春峯堂さんのこと
古畑の推し犯人シリーズその2。今回はただの推し語りです。
※以下、古畑任三郎第2シーズン第7話「動機の鑑定」のすべてをネタバレしています。あと、なぜかFINAL第1夜「今、甦る死」にちょっと触れています。
古畑シリーズで唯一本名不明の犯人、春峯堂さん(演-澤村藤十郎)。この本名がわからないということすら神秘的に思える。春峯堂さんは春峯堂さんだよ。
虫も殺さぬような顔をしていながら…
春峯堂さんの最大の魅力は虫も殺さぬような顔をしていながら人は殺すところ(しかも2人)。私はこういう裏表激しいタイプが何よりも大好き。「今、甦る死」の天馬先生もこのタイプ。好みがわかりやすい。和服で上品で物腰柔らかくて穏やかでニコニコしてるのに殺人にためらいがなさすぎだし、殺害方法が射殺と壺で殴ってからの斬殺というバイオレンスぶり。毒殺とかしてきそうなのに銃と刀。田治見要蔵みたいな二刀流。
それだけのことをしておきながら古畑さんに犯行を暴かれるところに至るまで終始鷹揚としていて悠然と構えていて底知れないものを感じさせる。罪悪感とかなさそう。マクベス夫人みたいにならなさそう。心になにか決定的な欠落がある。
そしてなんといっても藤十郎さんの声と喋り方が妖艶すぎる。ずっと聴けちゃう。あのスウィートセクシーボイスで命令されたり念を押されたりしたら抵抗できないと思う。あれは人を支配する声。声が魔性というのも私にとっては天馬先生と同じ。あと所作も美しすぎる。殺すために百漢宅に戻ってきた時玄関先でマフラーをしゅるっと外す仕草、目眩がするほど色っぽかった。
ちゃんと悪い奴
しかし春峯堂さんは殺人行為を抜きにしてもちゃんと悪い奴である。永井とグルになっていろいろなことをやっていたという話があるが、骨董商なのにリボルバーを所持している時点で裏社会的な匂いしかしない。良い奴はまずリボルバーを持たない。こちらは少なくとも天馬先生にはない特徴だ。悪評さくさくだった春峯堂さんと異なり天馬先生に関しては誰もなにも言っていなかったので本当に殺人とマインドコントロール以外特になにもしてないのであろう。バレてないだけかもしれないが。そんなことよりコワモテだけど根は小心で悪人でなさそうな永井と雅な佇まいをしていながら根が邪悪な春峯堂さんは好対照である。タマゴタケ(見た目毒キノコっぽいのに無毒)とドクツルタケ(見た目キレイなのに猛毒)みたいなコンビだ。キノコも人間も一緒なのかもしれない。
独自の価値基準
同じカテゴリーに入っていると思っているのでしつこく天馬先生と同列に語るが、自分のなかに他人に振るがされない確固たる価値基準があって、自分が本当に大切だと思っているもの以外は容赦なく切り捨てるのも似てるポイント。春峯堂さんは本物か偽物かよりも「ただ古いだけの壺か自分ひとりのために国宝級の陶芸家が作った壺か」を考えていた。それが「本物と偽物なら当然本物の方が価値があるはずだ」という前提に立っていた古畑さんの推理を(些細なところではあるが)誤らせた。彼は確かに古美術ゴロみたいな悪い奴ではあったのだろうが、美術品に向ける眼差しは真摯なものだったのかもしれない。
おまけ:春峯堂さんのいいセリフコレクション
「これは穏やかじゃありませんねえ」
穏やかじゃないのはお前だ。
「私は脅迫に屈するような男じゃないんだ」
カッケー春峯堂さん。まあこっちにはリボルバーあるしな。脅迫に殺人で応じる男。
「ですから先生には死んでいただくことになりました」
あの柔和な口調でこれを言いながらリボルバーをつきつける春峯堂さん。ヤクザより怖い。だから穏やかじゃないのはお前だ。
「あなたね、この場の雰囲気に呑まれて気持ちがワルに傾いてんです」
百漢の作品を持ち去りたがる永井をたしなめる一言。子どもに言い聞かせるような言い方が素敵。本物のワルにそう言われると説得力あるね。
「……ジブタレ」
古畑さんに聞きとがめられた永井への一言。気持ちはわかる。
「あなた2桁上げたんですよ」
仏像を125万で競り落としてしまった今泉くんへの非情な一言。
「あなたにしては賢明だったですねえ」
これ言われたい。いい感じに冷ややかで、永井のことを道具としか思ってないのがよくわかる。
「教えてくださいよぉ」
うーん教えちゃう♡
「自殺をする者が下着をカバンに詰めるかな」
「かな」、あざとい。
「悪口も言われてる間が華と言いましてね」
悪評もどこ吹く風の春峯堂さん。メンタル強靭。春峯堂さんの悪行もっと知りたい。
「何を言ってるのかな。心当たりが多すぎてわかりません」
古畑さんの追及にしらばっくれる春峯堂さん。悪い奴なので心当たりが多すぎるそうです。この人のこういう雅なギャングみたいなところが好きです。
「…………無理でしょうね」
観念した春峯堂さんの呟き。何か仮面を脱いだような、素を見せたような言い方。「自供してくださいますか?」に黙って微笑んで頷くのも美しい。
「要は何が大事で何が大事でないかということです。……なるほど、『慶長の壺』には確かに歴史があります。しかし裏を返せばただの古い壷です。それに引き換えていま一つは現代最高の陶芸家が焼いた壺です。私ひとりを陥れるために、私ひとりのために川北百漢はあの壺を焼いたんです。それを考えれば、どちらを犠牲にするかは明らかだった。……物の価値というものはそういうもんなんですよ、古畑さん」
歴史などに揺らがない春峯堂さん独自の審美眼がうかがえる名ゼリフ。「歴史がある」という骨董にとっては揺るぎない価値だと思われていたものをひっくり返し、己の価値基準に則って真に大切にしたいものを迷いなく選べるすごさ。同時に彼がその最高の陶芸家を自らの手で葬っていることを考えるとゾクッともします。まさに春峯堂さんという人間が凝縮されているセリフ。「自分を陥れるために作った」が「自分ひとりのために作った」という価値に変換されるの、さすが悪口も言われてる間が華の人だ。
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