マヤトモマヤ (ヤマモトユウスケ)

教員から放送作家に転職して、5年目。「全力でやってみて食えなかったら潔く戻ろう!」と思…

マヤトモマヤ (ヤマモトユウスケ)

教員から放送作家に転職して、5年目。「全力でやってみて食えなかったら潔く戻ろう!」と思っていましたが、今のところ、予想に反して食えております。10年間教員をやっていた放送作家は、おそらく日本で僕一人のはず。現場を離れてようやく気付けたことを記します。

最近の記事

映画『SLAM DANK』について思うこと

 「山王戦」をまるごと見たい!!!なんなら、試合前のウォーミングアップから、試合後の興奮冷めない体育館まで全て。  現在はクォーター制だし、ファウルやスローインのルールも違うから、ルールは当時のまま(ストーリー変わっちゃうし)。前後半20分+ハーフタイムを意識した作りで、自分が体育館にいるような没入感を味合わせてほしい。僕らがオリンピックで体感できなかったことを、この作品なら創り出せるはず!  バスケに限らず、熾烈を極めた試合の時の体育館の熱気は異常。特にこの試合は、山王

    • 指導力(仮)が無い!話

      〇子どもに話を聞かせることができる 〇子どもに指示を通すことができる 〇計画通りに事を運ぶことができる 指導力と言っても、いろんな定義があると思うが、当時の僕が捉えていたのはこの3つ。要は”子どもを動かす力”のこと。 これが僕には“無かった”。 実は“それなりにあると思っていたのに無かった”パターン。 所謂、地獄。 この原因として、行き着いたのが以下。 ①身長(169cm) ②胸板(心身ペラ夫) ③顔(メガネ込) ④性格(心身ペラ夫) ⑤教師観(固定観念)   ⇒これま

      • 何も無くなった話(教員2年目)

        僕の短所であり、長所。 「なにもない」 僕がnoteに書き留めておきたい話は、 全てこれを前提としています。 「なにもない」ってのは弱い。なにもないから。 「なにもない」ってのは強い。なにもないから。 傷ついて何もなくなっちゃった人がいるなら、少しは役に立つんじゃないかと思ってます。 ******************************************* 僕の「なにもなくなった瞬間」は鮮明だ。正規採用2年目の、2007年10月2日15時。校長室の大

        • 経歴紹介

          福井県福井市生まれ。すくすくと曲がった性根を、心優しく順応な友人や同僚達に補正していただき、現在に至る。 2004年4月~2006年3月。福井の特別支援学校に講師として勤務。振り返ってみれば、ここでスタートを切れたことが、僕の教員生活最大の幸運だったと思う。 2006年4月~2017年3月。神奈川県K市に小学校教諭として勤務。高学年多め。自分の人生観や教育観が如何に拙いものであったかを思い知る。カルチャーの壁は、想像よりもはるかに高くて厚い。 2017年4月~。放送作家