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更新

3年生も終わりを迎えました。5/7都市を巡り、残すはあと2都市になりました。少しずつ何かを探す自分の中の葛藤の波が落ち着いて、静かになっていくのを感じます。木の葉が落ちる音や揺れる音、風の優しい響きと暖かさ、花の美しさや鳥の鳴き声の清涼さ、喧騒の中の日常、その中の美しさに少しずつ目を向けられるようになってきました。

今学期は100メートル走のようにすぎて行きました。必死に走って、周りとどんぐりの背比べをし、理想の自分に追いつけない自分を受け入れる努力をしました。永遠に感じた時間は気がついたら一瞬で終わっていました。いわゆる就活も始め、行先の見えない中自分の知る範囲での最善策を打ち出しては打ち砕かれました。終わりは始まりといいますが、ここからが私の始まりなのでしょう。今まで見えていた道筋たちが一斉になくなり、目の前が開ける代わりに、360度の中から方向性を見出さなければなりません。いままでは選ぶだけでよかったものが、選択肢さえ無限大にあるのは幸せながらも風靡なものだと思います。そんな思考は少し滑稽だが真正だと思うのです。

若さの限りというのを少しずつ感じています。感じるには少し早い気もしますが、社会人になるというのは自由になるということでも、不自由になるということでもある気がします。自分の采配下にあるものが増える代わりに、その采配下にあるものたちを使って自分を幸せにしなければならないという呪縛もあるのです。そんな「幸せにならなければ」という強迫観念こそが私たちを縛り、不自由にしているのです。守るものが増えるたび、社会に置ける自分の居場所が明確になります。自分の居場所が明確になればなるほど、自分で自分を縛り付けてしまいます。登ってきた階段は下れないと思いがちですが、きっと下って別の道を進むのも悪くはないのでしょう。

今回のノートは更新と名付けましたが、人生におけるみちのりとは、構成の繋がっている短編小説のようだと思います。毎ページ新しい章を作り、新しい登場人物を迎え入れるのではなく、自分の過去を抱きしめて、その上から塗り直していく。受容も必要なのではないかと思います。

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