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壁/続く

半年間の留学生活が終わった。

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長期海外滞在という憧れは、親との金銭的な気まずさにある程度耐え、自分で動かない限りは誰も叶えてくれないということに気付き、最終的には色々なものを投げ出すような感覚で異国の地に到着した。段々、じわじわと自分に向き合う時間に変わっていった。家族観について文字にするのは怖い。
目に見えてわかりやすい成長をしている自信はないが、留学は確実に自分の一部を成していて、この経験を話したい気持ちと自分の中で留めておきたい気持ちと、混在している。

とは言いつつも、文字にしてみよう。

例えば、移住という選択を、自分事として捉えられるようになった。大陸は繋がっていると実感して、転職するようなノリで住んでいる国も変えていいんだ、と思った。
自分はどの環境にいても自分だ、この身一つだ、とも思った。国が変わったからと言って急に変わることなんてなかった。日本でも飛行機の中でも向こうでも、私は私だった。ずっと繋がっている。そして帰国して1週間くらいの私は、もう驚くほど日本人だ。
あと、天気は人の機嫌を左右すると思った。天気は行動様式を変え、人柄を変える(気がする)。

こういう類の小さな気づきが積み重なって、思考の幅が広がった。

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海外で働きたい!と強く思っていた。しかし受け入れられないと返されたり、メールの返信がそもそもなかったりして、結局諦めてしまった。

これもあって、「背伸び」か「等身大」かどちらが正義か?ということをずっと考えていた。今もなお考えているが、等身大でありながら背伸びしたい自分も同時にいる、というのが現状の答えだ。そう漠然と脳内で自論を展開していたら「越えられそうにない壁を横目で見ながら壁沿いを走る」というハルさんの言葉に出会って、うお〜となった。

留学先で個人的なホームステイにアプライしたのはこの背伸びと等身大が共存するところに理由がある(結果論だが)。オリジナルな経験がしたいけど言語が追いつかない、専門知識もない。
そんな中ホームステイでは、生活者でさえいれば良い。実家以外の暮らしを知りたいという気持ちも、言葉が下手でも「あなたは良い人だ」という他者からの評価が欲しかったという気持ちもあった。
同じ世界にこんなにも違う生活をしている人がいるということ、日本に戻った今もその生活を思い出せること、そういうことに胸がギュッとする。(❤️)

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結局は自分が自分に納得できているのかが重要なのであって、どんな選択をしても寄り添った言葉で補完できると思った。自由だ。

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だからこそ、他人から過大評価されるのはすごく居心地が悪い。逆に不安になる。私は何もすごくないのに、と言いたくなる(私へ すごいよ 私より)。
褒められると、他人から見た自分 / 自分が自分と認識するモノが乖離している感触がして、苦しい。
そう思うということは、私は私の留生活に納得していないのか。いまだに「背伸び」至上主義者としての価値観が私の大部分を占めているのか。どこかで「等身大」は「逃げ」だと思っているのか。

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初めて留学先についた時の感覚を覚えている。寒かった。散歩中、何を目的とするのか完全に理解せずとも「留学したいんだあ」とボソボソ言う私を応援してくれる友達がいて(手紙とかプレゼントとか、有り得ないし有難い)、今この地に足をつけていることを実感して、涙が出た。忘れたくない。

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向こうに行っている間、家族という共同体のエネルギーが大きく変わった。そのことに気を取られているのか、やりたいことを追求しているのか、輪郭がぼやけた。
「優しいってことは頭がいいってことでしょ」「楽しいまま不安」と、寝ぼけながら言う大豆田とわ子のように、何個もの感情が浮き沈みする感覚になった。そのままこれから自分は何者にもなれない気がして、数年話していなかった頼れる他人に勇気を出して連絡した。そんな時期もあった。

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綺麗な景色が見える展望台/川沿いのカフェ、喋りすぎたって連絡きた/空きコマカレー/美術館5時間滞在/勝手に種植/植物園で絵を描く/川の向こう側でメタルロック、先生の喫煙現場に遭遇/saturnino herranの画集/ドライブトリップ/飛び入りイタリア人と一緒に新しい家で絵を描いた/川沿いピクニック、名前を彫った石、茎の冠/ブランコの丘で旅行話、マシンガントーク

出会ってすぐ、気の合うことを確信していいのか、いやでも一緒にいてめっちゃ楽しい、通知きたら思わず可愛いと一人で呟くぐらいにはときめいていた。

韓国の上空でカントリーロードを見終えて、これからもいつ彼と再開できるかわからないけれども、言語の勉強を続けようと思った。雫が好きだ。美しいと思うものを美しいと言う。よく寝る。そのようなものの一つに言語の勉強をしよう。
長い人生の一部に過ぎない短期間の経験だったけれども、この時間に執着して延長線上を歩いていける。そう考えれば言語は凄い。コミュニケーションのツールを勉強できるってなんて実用的でロマンがあるんだろう。

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