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ちょっと待って! その「文庫解説」、本当に必要?

(124.3万部ってやけに刻んでるな)

 「嫌われ松子の一生」(山田宗樹著)を読んだ。映画やドラマにもなったベストセラーだけあって本当に面白くていろいろ考えさせられたなぁ、と思いながら読み終えようとしていたところに待ち構えていた解説が本当に……なんというか本当に……私の感性と合致しない文章だった(最大限オブラートに包んだ表現)。
(※以下、一個人の文章にそこそこ難癖をつけている&「嫌われ松子の一生」の全てをネタバレしています)


 まず語彙が「ファザコン」「スカ」「クズ」「男運がない」だの、本文中でそういう一面的な見方をされないよう丁寧に描かれていた部分が見事に俗っぽく単純なものばかりで雑にまとめられている。この解説の雰囲気を例えるなら、「川尻松子という女性を後から知って飛びついて適当にネットとかで調べて書いた四流ゴシップ誌の記事」のようだと感じた。駅のゴミ箱に丸めて突っ込まれているような。ボキャブラリーがまんまゴシップ誌のそれ。


 父が妹のことばかり気にかけていると感じ、どうにかして愛情を向けてほしくて必死にもがいていた松子のことを「ファザコン」の5文字で片づけられてしまうと、確かにそういうことにはなるのだろうがやはりなんだか悲しくなる。徹也も「クズ男」であることは間違いないし、女性に暴力をふるうのは許されることではないが、そのことに葛藤したり松子は自分のような男と一緒にいてはダメだと引き離そうとしたり、文学を志す気持ちと現実の狭間で苦悩しその末に自殺を遂げた彼は決して平面的なキャラクターではない。


 「AV界の女王!? 沢村めぐみ」もどこか茶化しているようで違和感がある。めぐみは夫とともに会社を背負って立つ人間として泥水でもなんでも啜る覚悟を持った女性であり、女優デビューして振り切った演技で「女王」となったのは彼女の胆力の強さを示す一面にすぎない。こういうあたりも「トルコ嬢」や「AV女優」のようなその人の一部分にすぎないセンセーショナルなポイントだけを切り取って過剰にクローズアップするゴシップ誌の匂いがする。


 しかしここまで考えてふと思ったのだが、松子は作中世界では生前も死後も、この解説のような見方をされていたしこれからもされ続けるのかもしれない。何も知らない人から見れば彼女は「ファザコンの真面目いい子ちゃんな田舎の中学教師だったのに金を盗みその罪を生徒に着せようとして失敗し行方をくらましてクズ男に引っかかりトルコ嬢になりシャブ漬けにされ痴情のもつれで男を殺し刑務所に入り刑務所に入りシャバに戻るも仕事も続かずボロアパートで汚らしいデブになり隣人からも疎まれ最期は不良たちにリンチされて死んだどうしようもない転落人生を歩んだ哀れな女」である。しかしそのできごとを丁寧に見ていくと、その一つ一つにままならない事情と物語がある。


 そのことを笙という血のつながった、生前に一度会っただけの甥が実はどういう女性だったのか、本当に「嫌われ松子」でしかなかったのかということを追いかけてくれて、自分のことをわかってくれた。そして自分を殺した犯人たちに法廷で怒りを向けるほど感情移入してくれた。自分がどんな思いで生きていたか、それを知って自分のことを「川尻松子」という一人の女性として記憶してくれた人が一人でも(明日香もそうだけど)いてくれた、それは松子にとっては幸せなことだったのではないか。

 ゴシップ誌はすぐに読み捨てられてゴミ箱にねじ込まれる。元トルコ嬢で殺人犯というセンセーショナルさを面白がっていた世間からもやがて忘れ去られる。しかし笙たちの記憶から幸せを求めて懸命に生きた「川尻松子」という女性が消えてなくなることはない。松子が生きているうちに出会えていたら一番よかったのだろうが、それでも笙たちは間に合ったのだ。


 それからこのメロドラマの解説のような文章の中には、遠いものだと思っていた松子の殺人という罪を笙が「自分もこれから犯さないとは言い切れない」と身近に、自分事として感じたことに「道徳も倫理も乱れ、犯罪が増加するいっぽうの現代社会」を持ち出すような(そもそも凶悪犯罪が「増えている」のかどうかも議論があるが)ちょくちょく「ピントがズレてないか?」と首をひねってしまう論評もある。強いて言うなら綾乃への思いから覚醒剤への憎しみを募らせ自分を愚弄した小野寺を殺した松子や、彼女が転落していった元凶を消すしかないと思いつめ校長を殺した洋一などと遊び半分で何の関係もない松子を殺した現代の少年たちとの対比がないとも言えないが、どんな理由があろうと殺人は殺人だ。


 「嫌われ松子」と疎まれていた松子にも自分のことを最後まで想ってくれる友人がいたりひたむきな気持ちがあったりするのと同じように、松子を辱めたセクハラ校長にも孫娘にとっては慕うべき恩人だったという一面があるなど、安易に「この人は善人」「この人は悪人」と断定できないところにこの小説のキャラクターの魅力があると思うし、とことんうまくいかないように見える松子の人生にも短いながらもところどころ幸せだったり穏やかだったりする瞬間があったりして一概に「不幸なだけだった」人生とは言い切れないところがある。私はこれを読んでそう感じたからこそ、全部一言で片付けるようなこの解説に反発を覚えたのかもしれない。お前に松子の何がわかる‼ みたいな感じである。感情移入しすぎ。


 しかし、本の感想を書きたい時はあえて自分と正反対の感想やこういう解説を見て反論したい気持ちを引き出すのもいいのかもしれない。一つずつ「なぜ自分はそう思わなかったか」と考えていくことによって自然と「自分はどう思ったか」を構築することができる。これは読書感想文に使えるのではないか。反論式。これも最初はこんなに感想を書くつもりはなかったのに解説見たらなんか湧き上がってきてしまった。ということはこの解説もよかったのかもしれない。すみません、必要でした。ある意味。


 とはいえ、やはり物語を読んだ後の余韻を萎ませてくるような解説がちょくちょくあるのはどうにかならないのだろうか。書いてる人も仕事でやってるんだから、と自分に言い聞かせることでなんとか気持ちを収めているが。特にそんな解説には砕けた言葉が使われがち。私はあなたのお友達ではないしそういう文章をここに書くあなたとはお友達になりたくもないというめんどくさい説教モードになってしまう。


 逆にいいなと思う解説はその人個人の感想を抑えめにして、作品背景やストーリーを噛み砕いて説明してくれて(最後に読む派なのでネタバレもOK)読者が考えたり感想を膨らませたりする手助けをしてくれる。近代文学、具体的に挙げると「金色夜叉」(新潮文庫)の解説は作品を掘り下げる手がかりをたくさん示してくれており、卒論に大変役立った。あと映像化された本ならその監督などが書いているものもいいと思えるものが多い。優れた映像化であればあるほど原作をよく理解していると思うからだ。


 ここまでグダグダ文句のようなことを言ってきたが、「感想」ではなく「(真の意味での)解説」を求めているから文句が出るのかもしれない。作者自身に解説してもらうわけにはいかないのだろうか。「作者のあとがきは言い訳みたいで嫌だ」という意見も見かけたが、やはり少しでいいので聞いてみたい。他人の感想より作者の思想。それが無理でも、せっかく文庫解説にページを割くなら本の一部としていいものであってほしい。先ほども言った通り「嫌われ~」の解説もこれはこれでよかったわけだが。


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