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本当の自分に出会う旅

久しぶりの旅に出た。
といっても、1泊2日の伊豆ひとり旅。
結婚してからの旅は家族との旅ばかりで、1人で旅に出る日が来るなんて思ってもみなかった。

では、旅に出るまでと出てからの話を少し。
ウチには猫がいる。
猫を置いて行くなんて…と、そもそも旅に出ることを諦めていた私。
ウチには娘もいるというのにも関わらず。

ここでお分かりだと思うが、私の旅計画は、「旅とは家族で行くもの」という思い込みの元行われていた。

じゃあ、いつどのタイミングで、その凝り固まった思い込みが溶けたのかというと。
それは、ある日、ある方に「ひとり旅に行ってきたら?」と言われた瞬間だった。
なるほど、1人なら猫の心配なく出かけられる!
そう思った。
それと同時に湧き上がってきたのが、娘を置いていく心配。

このとき、私はびっくりした。
成人をすぎた娘を、まだ小学生の子どものように扱っていたのだ。
息子に対しては子離れしているつもりでいたが、娘からはしていなかった。
これを、知らず知らずやっていたから、彼女はなかなか自立できなかったのか…と、少し落胆もした。

「こんなことことではいけない!」と思い、私のひとり旅が即時に決定されたのである。
これが旅に出る、1週間前の出来事。
スマホ片手に近場で直ぐに行けそうなところを探した。
予算もそれほど出せないというのがネックとなり、なかなか見つからなかったが、行先を少し広げたら、あっという間に見つかった。
何かを決めるときには柔軟性が大事だ、と思った瞬間でもあった。
チケットレス特急券を購入するためのアプリもダウンロードし(今はほんとに便利)、前日に電車の指定も取り、1週間の間に楽々と準備ができた。
周到に準備する今までの私には考えられないことだが、荷物の準備も当日。
だいぶ完璧主義を手放していたからできた技。笑

ということで、旅に出た。

この旅は、ある意味私と私の統合の旅だった。
帰ってきてから気づいたのだが、まさに自分の立ち位置を取り戻す旅でもあった。
なぜなら、行きも帰りも、私の予約していた座席に座っている人がいたからだ。
自分の座席に座る前に、必ず「この席、私の席です」という羽目になった。

気がつくまでは、旅の腰を折るできごとだと思っていたが、今は太陽が獅子座にある。
自分の王国をつくる季節だ。
今まで人のために自分を曲げていたわたしが「自分の王国を奪還」すべく、このような状況が準備されたと言っても過言はないだろう。
(若干状況に酔っていることは否めないか。笑)
このことは、他の出来事からも思い知らされた。

たとえば、駅に着いてからの送迎バス。
宿の写真で見たバスが止まっている気配がない。
待てど暮らせど、定刻の時間が過ぎても送迎バスはやってこない。
45分も過ぎてる。
しびれを切らして、宿へ電話した。
電話に出たスタッフの話によると、私が乗ろうと思っていたバスはすでに宿へ帰っていて、折り返し駅に向かっているという。
私はバスはどんな模様なのか聞いてみた。
そしたら、写真に載っているバスが故障し、ハイエースで送迎しているとのこと。
待てど暮らせど私の想像している送迎バスは来ないはずだ。

しかも、車に近づくと、先程から私の周りをウロウロしていた真っ黒に日焼けした男性が運転手だった。
2度も送迎バスを見送ったまま、私は送迎口に立っていたことになる。
勝手な思い込みが作り出す現実は疲弊するということを、ここでまた思い知った。

やっとの思いで宿に着き、チェックインを済ませ部屋へ行く。
ここでまた新事実が発生。
通常、ホテルや旅館などのドアは、2重、またはオートロックになっている。(私の知る限り)
しかし、この宿のドアは、内側からはサムターンをガチャッと閉めるだけのワンロック。
チェーンなどがなかった。
このことが私の睡眠を邪魔するものとなることを、このときの私は知る由もなかった。

この宿の夕食は2部制。
私は後半だったので、それまで敷地内と温泉を楽しんだ。
温泉は8種類あり、そのうち5種類の温泉を満喫。
部屋に戻り、少し湯あたりしたので(夏の温泉は満喫しすぎない方がいい)、クーラーをガンガンにかけ夕食までのんびりした。

さて、夕食の時間だ。
別棟のレストランへ。
外はもう暗かった。
ドアを開け外へ出て進むと、暗がりに大きな何かが!!
ここはすべての宿泊棟が敷地内に点在しているため、ドアの外は本当の外なのだ。(なんて言い方だ。笑)
踏まないように避けると、奴はサササッと逃げた。(多分クモ。震)
逃げるように、レストランへ急いだ。

食事は美味しかった。
しかし、女性にはだいぶ量が多くて、私は半分くらい残してしまった。
作ってくれた人や食材に申し訳ないと思ったけど、仕方ない。
そう思っていると、私の食事を担当してくれていた女性が、次の食事を「少し減らしましょうか?」と言ってくれた。
その優しさがとても嬉しかったし、おかげで、最後のデザートも美味しく頂けた。

そのスタッフの女性の優しさで私は気づいた。
旅先でひとりで食べる食事は、私にとって、とても寂しいことだったのだ。
優しくされた瞬間、周りにいる家族旅行者のワイワイガヤガヤしている様子がありありと飛び込んできて、サッと私の心に影を落とした。
私が私にひとり旅をさせなかったんだな。
この寂しさを味わうことを避けていたんだなと。
それを、食事と共にしっかりと、味わった。

部屋に戻るともう午後10時。
大好きなドラマを観て、あっという間に寝る時間。
家族を得てからの、初ひとり旅。
疲れたので寝るとしよう。
と、ここで、さっきの外のクモが気になった。
部屋には、何やら殺虫剤も準備されている。
「もしや、外の虫が侵入するのか?!」
ひとまず、部屋のドアの枠に殺虫剤を吹きかけた。
これで安心して寝れる。
電気を消してベットに入った。
すごく眠かったので、すぐに眠りに入った。
なのに、眠らせまいと抗う感覚を感じた。
その葛藤の中、気がついたら眠っていたようだ。
しかし、夜中に目を覚ます。
時刻は午前2時半。
ドアが気になる。
そう、ワンロックのドアがずっと気になっていて体が熟睡できないのだ。
私はこのとき思った。
私にとって、「心配」が眠りを邪魔するほど強くあるのだと。
仕方ない。
電気をつけてYouTubeを聴きながら寝ることにした。

朝になり、明るい空を見て安心したのだった。
太陽は、ありがたい存在だ。

この旅で私というものが色々分かった。
私は、「寂しさ」と「心配(不安や恐れ)」が引力として働き、自分を自由に行動させなかった。
家族といるときは、私の持ちもの(性質)は家族を隠れみのにして、気づいていなかった。

しかし、これから自由に旅をするためにも、私にとってこの2つの感覚に気づく必要があった。
誰かが私を自由にさせないのではなく、自分の内側の感覚が私を自由にさせないということを知る必要があった。
この旅は、自分を知る旅だったんだなぁ。
これに気づいたことで、朝食が昨日の夕食以上に美味しく感じられた。
楽しく食べることもできた。
ありがたいことに、クモもいなかった。笑

そして、この宿とお別れをし、一路熱海のカフェへと向かった。
ここでは、熱海の花火を見に毎年ひとり旅をしている素敵な女性と心優しいカフェスタッフに出会い、心を撫でられた。

ここからが、新しい私の始まりかもしれない。
また、どこかへ行こう。

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