見出し画像

『わたし』①

ひょんなことから
子連れ同士の再婚となった

元夫は結婚前からうちに子供を預けて
夜な夜な飲み歩き朝帰ってくるような人で。
うちに連れてこられた息子はお父さんが帰ってこないのは
あたりまえのようになっていた。
そもそも仕事柄夜勤のある人で
夜いない日もあるから抵抗はなかったのかもしれない

わたしの価値観ではあり得なかった。
うちに置いて行かれるたびに
わたしになついていくこの子を
手放すことができなくなってしまったのだ。
いったいこの子は家族の中でだれが育てているのだろうか?

同学年の息子Yがある日私に言った
「なんで僕のボタンは自分で止めるのにママはSくんのボタンは留めてあげるの?」
ついに来たか!
「Sくんはまだ自分でできないんだ。だからママが止めてあげながら
やり方を教えているんだよ」
納得したのかその日を境に私がSくんにすることに
ひとことも口をはさむことはなかった。

心の中では葛藤していたかもしれない
「僕のおかあさんだ」と。

始まりがこれだから
しまいまで夫婦が夫婦として成り立つわけがない
家族 としては楽しい家族だったし
離婚した今でも子供たちは元夫のところにもいくし
わたしのところにも来る

元夫の彼女ができてからは
連絡をやめた。
直接の連絡先はすべて削除して
もう家族の形は戻らないものとした。
元夫の第3の人生が始まるのだ
それが私流だ。

少々頑固
自分の価値観の通りに突き進む

本日、手相を見ていただいたら
まさにその通りのことを言われてしまい
驚いた。

そうやって自分を押し通すのだから
当然、不具合は多々発生する。
それでもそんな時、自分を励ます言葉が
『充分やってきたよ!』だ。

ギリギリの線まで許し続ける
でもそれは
我慢だったりする。
淋しいのも甘えられないのも
我慢し続ける。

本当は甘えん坊で淋しがり屋だ。

だから
放っておけなかった
この子を育てなさいと
神様に言われているような
そんな気がした。

大人の私だって
こんなに淋しいのに
まだ小学生にもなっていない
この子がどれほどの淋しさを
抱えることになるんだ!
怒りにも似た感情が湧いていた

30年も前の話だ。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?