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焼き芋のイベント性20230224


 憧れてる人、最初の挨拶みたいなの書いていなかったし書かなくてもいいか。

 もうほぼ雑記に近い。



・焼き芋カー

 イヤホンをしていたから分からなかったけど、焼き芋カーが通っていた。

 焼き芋って「焼き芋トラックで買う」という経験を買いに行っているような気がする。豆腐屋でもそうかもしれない。

 あの歌が聞こえたら車が来ているから、急いで走って、店員さんとやりとりをして買う、という一連の流れにノスタルジーを感じて買ってしまいそうになる。
 私からすると、このテンプレートみたいな体験をしたいがために走るというのがあるけど、そうでない焼き芋トラックとか移動販売出来立てのころの人たちってどういうモチベーションで買っていたんだろうか。

 あと焼き芋って温かいから明確に賞味期限があるし、イベント性に富んでいますね。豆腐だとあんまりこうはならないかも。

・家族


 誕生日に親から「お前のライフポイントを母(僕でいう祖母)が生きる理由にしたい」という話を延々され、目眩がした。気持ち悪すぎる。別にそっちが勝手にそれを見守るのはいいけど、僕の人生は僕の物だし、なんか勝手に学校の卒業とか結婚の話とか祖母や母の為の物のように語られて気持ち悪すぎて吐いた。勝手に生きてもらえませんか?
思い出すだけで吐き気がするけど、一応そういう人間もいるんだねというメモとして残しておきます。


・越えられない

 もし誰かに対して憧れを抱いている人がいても、その人間そのものになることは出来ないし、それゆえに超えることは出来ない気がする。

 “超える”というものの定義によるのでなんとも言えないが、“憧れる人”という地点に到達した上で別の技能を手に入れて+αとすることを言うならば、その人そのものになること(その人が得た物すべてを手に入れること)は絶対的に(相対的にか?)不可能であり、憧れれば憧れるほどその人に近づくのはとても難しくなるので、やはりその人を超えることは出来なさそうだ。

 観客は演者にはなれない。

・取りこぼしているということ

 日記が全く習慣化しないまましばらく経つが、思ったことをきちんとメモに残さないとすぐに忘れてしまう。

 面白いな、と思ったものほどその感情とともに記憶が薄れていくのできちんと残しておくべきだと思った。思うけど。続けるのはやはり難しい。

・書く理由

 続けるのが難しいと言いつつ、書かない日はいつもモニョモニョした気分になる。早く寝なきゃなあと思いながらも、日記を書いていないことが心残りで寝つけず、夜更かしした日もあった。馬鹿だ。

 そこまで思うなら書けばいいのに、少し腰を上げようとするとブルーライトを浴びながら日記を書くと眼が冴えてしまうし、書くネタもないし……と渋る。なんなんだ。理性と感情とかではない別の部位がずっと拮抗しているのを感じる。どうでもいい部分にジレンマを感じるのが面倒くさくて嫌だ。でもこのジレンマがクセになるところまで来たのでかなりもう手遅れかもしれない。

終わります。

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