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春の宵のハイウェイ

大抵夜は眠いのだけど、2日続けて眠気を見失っている。

この夏、物をざばざばと手放し、風通しがよくなるのが心地よく、また手放し、と断捨離がはかどっていたのだが、昨日、むかしの手帳から発見したタクシーの領収書に、ふわっと春の宵に引き戻された。

その日わたしは、京王線沿線の駅で懐かしい人たちと会っていた。平日だったが、シフト制だった当時のわたしのしごと(眼科助手)は休みで、以前バイトしていた編集プロダクションの人たちと、編プロ近くで待ち合わせた。編集のしごとにはつかず、眼科で働くわたしを、「校正もできる医療従事者」とからかわれたのだったか、いやいや「まぶたの反転ができる編集者」かもしれませんよとおどけたのだったか。楽しいひとときを過ごし、翌日はしごともあるのでと早めに駅へ向かうと、電車が止まり、混乱の気配があった。

新宿からその駅の間のどこかで、電車が脱線したのだという。復旧の見込みは立たない由。帰宅にタクシーを使うと交通費を鉄道会社が立て替えてくれるようだと、誰かが教えてくれる。そんな時にタクシーをつかまえるのも難儀だと思うのだが、うまく一台に乗り込んで、帰路についた。

物ごしの柔らかな運転手で、ホッとする。当時23.4だったわたしより、10歳くらいは年上の男性だろうか。お喋り好きのようで、脱線による混乱の色々を教えてくれる。乗車したこの京王タクシーのみならず、京王バスも、無線で総動員にちかい集合をかけられていること(車庫に向かっていた終バスも戻ることになったんですよ、と)、わたしは上り列車で帰宅予定だったが、新宿から下り列車に乗るはずだった通勤客の数は、比ではないのだった。大変ですねぇ、などと相槌。思えば、あの頃、わたしは日々のしごとであらゆる年齢層の患者さんに問診しており、お喋りが今よりぐっと滑らかだった(んじゃないかな)。

「高速、使っちゃいますね」と言われ、首都高にのった。ほろ酔いだし、タクシーで高速つかって帰る、だなんて、と、二十代前半のわたしのうわずった気持ちが、加速と酔いと共に夜景にとけていった。気づけばお喋りは、運転手の兄だか弟だかの話になっており(勤め先の会社が夜景の中に見えたのだったか)、「あぁあのシリンジの」と返す。職場で使うシリンジといえば、その会社だった。20年近くたってしまって、全く詳細は思い出せないのだけど、その会社名だけはっきりと覚えている。帰宅に要した小一時間ほどの間、春の宵のムードにしっくりとお喋りは深まっていった。

家の近くで一万円ほどの支払いをした後、運転手はわたしに500円をくれた。大変な夜だったし、朝ごはんにでも使ってください、と、言われたように記憶している。ちっとも大変ではなかったのだけど、500円玉は親しみ深い重さを手のひらにおとしていて、ありがたくいただくことにした。

わたしのために、いつものエリアから高速をつかって遠くまで来てくれた京王タクシー。一方通行の多い道で、帰りに迷わなかっただろうか、新宿で帰れずにいる人の帰路をきっと助けただろうな。あの日見送ったテールランプがすぐそこに見えるのに、もう手を振れないもどかしさ。運転手さん、その節はありがとうございました。わたしも前へ、繋いでゆきますね。

春の宵のハイウェイの軽やかなること、500円玉の価値と質量のあわいに漂う優しさの奥ゆかしきこと、どちらもあたたかい夢のような余韻を、今でも胸に残している。

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