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【本】露伴の「失敗をしたら必ず自分のせいにせよ」を自分なりにかみくだく

2024年元旦から、毎朝、『1日1話、読めば心が熱くなる365人の仕事の教科書』を読んでいます。

きっかけは、1月1日の碓氷早矢手さんのVoicyで、「背筋が正される本」と紹介されていて、1日1回正したい!と思ったからです。

朝活にもってこいなのですぐ読みたいと思ったのですが、Kindle版はなく紙の本だけ。
でも2日に届くというので即ポチしました。

ですがAmazonに上がっていたサンプルが1月1日ぶんだったので、元旦はそれで補完できました。

毎朝読む習慣が本日で5日目です。
3日坊主は乗り切った!

露伴の『努力論』

今日のテーマは、「幸田露伴が発見した成功者の法則」とし、渡部昇一さんが「失敗をしたら必ず自分のせいにせよ」という露伴の言葉を取り上げています。

この露伴の言葉は、『努力論』という本にある言葉であることを確認しました。

露伴は、著作権が切れている作家なので、「青空文庫」ですぐに無料で読むことができます。ありがたや。

さすがに1冊丸ごと青空文庫で読むにはスマホでは厳しいですが、部分を読むには充分です。

この部分、成功者は自分の力によって成功したと思っているのに対し、失敗者は自分のせいではなく運命のせいだと思っているというくだりなど、あるある!ではないでしょうか。

それは世上の成功者は、皆自己の意志や、智慮や、勤勉や、仁徳の力によつて自己の好結果を收め得たことを信じて居り、そして失敗者は皆自己の罪では無いが、運命の然らしめたが爲に失敗の苦境に陷つたことを歎じて居るといふ事實である。即ち成功者は自己の力として運命を解釋し、失敗者は運命の力として自己を解釋して居るのである。

この言葉もいいなと思いました。
たしかに、やってて楽しいことは努力だと思いませんものね。
私のこのブログも然りです。

努力して努力する、それは眞のよいものでは無い。努力を忘れて努力する、それが眞の好いものである。

この文章のスパッと感は、現代語訳よりも原文で味わいたいところです。

自分なりにかみくだくと

『努力論』の中身の濃さはさすが露伴先生というところですが、「失敗したら何でも自分のせい」は大げさじゃない?と思う自分もいます。

そこで、その言葉を自分なりに腹落ちできるようにかみくだいてみました。

露伴がいいたいのは、 「何でもかんでも自分が悪い」と卑屈になれということではもちろんありません。

渡部さんは、失敗を自分のせいだと思うことで、ああすればよかった、こうすればよかった、と反省することとなり、それが進歩であり前進であり向上だと言っています。納得です。

そして私はそれに付け加えて、「自分ではなく何かほかのもののせいだ」と思うことで、閉ざされる感覚があるのではとも思います。

自分のせいではない、というのは、ある意味思考の行き止まりで、思考の停止です。
感覚は感じることをとめられ、麻痺させられます。

一方、自分のせいだ、と思えば、通路はひらかれ思考はすすみます。
結果、物事をとらえる感覚の肌理がこまかくなっていくでしょう。

まず自分のせいだと思う、自分ごととしてとらえる、そのマインドセットの違いそのものが、感覚をひろげ、また、感じる力の強さに影響し、ことは失敗したことの事実だけではなく、感じとる範囲をひろげ、感じとる力も強くするのでは、と思うのです。

『努力論』、原文で読み進めていってみます、

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