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つなぎとめていた切れそうな仮の糸

GW、転勤で遠くに行った(国内ですが)息子が帰省しました。
家にしばらくいるというのは本当に久しぶりのこと。
彼は就職して3年前に家を出てましたが、家が近いこともあり、帰ってきたとしてもいつも日帰り。
そんなこともあり、私は息子が家にいるという感覚を忘れていました。笑

今回の息子の帰省でわかったことは、もう今までの関係性ではいられないということ。
思春期以降、親からの距離は段々と離れていくという認識はあったものの、大学生までは何かと世話を焼いていたので、母と子という関係はこういうものだというものが染み付いていました。

しかし、コロナ禍で就職し一人暮らしをはじめた息子となかなか会わなくなったことで、日々の会話を通した共通の話題もなくなり、今回彼との間に溝のようなものを感じました。

そもそも、彼が大学に入ってからすでにその溝は形成されていたのでしょう。
私がその溝を見たくなかったのかもしれません。
その溝を一生懸命縫い合わせようとしていたのかもしれません。
それは仮糸のように直ぐに切れてしまうにも関わらず。

とにかく、帰省した息子との間の溝を感じずにはいられなかったのです。
その溝を縫い合わせるべく、母としての今までの役割を一生懸命やろうとしては、何か違和感を感じ、胸の真ん中にある異物のような感覚と格闘。
その感覚は、彼が帰ってもなお残りつづけ、向き合わざるおえない状況でした。
蠍座満月明け、やっとその答えにたどり着いたのです。

「もう今までの親子関係は終わりなんだ」と。

ここから、彼とどう関わればいいのかは、まだ分かりません。
今の私にできることは、1つ役目が終わったことを受け入れること。
私は私の道を、彼は彼の道を、それぞれの歩幅で歩くだけ。
母としての役割や共通の話題で繋いでいた親子の関係をやめ、新しい人間関係で繋ぎ直すとき。
そこに気がついたら、胸の異物もなくなりました。笑

頭では分かっていた「子離れ」という意味。
直面してはじめて腑に落ちる。
私が私の人生の道を歩くということ。

私は私の人生ではなく、彼の人生の中に入りその道を歩いていただけだったのかもしれないなと、強風吹き荒れる夜中にここに記したのでした。

たとえ自分の子どもであっても
ワタシを優先する。

それが
ここからのワタシとの
付き合い方。

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