのは気になるが、いちいち剃るのはめんどくさいし忘れるから」である。

私はとてもめんどくさがり。そして、美意識は低めだが、清潔感は保ちたいなと思っている。
清潔感がある、というのは、人と良好な関係を築くのに大切だと感じている。あと、私も日本人なので、周りから浮いてしまうのは辛い。興味がないからこそ、美容の領域で余計なストレスを抱えたくない。

でも興味が薄いので、つい処理を忘れてしまう。そうすると、夏で半袖を着てるのに、見える部分の体毛が見える事になる。
今時、男の人の体毛も不潔とか言われる時代。女の人はもっと前から、それこそマナーのレベルで見える部分の体毛は世間で処理が求められている、と私は思っている。
(私は他の人に生えてても、生えてるなーぐらいにしか思わないが)

マナーとして必要、と自分で思っているので、処理を忘れているのをみると「あーしまった…」ってテンションが下がるし、恥ずかしいなと思う。
それに、私にもおしゃれしたい時がある。そんな時に見つけたら、余計にテンションが下がるし、ちょっと悲しくなる。

でもめんどくさい。剃っても剃っても数日後には元通り。気にするのさえ最早めんどい。
もう生えてこなければ楽なのに…それを叶えてくれるのが、脱毛という選択肢だったのだ。

そしてサロン脱毛ではなく、医療脱毛を選んだ理由は「少ない回数で、短期間で効果があるから」である。

サロンのカウンセリングも受けたことがあるが、20回前後通って欲しいと言われた。しかも10回を超えたあたりから、通う間隔がより空くらしい。完了まで最低3年近くかかると言われた。
興味ない事に3年費やすのか…考えただけでめんどくさい。モチベが下がって、途中でバックれる自信しかない。笑
だから回数が少ない医療にしたのだ。5回とかなら頑張れそうだなと思って。

あと、私は近々妊活を考えている。
妊娠・授乳中は脱毛ができなくなる。
その後なら理論上再開できるが、そもそも通う時間あるのか…?
解約手続きもできるとはいえ面倒だし、妊活に対して余計に考えることを増やしたくない。
なるべく妊娠前に完了したい、というのも医療脱毛を選んだ理由だった。

ここまで考えて、別に高いレベルを目指している訳ではないし、むしろ無理なく最後まで頑張れる方が私には大事そうだな、と思った。
そして、今回の選択がベストである必要もない。最悪もっとやりたければ、その時追加すれば良いよ、未来の自分。
ということで、予定通り最低限の6回コースで契約した。

みんな完璧じゃない

こうして、私は納得できる契約ができた。満足のいく結果となり、行動できた成功体験にもなった。
私は超にこやかに帰路に着いたが、看護師さんはテンションが少し下がっていた感じがする。ノルマとかあるのかもしれない。単価の安い客でごめん。

さて、実はこのカウンセリング、広いロビーみたいなところでやっているので、他の人も隣で話していたりする。
隣のお姉さんは、聞こえた会話の内容的に、旦那さんに電話で相談までして、多分看護師さんおすすめのコースを契約したようだった。

なので、多分嘘ではないんだろうけど、回数についてはセールストークの一環でもあるんだろうなと思った。
そして、この手法がセールストークとして成り立つ(実際隣のお姉さんには効いていたし)ということは、みんなやっぱり失敗するのは怖いんだなと思った。昔に比べれば安くなってきたとはいえ、脱毛は決して安い買い物ではないし。

そしておそらく、この手法、女の人の方が効きそうだとも思った。
男の人の多くは、物事をあまり深く考えていないらしい、ということが最近夫を通じてわかってきた。(これはまた別で書きたい)
だから、多分男の人に未来の話をしても、それこそ今回の私のように、それはその時また考えるから良いです、で終わる人が多そうである。
そして、隣のお姉さんに相談された旦那さんも、あなたがそうしたいなら良いよ、ぐらいのテンションで返答していると思う。多分事後報告でも反対はされなかっただろう。
まあ、女の人って相談する時に自分の中で答えは決まっているって聞いたことあるし、その方が良いのかもしれないが。

失敗を極度に恐れていた自分とポジキャリで向き合った時、ちょっと自分で自分に呆れていたのだが、みんな多かれ少なかれそうなんだなと思えた出来事だった。
完璧である必要なんかないし、そんなの無理なのだ。そのままの私で大丈夫なんだな、と改めて思えて、心が軽くなった感じがした。

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