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私にとっての最高の教師

「最高の教師」

このドラマを最初から最後まで観てたわけじゃない。
娘が録画したのを観ているときに、たまたま遭遇し、時々何の気なしに観ていた。
最終話までの3話だけは、なぜか気になり、しっかりガッツリと観ていた。

その理由がわかった。
私自身、自分の中にいる「最低な自分」を受け入れられない自分がいたのだ。
「あなたは、今一体何歳だ?」
と聞きたくなる。
気づくのが、遅すぎだろ。笑

高校生たちは自分の心に巣食う別の自分に翻弄されていた。
本当に楽しくなんかないのに、ごまかしだとも気づかずに笑っている。
等身大の自分と向き合えずに、外側に何かを求め続ける子たち。
自分だけがみんなと違うことに悩みつつ、周りを真似して世の中の正しさに合わせて生きることを自分に課す子。
まなちゃん演じる女子高生は、そんな彼らにとってとても脅威な存在だったのだろう。

私は、このドラマを通して、高校生たちの中にある「最低な自分」を自分の中に見た。
今更感が拭えないが。
何十年もそんな自分を抑え込んできた。
しかし、ここ数年何ともガラの悪い、嫌味な私が時々顔を出していた。
それを、娘からも指摘されていたのだ。

本来はこの子達のように、早い段階で気づき、等身大の自分を受け入れ、等身大の自分で世界を作っていくことに着手するといいのだと思う。
けれど、今だいぶ大人になった私のような世代の人は、もしかしたら、過去にはあったかもしれない等身大の自分に気づくチャンスを逃してしまったのかもしれない。
逃した理由は、社会の在り方や時代によるものかもしれないが、それもきっと想定内。

そんなことを思いながら、このドラマを観ていると、とめどなく涙が溢れ出た。
一体、なんの涙なのか。
内側の自分が、「お前やっと今気づいたか」とでも言うように、苦々しくなんとも言えない感覚を私に押し付けてきた。

私もこのタイミングで受け入れよう。
遅すぎるかもしれないが。

こんなふうに、いつだって私の世界は、本当の、本来の、等身大の自分を受け入れるために、あの手この手でお知らせしてくれているのだ。
それに抗うことなく、一つ一つ受け入れていこう。
そんな風に思った。

きっと、星野源ちゃんやオードリー若林くんの対談番組、エッセイも受け入れに一役買って出てくれたのだ。

私にとって、「最高の教師」とは?

テレビやサブスクでやってるドラマ、映画、誰かの書く本、なのかもしれないな。

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