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さみしい夜にはペンを持て/初任者におすすめする一冊として

新卒で入社した会社で使っていたA5のノート、20冊くらいが捨てられない。それ以上に、小学校で働いていたときのB5のノート段ボール2箱分が捨てられない。

小学校の職員室では、なぜか、A4のノートを使う先生が多かった。教育学部でもなかった私は、A4サイズのノートを使う場面にそれまでであったことがなかったのだが、そういうものなのだと思い、A4のノートを新たに買い、教科ごとに分けたりなんかしながら使い始めた。
そのノートはたしかに、学校で配られるB5のプリントを見開きそのまま貼れるし、A4でも余白をハサミで切れば貼れるし、ページが広い分、考えをたくさん広げられるような気がしてよかった。45分の授業を5分×9パートとして考えなさい、なんて言われたときも、9パート分を書いては消し書いては消し、ぐちゃぐちゃになってもなんだかA4のノート見開きには収まる感じがあった。

最初はそんな感じでやっていたけれど、徐々にやることの多さに疲弊してきて、A4見開きの授業準備のノートがすっからかんになる日が増えた。コピーした指導書に付箋を貼っただけとか、もはやラインを引いただけとか、その資料を、ノートに挟んでいるだけとか、もうめちゃくちゃだった。明日の授業のことばかり考えていて、考えているわりには思考がどんどんすべって消えていて、言葉にならなかったけどたしかにそこにあったもやもやしたものが、ときに指導書にかかれている文言に、ときに隣のクラスのベテランの先生の言葉にズドンと置き換わり、明日の授業を助けてくれた。
あぁ、そうすればいいのか、助かった、という気持ちと、それってその先生だからできることであって私と私のクラスではできないんじゃないか、という気持ちがほぼ半々。私が考えていたことは、こういうことだったっけ?という気持ちがひとつまみ。

そうしてA4のノートは空白が多くなり、ページが広い分余計に「書いてない」感が増す。次第にそのノートを手に取らなくなって、メモ用に使っていたB5のノートに授業の内容も全部書くようになっていった。会社員だったときにやっていた、とりあえず1冊のノートに全部書くという方法がわたしにはあっているらしく、うまいこと整理はされないけれど、情報が落ち着くようになってきた。資料を挟んだり貼ったり付箋だらけになったりなんだりで、ノートが長持ちすることもあれば、書きなぐったメモのページが続いて1週間くらいで1冊使い切ることもあった。トラブルがあって、話したこと見たこと聞いたことをとにかく書き続けていたときは、3日で使い切ったこともあった。子どもたち以上のペースでノートの5冊セットを買いに行っていた(仕事帰りのスーパーの文房具売場で)。

ノートに書いてあるのは、授業でやろうとしていたこと、子どもに考えさせたかったこと、職員会議での連絡事項。それから、先生からもらった付箋、保護者の方からいただいたお手紙、子どもにもらった紙(?)などが貼ってある。ものすごく乱れた字で急いでいたんだろうとか、ここは時間をかけて考えたのだろうとか、自分で読み取れることもある。ノートを開くと、私の頭は小学校の職員室に行ってしまう。そのノートが捨てられないのだ。私が学校という現場でもがいていた記録だからだ。

だけどもし、もし、学校に赴任したばかりのわたしに一言いえるなら、
「そのときのあなたの気持ちもノートに吐き出しなよ」
と伝えたい。

今、現場を離れて2年強。正直、だんだんと忘れてきている。頭は職員室に戻れても、心はどうしても俯瞰でしか見られない。大変だったことも、楽しかったことも、笑いすぎて泣いたことも、子どもに言われてびっくりしたこと(先生、パン食べてるときの顔おもしろいね、とか)も、苦しかったこともつらかったことも理不尽だと思ったけどあとから納得したことも、後悔したことも、たくさん、たくさん、本当に山のようにあったのに、全然思い出せなくて。そういうものが残っていたらよかったのに、と思う。
今のわたしがそれを読みたいし、当時のわたしは、それを書くことで、気持ちを落ち着けることができていたんじゃないかなと思う。

当時、人に言えずに苦しかったことも、言う準備すらされないどろっとした思いもたくさんあった。休みの日も仕事のことばかり考えていたし、せっかく誘ってもらったフットサルだって、その場にいる人の多くが同業者なのだと思うと、喉がつかえるような感じがして全然気が休まらなかった。そういう類の苦しかった思いも、書くことで少しは消化できていたのではないか、そして、その消化する過程は、当時のわたしだけでなく、今のわたしを助けていたのではないかと思う。

気持ちまで書いていたら、4年間のノートは段ボール10箱分くらいだったかもしれないし、そんな量のノートは保管する場所がないと諦めていたかもしれない。でもやっぱり、あの場で感じていた気持ちが、見える形で残っていたらよかったと、今、思うのだ。


「初任者におすすめの本を紹介する」という企画を見ていて、毎年、自分も紹介したいぞ、と思っていた。自分だったら・・・と思い浮かぶ本はいくつもあったはずなのだけれど、いざ、その番が回ってくる(?)と、1冊に決めるのが難しかった。すごく迷った。
迷った理由には、過去に別の人が紹介したのではないか、とか、この本は「初任者」におすすめするべきなのか、とか、このタイミングでこの本はちょっと違うか?とか、そういう、わたしの思い以外の部分である。今、このわたしが、おすすめしたいと思う本を挙げることに意味があるのだと思わねば、本の紹介なんてできやしない。素直に自分がすすめたい本を選べばいいのだ。そうするとやはり、古賀史健『さみしい夜にはペンを持て』である。

中学生のタコジローくんが、やどかりのおじさんと出会い、「書くこと」を知っていく物語だ。
海の中で展開していく物語は、非現実的な空間の現実的な話であり、物語のはずなのにノンフィクションにも感じられる。

初任者におすすめするという意味では、いわゆる教育書のようなものを休みの日にまで手に取ると息が詰まるのではないかという思いもあった(私がそうだっただけかもしれないが)。でも、自分と遠く離れた物語ではいけないとも感じた。私が講師1年目だったとき、そして初任者だったときのこの頃は、仕事からまったく離れたものに時間を使うことには抵抗があったのだ。読書すらサボりに思えた。

この本は、物語としても楽しめる。そして、自分が「書く」ことにもつながる。そして(これは先生である人にだけ伝わる部分だと思うけれど)、次の日子どもに話せる。日記を書くのに手が動かない子。たくさん心が動いたはずなのに「楽しかったです」という7文字にすべてを込める子。そういう子へ、書くことの面白さを伝えるヒントがたくさん詰まっているのだ。

あの子にこういってあげたかった、と何人もの顔が思い浮かぶけれど、彼らはもう自分でこの本に出会えるかもしれないなと思い直す。そういう気持ちも、わたしがここで書くことではじめてわたしが認識している。やっぱり書くことには力がある。未読の方はぜひ、タコジローくんの冒険を見届けて、ペンを手にとって(あるいはキーボードに手を置いて)ほしい。

かたりすと for edu の企画「初任者におすすめの一冊」のひとつとして。

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