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音楽の内面化@現代

最近、SNSに「最近の輪者には好きな音楽がない」という話題が流れている。「好きな歌手を聞いても、答えられない」「いろんな歌手を聞く」という返答ばかり、ということらしい。

これに対して、「現代の若者はサブスクリプションサービスで流行ばかり聞くから云々」「似たような傾向の歌手がおすすめで流れてくるから1人に絞れない云々」とあるけれど、どれも指摘としてズレていると感じる。
いや、無論サブスクが視聴体験や音楽との出会いに影響を及ぼしているのは間違いないけれど、問題はそこではない。

若者が好きな歌手について人と語らないのは、音楽が内面化されつつあるからではないだろうか。
若者にとって、好きな歌手・音楽を伝えることは自己開示に等しいものであり、性癖の暴露に繋がりかねないのだと思う。
ミスチルが好きな人ってこんな人。乃木坂が好きな人ってこんな人。ヨルシカが好きな人ってこんな人。ミセスが好きな人って、髭男も好きじゃない?ビートルズ好きな人は音楽通で、湘南乃風好きな人は陽気だよね。

加えて、これは肌感覚だ――私はそれが有効であることを知っているので、積極的に他人に好きな音楽を聴く節がある――が、好きな音楽はその人自身の中身を露骨に表す気がする。
「好きな音楽ってありますか?」「わりと何でも聞くよ」
「へえ。好きなジャンルとかあるんですか」「ジャンルは特に絞ってないかな。なんでも」
「お気に入りの歌手とかいます?」「”最近だと”Adoとかかな」
「おー、いいですよね。お気に入りの曲とかあるんですか」
…etc.
こんな会話をする。若い人ほど、全く好きな歌手の話題に触れない。「最近だと」。この接頭辞が必ずついて回る。それでいて詳しく掘り下げていくと、ちゃんと好きな歌手がいて、それがマイナーだったり、ファンとして古参だったり色々な話が掘り出される。
要は、心の内と音楽が密接に結びついているからこそ、安易な自己開示を避けるのだ。他人にそれが好きな人だと思われたくないというわけではなく、それが好きだとばれることでどういう人間か判断される。それを恐れている。
恐れる理由は様々だろう。自分の内面に踏み込まれたくないというのは当然あるし、自分の好きなアーティストが理解されがたいものとして否定されるのが嫌だというのもあるはずだ。後者の場合、厭世がちな人間は己の高尚な趣味を語るためにさほどはまってもいないマイナーなバンドを紹介するのが対比か。ほかにも、人前では明るい性格としてふるまっているので、薄暗い感情のアーティストを好きだと公言することで己のイメージが崩壊することを恐れている人だっている。

サブスクリプションや音楽文化の変容――いわゆる「チルポップ」「ち○ちんバンド」――が影響しているのは間違いないけれど、それはより内面化に結び付いているのではないかと思う。

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