幸福の頭脳

 ささやかな風、やさしさが漂う古民家、小鳥のさえずり、ついでに私。冷たい空気を鼻で味わいながら、こう思った。「なぜ私はここにいるのだろう。」一人だけの道路を歩きながら、答えを探してみる。ふと、視線を上に向ける。そうすると、そこにあった山と目が合った。それは、雪のないスキー場のようなもので、斜面と見間違えるくらい急な坂も備わっていた。そして、私の探す答えはその坂の先にあった。豆腐みたいな白さの壁で、四階くらいありそうな大きさの建物。そうか、これが高校か。
 ということで、美しい描写もほどほどに、このふざけたように急な坂を登っていく。ぼんやりとした朝の頭も冴えてきたところで、今日この高校が戦場になるということを思い出す。どうやら、「じゅけん」なんていう戦いが起こるらしい。このことを私は昨日知った。同級生達は、この日のために中学三年を過ごしてきた、という風な顔をしていたが、私はもちろんそんな風な顔はしていない。至って無表情で、そして・・・ハァ、ハァ、はぁ・・・息切れをしている。そう、とにかくこの坂、急すぎる。考えごとをするには向いていない。もしこの坂を登っているのがっ、ストレスをかかえた人ならばっ、登りきるころにはッ、日常生活においての悪口が全て漏れ出ているだろう・・・。
 やっとの思いで坂を登り終えた私は、安心感のあるコンクリートの平面上を歩きながら、スぅ~、はぁあぁぁー・・・呼吸を整える。そうしているうちに、玄関への入り口が見えてくる。入り口付近では、朝早いというのに人だかりができていた。そこに同級生の姿は見えない。そうだ、私の家は同級生の誰よりもこの高校との距離が近い。少々早く来すぎてしまったのかもしれない。とりあえず私の中学校の、登校を確認する役の先生を見つけ、状況を確認する。「おはようございます。」「おはよう。」「僕、もしかして一番乗りですか?」「いや、もうみんな教室にいるよ。」「まじすか。」 恥ずかしさが私を突き抜けていった。私は苦笑いをしながら、すばやく玄関へと侵入した。先生も苦笑いだった気がする。みんな真面目で良きことだなあ、恥ずかしさを感心で塗り潰して、私は受付へと向かった。「受検票はありますか。」受付の人にそう問われる。もちろん持ってきている。この紙がとにかく大事だということだけは、クラス担任にさんざん言われたので覚えている。第一関門である受付を難なく突破できた私は、昨日の中学校であったちょっとした出来事を思い出しながら、教室へと向かう。
 昨日中学校では、今日という日のための最終確認が行われていた。事前に資料が渡されていたが、最終確認の日に限って、私はその資料を家に忘れてきてしまった。同じように忘れてきてしまったやつが私以外にもいて、 朝一でクラス担任に報告しに行っていたが、 ありえないくらい大きな声で怒鳴られてしまっていた。すっかりびびり倒してしまった私は、昼休みになるまでなんとかやり過ごすこととなる。ここまでは順調で、このままうまく誤魔化し通そうと思っていた私だったが、 成績の良い女子二人が私のもとへやってきて、「ちゃんと言いに行ったほうがいいよ。」と言い、私はいい感じに説得されてしまう。心が浄化された私は、クラス担任のもとへ行き、 正直に資料を忘れてしまったことを報告するのだが、案の定怒鳴られることになる。これは、朝よりも酷い。何が酷いかって、「どうせ本番でも受検票を忘れて、そのまま言い出せずに終わるんだ。」とか、「お前はもう受検しなくていい。」とか言ってくるのが酷い。じゃあやめます、と言いかけたが、多分こういうのは言う通りにしてはいけないやつなので、「いえ、受けたいです。」と言った。まあ、先生がここまで心配してくれるのも考えてみればよく分かる話だ。本来ならば朝一で報告すべきことを、昼休みにしているし、その理由については、「勇気が無かったから。」で、資料を忘れた理由に関しては、「今日持ってこなければならないことを知らなかったから。」で済ませているからだ。だが、こんなに心配されているのには、もっともな理由、もとい原因があることを私は知っている。それは、私の「ステータス」だ。定期テストでは常に最下位争いをしていて、時には三十点台を叩き出すこともある。一教科じゃないぞ、五教科合計で三十点台だ。面白いジョークに聞こえるだろうか、否、笑えない現実だ。普段の授業でも半寝か寝ているかのどっちかだし、あきらかにおわっている。そして、なんだかんだで説教を乗りこえた私は、次の日、「じゅけん」とかいう説教に比べたらしょぼそうなものに挑戦することとなり、今に至るのである。
 妙な緊張感を纏いながら階段を登り終えた。目的地はどこだろう、教室の並ぶ廊下を、最小限の足音で自然に歩いていく。どれも同じ造りの教室だが、その数に驚いた。これは、一学年で六、七教室はあるぞ。私は一学年一教室で足りるような、少数精鋭の一員として中学校生活を送ってきたので、この高校の規模はありえなく感じた。そんなことを思っていると、透明なガラス付きドアから見覚えのある顔が見えた。中学校の同級生だ。目的の教室はどうやらここらしい。ドアを開けるが、またもや驚くことになった。なんと、教室にいる人の三分の二くらいがおなちゅうだったのである。この高校を志望している人が多かったのは知っているが、同級生が一つの教室に集合してしまっている様子は、中学校での日常風景となんら変わりないではないか。もっとこう、ランダムな感じで各教室にちらばると思っていた。予想外が既に多く起こってきたが、私の受検だか受験だかは、家を出た時からもう始まっている。持ち前の泰然自若さを大切にしつつ、自分の席を探して座った。私の席は教室のど真ん中だった。前後左右には同級生、有り余っていた緊張感は脱ぎ捨てて、この安心感の中で受検できることに感謝した。そうそう、確か受検というので正解だ。中学校の担任がそんなことを言っていた気がする。それと同時に、私の頭が冴えてきたのを感じた。コンディションは上々といったところだな。珍しく早寝した甲斐があったというものだ。一つ目のテストは、国語。まわりを見るに、国語の勉強をしているやつが多い印象だ。こんなときにまで受検勉強とは、無駄な足掻きだな。と、教室のど真ん中でほくそ笑む私であった。まわりが真剣モードに入りつつある中、肝心の私といえば、何もしてきていない。つまりはノー勉で今日という日に臨んでいるので、まわりのやつらとは心構えのレベルが違う。そういうことで、特に無駄な足掻きをする気も無い私は、思い出を掘り返して暇潰しすることにした。
 私の中学三年間をなんとなく振り返ってみよう。この三年間を漢字一文字で表すとするのなら、鬱といったところだろうか。入学当初はまだ得体の知れない希望で満ちみちていた私だったが、一月後くらいには形ある絶望が見え始めていた。その絶望の正体は、課題だ。宿題ともいう。私は課題というものが超がつくほど嫌いで、生理的にも受け入れ難い存在だという事実を、中学一年生の時から薄っすらと、それでいて確実に気付きだしていた。一年生の秋辺りだったか、課題関係の出来事で母親を泣かせることにまでなった。詳しくいけばいい感じのエッセイが出来上がるので、割愛する。二年生のときは毎日がどんよりとしていた。授業内容はよく分からなかったし、定期テストの点は最下位近く、部活は眠りながらやっているようなもので、先輩によく怒られた。吹奏楽部だ。でも、文才が見え始めたのはこの辺りだった。地域の読書感想文コンクールで、三席を取れた。そんなに凄いことでは無いかもしれないが、私は嬉しかった。三年生のときは、絶望の中を歩んでいた。課題はなんとか出しはするが、赤い文字だけか、手つかずの状態かのどちらかだった。毎日鬱のレベルが上がる中、後期中半。私はガチの限界が来ていたので、学校を休むことにした。しかし、一日休んだところでなんと特別に課題を免除して貰えるとの連絡があった。夢のようだった。気力があっという間に全快した私は喜んで登校するようになった。授業はだいたい寝ていたが、課題という呪いが無いだけでかなり快適に学校生活を送れた。とあるエッセイコンテストや読書感想文コンクールで入賞もし、どん底にいるのは相変わらずだったが、楽しい日々を過ごしていた。そうして、結果的には明るめの中学校生活を送った私が、今日に至る。
 明るい部分を探しながら振り返るのが大変で、危うく病みかけた私は、おもむろに自分のかばんから一冊の本を取り出した。私の今日の持ち物は、この一冊と筆箱のみだ。その本の正体とは、国語便覧である。国語に関する様々なことが分かる、私の愛読本だ。もちろん受検勉強に使うわけではなく、自分の心を落ち着かせるために使う。ある詩を読みたかった。それは、中原中也の汚れっちまった悲しみに、だ。謎のチョイスだが、とにかく読みたかったので読み、暇潰しとした。そうしているうちに暇潰しの時間は終わり、受検の説明がされた。とにかく不正行為さえしなければ良さそうだ。私は卑怯なことは大好きだが、あくまでルールの範囲内での話だ。まずカンニングペーパーなんか作ってる暇があるなら、国語便覧を読むほうが圧倒的にアドバンテージとなる。そんなこんなで国語テストの始まりが近づく。書き慣れた三文字の名前。受検番号以外は見慣れた数字が多い。ノー勉とはいえ、私が勉強という意識をしていないだけで知識を蓄える場面は多くあった。例えば、微かに意識があるときの授業、国語便覧、朝のニュース、ユーチューブ、オンラインゲーム・・・。このあたりで、無駄な枚挙はやめにした。私は私だ、もう後戻りはできない。これでも一応自信を持って受検に臨んでいるのだから、気が違っているようである。客観的な観察で自分を誤魔化しつつ、三秒くらいで練った作戦を思い出した。中学校の担任いわく、百八十点取れたらワンチャンあるらしいので、国語で六十点、数学で二十点、英語で二十点、理科で四十点、社会で四十点取ればカンペキである。私の得意教科は、もちろん国語。ただし、国語テストは嫌いだ。登場人物の心情を当てる選択問題とか、一番最後のほうに出てくる作文を書かされる問題とかが嫌いだ。前者は多分あるあるだと思われる、色々な捉え方のできる問いに答えが一つなのはおかしい。後者は、昔定期テストで最後の作文から先に挑戦したところ、四十分も時間を取られたからだ。作文は作文で六十分取るべきだと思う。今回の受検でも作文に取り掛かるのは得策ではない。中学校の国語の先生は、作文問題は必ずやるべきと言っていたが、私にとってはただの落とし穴で、引っ掛かると文字通り落ちることになる。そして、ついに国語テストが開始された。作文以外で六十点を取る。ここが私のぶっつけ本番受検において重要なスタートダッシュポイントだ。
 集中状態を維持したまま国語テストを終えた。こんなことは人生で初めてかもしれない。作戦通り、最後の作文以外の問題を本気で解いた。私にも本気という概念があったことに驚いた。多分六十点はいっただろう。取れてなければ落ちるので、取れたことにする。次は数学テストの時間だ。私はたった一つの選択肢、国語便覧を読んで待機するを実行した。まわりは相変わらずの悪足掻きで、国語便覧を読んでいるやつはいなさそうだ。逆張り好きの私にとっては最高の環境である。さて、数学テストに名前を書く時間になった。書きながら作戦を思い出していく。数学は、正直何も分からない。目標点数も二十点だ。算数ならある程度できるので、算数力でなんとか二十点ぶん乗り切る必要がある。少し不安はあるが、集中モードで紙と向き合い、どうにかすることにする。
 数学テストの時間が終わった。希望ある終わりなので安心してほしい。意外と分かる問題が多かった。目標点は余裕で取れているだろう。受検も案外ヌルい戦いかもしれない。ヌルく生きている私の得意分野である。ただ、一つミスはあった。必要なはずのコンパスを用意し忘れていたのである、まあ、コンパスを使う問題は何一つ分からなかったので問題なかった。そういえばの話、定期テストでも物を用意し忘れることはよくあった。コンパスもそうだが、特に、「定規」。代用品として、消しゴムやシャー芯ケース、テスト用紙辺りなんかにはお世話になった。私はハンデ好きのマゾヒスティックな心理の持ち主なのだろうか、趣味の自己分析が捗った。そんなことをしていたら、次の英語テストの時間がきた。数学と同様、目標点は二十点。しかし、英語に関しては私の運にすべてを託すことにしている。このときのために運は貯めておいたつもりだ。英語は選択問題が多い、並び替え問題もある。自分のセンスと運を自信にして、まず名前を書いた。
 英語のテストが終了する。私は少し疲れてきた。だが、ちゃんと自信はある。無ければ受検は受けていない。何故私が受検をしているのか、それは、こんな自分でも高校生活で何か変わるかもしれないという、根拠も自信もない可能性に漠然とした希望を賭けているからである。私の趣味の一つ、生きる意味探しのためでもある。人生に行き詰まったら、とっくに硬い地面かロープと仲良しになっているところなのだが、いつも行き詰まる直前で狭い道が開けてしまう。ただ追い詰められていっているだけなのかもしれないが、限界までは私らしく生きることにしている。さてと、あとは理科と社会の二教科が残っているが、この二つは暗記教科として名高い。暗記はあまり得意ではないのだが、私が得意とする身にならない答え写しで、多少知識は身についている。身にならない答え写しでも、千回くらいやれば一つくらいは身につくのだ。その積み重ねで地道に刻まれた私の理科力、そして社会力を今日ここで発揮する。自分らしさ全開で、今日限りは真剣だ。
 理科のテストを終え、勢いのまま社会のテストも終えた。かなり疲れた、どちらも四十点は取れただろう。私の知識をフル活用した。晴れやかな気持ちになってしまいたいところだが、まだ最終関門が残っている。面接、だ。ここでしくじると私の本気は無駄になる。しかし、どうやら時間が押しているようで、面接が少し簡略化されていた。ありがたいことに最低限の礼儀で入室することができたが、運は悪く、一番最初に質問を受けそうな位置に座ることになった。集団面接だ。やはり私が最初に志望理由を聞かれ、話した。私が基準になるのかと思うと、緊張する。それでも、中学校で練習の機会が多く取られていたおかげもあり、いい感じに話すことができた。あとは他の人のレベル次第だが、意外と私と同じくらいのレベルで安心した。面接練習では、同級生の中で一番下手なくらいの私だったが、同級生がハイレベルなだけだったのかもしれない。そうして、あっけない感じで受検は終わった。何だか私らしさがよく出た日だった。
 受検から少し時が経った。待ちに待ってはいないが、ついに合格発表日だ。ほんの少し登りなれた坂を越え、結果を見に行く。人混みができていて、親と来ている人が多い、私も父母と共に来ていた。私の受験番号をゆっくりと探す、目の良い母は私より先に見つけている ようだった。そう、あったのだ。私の自信は嘘にはならなかった。必然的なことではあったが、喜んだ。努力せずとも、受検はなんとかなるものだな。その場に居合わせた同級生と笑いあい、一緒に写真も撮った。同級生にも落ちてしまったやつはいないようで、安心した。まあ、私が一番落ちてしまいそうな候補として数えられていたと思うので、私が受かったのなら、他も受かったようなものだろう。
 後に点数を確認しにいったが、なんと二百三十点台。嘘みたいな結果と過程を前に、高笑いを決め込んだ。三十点時代と比べたら、二百点アップだ。お世話になった中学校の先生方が見たら腰を抜かしてしまいそうである。なんちゃってエッセイストの私は、この物語をぜひともエッセイの中に思い出として永久保存したいと思ったので、このようにエッセイとなった。私らしさのこもった文面は、これから先行き詰りそうな時や、自分を見失いかけた時に大いに役立つことだろう。自分らしさというのは、生きていく上で失ってはならないものだ。どんな生き方をしようと、結局自分は自分なのだから。


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