見出し画像

服と向き合う

今回は、今月も何か書きましょうってnoteが言うので書き始めた。笑
まとまりはなさそうなので、読むのはおすすめしません…
飽き性には不純でも続ける動機があった方がいいよね!ってことで、思いつきを書いてみる。書けなくなったら終わります!

最近、服の整理にはまっている。
最初は断捨離目的で選別がメインだったが、最近は毛玉をとったり、アイロンかけたりと手入れするのが、面倒だけどちょっと楽しい。

服の断捨離は結婚当初から意識はしていた。
と言うのも、大学入学と同時に制服がなくなり、センスのない私はとにかく毎日着れるように服を大量購入するように。
着回しとか出来ないのでとにかく数で勝負!しているうちに服がとんでもない量になっていた…!

恥ずかしながら、実家にいる時は親に衣替えを手伝ってもらっていたし、タンスもたくさんあったので、引っ越す時に初めて服の量の全体像を把握した。
いや、正確には無尽蔵だと認識しただけで、何枚あるかはいまだに不明…
ほんと、実家中のタンスから、出るわ出るわ私の服!笑
何枚あるかは分からないけど、真面目に数えたら1日終わりそうなくらいはある。まじで。
なんなら、家を出て2年半経つが、まだ実家に私の服ある。笑ってくれて全然いいのだが、当事者として真面目にとらえると笑えない。

この時本腰を入れて断捨離ができればよかったのだが、とりあえず新居に収まったので見て見ぬ振りしてしまった。
収まったと言っても、新居で1番大きい、壁一面のクローゼットが私の服で全て潰れているのだが…

私は元々ケチなので、まだ着れるし勿体無い…と言う思いで捨てられなかった。かと言って、服は全てプチプラなので、リサイクルショップに持って行っても1枚1円がほとんどで抵抗が…
というか、そもそも枚数多すぎて向き合うのさえめんどい…

そんな私が重い腰をあげたきっかけは、メルカリに出していた物が立て続けに売れたからだ。

元々断捨離にはメルカリをメインで使っていたが、メルカリって結構めんどくさい。
ので、やる気になった時だけやって、でもなかなか売れなくてやる気が低迷、を繰り返していた。
そんないい加減な継続でも、だんだん慣れてきてメルカリへのハードルが下がってきたところに、立て続けに服が売れた!他に出していた雑貨まで売れた!
めんどくさいからこそ、売れた時の喜びはひとしお。
そんな単純な理由でやる気が出た。

ただ、それだけではなく、大量の服に対してのフラストレーションが高まっていたのも後押しになった。

新しい服を見て、かわいい!って思っても、いちいち頭をよぎる大量の服の存在。
優柔不断なのに、大量にある服のせいで、コーディネートを考える度に時間がかかる。
衣替えのたびに突きつけられる無尽蔵な服の量。
目の前にも大量にあるのに、あれ?あの服ないな→実家にまだ服あるんだわ…の底なし沼感。
もう実家出て何年も経つのにまだ実家に頼っていると言う、大人としてのちょっとした恥ずかしさ。
子供いない今がラストチャンスかも?と言う焦り。
この辺も相まって「服が減る」こと自体に喜びを感じられるようになった。

そんなこんなで断捨離欲が高まり、これ幸いとついに大量の服と向き合い始めた。
そこから服の手入れをし始めて、ちょっと楽しんでいる今に至るが、服の手入れをし始めたきっかけは、単純に危機感だった。笑

物をあまり捨てたことがないので、何基準で捨てたらいいか分からなくて、とりあえずインスタで情報収集した。

すると、服にも消費期限と賞味期限があるらしい。
消費期限は、服というか布が傷んでいないか。破れ、ほつれ、毛玉とかがないか。
賞味期限は、大きく分けて「流行遅れの服じゃないか」や「自分がときめくかどうか」の観点で見るとのこと。

ふむふむ、なるほど。
消費期限は見た目でわかりやすい感じ。
賞味期限は、流行りは最近追ってなくて分かんないので、トキメキの方で行こうかな!
よーしやるぞ!で、やってみた結果…

傷んでいる服は、お気に入りでよく着ている服ばかり。
傷んでいない服は、あんまり着ていなかったり、忘れている服ばかり。
どちらもクリアしている服は、結婚してから買った数枚の服ぐらい?

…やばい。
このまま基準に沿って捨てたら、物理的に着る服なくなる!
しかし、夫が休職中の今、私の被服代増大させたくない!!
しかも、お気に入りの服は思い入れがあって捨てづらいし、きれいな服はもったいなくて捨てづらい!!!

ということで、公然わいせつ罪で逮捕されるのも家計の赤字も避けられる策が、お気に入りの服の手入れだった。笑

と言うのも、服の傷み=毛玉だったので、毛玉取ればまだ着れるんじゃない?と思ったのだ。
で、実際毛玉取りを買って、毛玉をとってみたところ、割と綺麗になる!よかった…!

そして、私は毛玉取りにはまった。

無心で黙々と作業するのは割と好きだし、目の前で好きな服が綺麗になる様は達成感がある。
ただ、100均の毛玉取りに対し、手入れする服は全面毛玉だらけの服がほとんど。(お恥ずかしい…)
なので、私の労力と電池の消費が半端ない。
超めんどくさがり&ケチな私が、これを大して好きじゃない服にできるかと言われればノー。

と言うことで、毛玉を取る気にならない服は未練なく捨てれるようになった。
また、毛玉をとっても毛羽立ちが収まらずあまり綺麗にならなかったり、毛玉取りの時に服を隅々まで見ることになるので、他の傷みを見つけたりする。
そう言う服も、やれるだけやったな、と思って捨てられるようになった。そんなわけで、私の断捨離がちょっとペースアップした。

意外だったのは、私の意識も変わったこと。
服の傷みなんて今まで全然気にならなかったのに、毛玉、しわ、ヨレ等の服の傷みが気になるようになった。
しかも、電車とかで他の人を見てると、毛玉がついた服を着てる人のなんと少ないこと!
…当たり前ですかね。笑
でも、私は何にも気にせず、ずっと毛玉まみれの服着てたんだなぁって思ったらめっちゃ恥ずかしくなった。
なので、お気に入りの服の手入れは全然苦ではない。
今ではむしろ、毛玉取らなきゃ外に来て行きたくない、と自然に思えるので、毛玉取りブームはしばらく続きそうである。

さらに、ミニマリストに興味が出た。
ただ、服を制服化したいとか、テレビも捨てたいとかではない。
シンプリストとか、ゆるミニマリズムに憧れて、最近インスタでそういうアカウントばっかり見ている。笑
情報収集ではなく、憧れて眺めてるって感じ。
私も近づいてるかなって想像するとちょっと幸せになれる。実際には月とスッポン状態なのだが…まあ、想像するぐらい自由だよね。笑
ものが少ない、というより「物を大切にする」って「自分を大切にしている」ってことらしく、それっていいなと思う。

確かに、断捨離ってやってみると、結局物を通して自分に向き合っている作業だと感じる。
特にときめきで服を判断する時は、自分に「まだ着たい?」って聞いて決める作業になる。
で、「もういらない」って思えたら捨てる。
「まだ着るかも」って思ったらとっておく。
それは、自分の感情と行動が一致していて、今の自分を尊重していることになる。
小さなことかもしれないけど、そういう場面が増えると自分で自分のこと大切に出来ているなと感じて嬉しくなる。

服の手入れも、完全に自己満の世界である。
でも、それがいいと思っている。
自分が着るための服を大切に手入れするなんて、まんま自分のことを大切にしている行動だ。
手間のかかることはお気に入りの服にしかしないので、綺麗になると絶対嬉しくなれるのもいいところだと思う。
たとえ綺麗にならなくても、しっかり向き合った分、勿体無いと感じることなく手放せてストレスフリー。
ものの手入れって楽しいんだなぁと知れた。

ただ、物が多ければ手入れしきれなくなる。
なので、これからは持ち物を吟味していこうと思った。

ちなみに、手持ちの服に関していうと、プチプラの服の平均寿命は2-3年程度らしい。
対して、私の手持ちの服は学部時代に買った物が多いので、5年以上前の服という事もざら。
なので、実は手入れをしても綺麗な状態が続かない可能性も高い。
そういう服は子供が出来たらあっという間に手が回らなくなって、結局そこで服減るでしょ。
…というのが私の見立てである。

なので、迷った服は割と残している。
もういらない、と思えない服は基本捨てていないので、断捨離はスローペースだがストレスフリーに出来ている。

何なら、今まできてなかった服で新たなお気に入りコーデができたりして、それも楽しい。
久しぶりに最近の流行りに興味が湧くぐらいには楽しんでいる。笑

楽しんでいられる間は、断捨離も服の手入れも続けられそうな気がしている。
人間が何か行動するには、マイナスな危機感とかより、ポジティブな感情の方が自然かつストレスフリーに続けられるんだなぁ、と実感した出来事だった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?