見出し画像

【議事録】2023年度第4回真山ゼミ 「大学の授業で変えてほしいところ」

今回のゼミのテーマ

今回のゼミでは、「大学の授業で変えてほしいところ」について議論しました。

事前課題

まずは自分ごととして捉えられる範囲から意見をまとめる手助けとして、
以下の二つの事前課題を設けました。

・自分が大学で学んだことを振り返ってみる
※学部1年生の方は学びたいことでも可

・自分の大学(学部)のアドミッションポリシーを読んでおく

導入(真山先生のコメント)

最終的な落としどころ:真山ゼミでは1年間同じテーマが理想
目標:大学で学べないところを真山ゼミで学ぼう、となること。

一番学びたいことを抽象的にまとめると良い。文句で終わらずどうしたら学べるかを議論してほしい。本で書いていることと現実のギャップはどこにあるのか。
例えば、安全保障の話が色んな記事に出てくるが、自分の腑に落ちないのはなぜか。

一人1、2分くらいで話して、できればなぜだと思うかを後半で煮詰めてほしい。
途中で、つまりこういうことを学びたいということ?と問うのでそれに反応してほしい。

ゼミ生の意見

Aさん:政治、社会、経済を学びたかったが、語学の必修も多く、学べてなくて残念。

Bさん:自分の考えている根源を捉えたいと思っているが、必修が多い。大学の中でクリアになるのか、それ以外のところでクリアになるのかわからないが、大学に期待しているわけではないが、大学のゼミや人との関わりから得られるものもある。

Cさん:大学の授業にはあまり期待していなかったため、不満はそれほどない。理系の教育の絶対量が多く、それはすごく重要だが、モチベーションやどう役に立つのか言わない。文系科目はあまりできなかった。

Dさん:いかにルールを守るかということを前提としているのが残念。破らずともどうルールを広げられるかということを教えてほしい。特許の取り方、将来性をアピールする方法。

Eさん:理系で入ったが、関心は文系寄り。まずは教養学部、必修が多いとなかなか他のコマを入れられない。教養教育とは?物理や数学を専攻するような人がやればいいことをやっている。社会に入って必要なこと、(政治、憲法とか)を全員が学べるようにすべきでは。

Fさん:自分の将来研究に役立つ以外の、今は興味ないがやってみたら面白いことを大学で学びたかった。選べるのではなく、無差別にやってほしかった。社会全体として、就職のための大学と見られてしまっている。授業を休んでまでインターンへ。社会としてこれが受容されているのが難しい。ガクチカ。学問以外をアピールとは?大学に通う意味を考えてしまう。

Gさん:日本の大学は暇が多いのでその分ゼミや読書ができた。学び方を教えてほしかった。社会に出てこれまで思いもしなかった分野(企業分析やマーケティング)を学び自分の中で体系化しないといけない。
学生はビュッフェの様に学問を消費していく、軽薄。本当に自分が学びたいことは衝動的に学ぼうとするはず。学生が本気で学ぶような気にさせる授業が良かった。

Hさん:政治学を学びたくて、政治学科に入った。法学部に入ったのにほとんど語学に費やしている。大学が就職予備校化している、大学自体もそれを助長させて、そういう雰囲気を出している。学生もそれ。

Iさん:講堂での一方的な授業は全てオンデマンドかオンライン(ハイブリッド)にしてほしい。むしろ倍速で2回見た方が効果的ではないか。語学が多い。
(真山先生)先生がかわいそう笑。

大きく分けて二つに分けて議論してほしい。東大がリベラルアーツを堂々と推進している割に、そもそも学生がリベラルアーツを何かわかっていない。
欧米では専門職に就く人は文学や哲学をやる。特に法律家、医者は人間が何か分かっていないとなってはいけないという考えがある。

人が働いている間に学んでいるのだから最低限の教養を持たなくてはいけない。
大学はこれは知っているはずだが、できていない。昔から語学の現状は変わっていない。
知らないことを知る意味で教養学部は意味があるが、問題は自分が何を知らないかを誰も聞いてくれないこと。

教養はいらないのか?
教養を積むと、知らないことを知る術を少しずつ知っていく。自分が知らないことをたくさん学んだ時に学び方を知っていく。

(自分のところでバイトしている学生が)自分の興味に学部4年になって気づいたが、「入学し直すのは大変だからいいや」。

就職予備校化しないためには、勉強を頑張りましたと言えるようになれば良い。本当に学びたいことを学べていない、それを探せたら良い。欲求として知りたいことがはっきりしないから専門について漠然としている。

教養はいらないのか?
Gさん:教養はいる。語学が嫌なのが理解できない。教養は古典を読むことなのか?

真山先生:専門性が高過ぎるとそれだけで専門科目になってしまう。古いコンピュータと新しいコンピュータの違いが分かる、くらいが教養。

Gさん:自分の位置が分かるのが教養。自分は19世紀のドイツ哲学で論文を書いて卒業したが、歴史が分からないとその時代の哲学がいかにエポックメイキングかが分からない。何をカバーしていないのかが分からない。周りにあるものを広く浅く興味を持つ人が減った。

Iさん:語学はいらない。初期文法をやるだけで終わっている。

Gさん:冒険させないのが良くない。初期文法でもカント、ゲーテは読める。

Dさん:単語レベルでも歴史に思いをはせることはできる、その面では初期文法でも語学を教える意味がある。

Fさん:大学教員の中でも、語学を単純に教えているだけの先生だと文法を教えるだけに終始して教養を教えられない。使える語学は専門科目でやれば良く、それと教養としての語学は違う。

真山先生:本当は大学生には原著を読ませたい。なぜ大学でまた英語をやるのか?6年間学んでもなかなか使えない。言葉は道具であるという発想を日本人は忘れてしまった。会話から覚えた方がいいのでは。

もともと日本語が他の言語と違う所が多い、呼吸や発声から違う。想像力があるから興味を持つ。
大学は第二外国語を学ばないといけないと思ってしまっている。(語学のうち)便利でもダメなことを(教養として)学ぶべき。フランスに行きたい人がフランス語を学べば良い。面白いテキストを使えばもっと読むはず、自分はアガサクリスティーをもともと読んでいてストーリーが分かった上で原著を読んだ。daily yomiuriで自信をつけ、その後朝日の英文を読んだ。

教えかたもテキストもまずい。いやいや先生もやっている。そんな人から学んだら学生も嫌になる。語学は1つだけで良いが、そのレベルをラブレターをかけるレベルくらいに上げると意味がある。

興味がある、読みたいが、和訳が無い。しょうがないから原著で読む。これが教養をつけるきっかけになる。入り口は何でもよい。何が足りないかを知るのが教養。

Bさん:受験によって、興味を押さえつける癖がついてしまった。面白いと思っても役に立たないしな、と戻ってしまっていた。興味を持つことを駆動させる。必修と必修の間のコマに入れた授業で、たまたまゼミで会った教授に哲学を学んだ。「役立つこと」をやってみてもつまった。そこで教授の言葉を思い出した。

真山先生:無駄なことはやらないという束縛から解放された方が良い。しかし、就活を意識するとなおさら無駄なことをしたくなくなる。

Fさん:役立つこと、と思っていることが狭過ぎることが問題。教養を無駄なこととみなしてしまうのが問題。

Bさん:1年生のときは、何がつながって、間接的に役立つとわからなかった。
Gさん:結局つながりをみつけられたら皆やる気になるはず。

真山先生:教養は概論ばかりを言ってしまうから良くない、面白くない。
自分の研究を半年間熱く語ってくれる先生にたくさん教えさせればいい。

真山先生:Bさんは一年で気付いたと言ったが、現実には大学を卒業して何年も経ってようやく大学でもっと勉強しておいた方が良かったことに気づくことが分かることの方が多い。マッピングができない。

アメリカでは現代史を高校で教える。なぜ冷戦があって、ベトナム戦争をしたのかということを教えるため、大学に入っている時点である程度の歴史を皆知っている。
日本の現代史は思想が入るからきちんと教えない。戦争時代の背景の事実を、良い悪いを除いて教えれば良いのに。
日本語はどうしてこんな変わった言語になったのか教えるべき。もともと自分の文字を持っていなかったのに、中国から輸入して作っているし、天皇の時代がとても長く続いている。いまだに歴史の教科書で揉め、思想が入るのを嫌がる。現代史、戦後の政党史を大学で教えるべきなのに教えない。イデオロギーを入れてしまう。日本の「奇跡の戦後復興」を教えないと、今起きている現象が分からなくなる。本当は奇跡ではなく理由があった。今しか見えないのが今の学生の弱点。

現実は、「そうじゃない」と言うのが教養人。日本がなぜこの産業で強くなったのか、半導体がダメになったのか、を教えてください。そもそもなんでそうなる、という背景を知るべきだが、これだけ情報過多になると、教養がないとその背景を知ろうとできない。より専門的な話をするために、教養が必要なことを一年生に教えれば良い。

マイケル・サンデルはもともと社会、政治が専門だが、そこにまず人間を知るべきだと言ったからサンデルは人気。サンデルを読む、という話ではなく、こういう(サンデルのような)授業をしてほしいと学生が言わないといけない。

Iさん:教養は、大学の大講義室ではなく、ゼミ形式でやるべき。

大学に学生が多すぎる。経営のため仕方ないのかもしれないが。一般教養が一番面白い大学があっても良い、専門はその道の人を連れて来れば良い。日本は欧米を真似して、教養で使う内容がどんどん浅くなっている。

Dさん:メディアと現実、本と現実の違い。マッピングとしての教養。事実を報じるのがジャーナリズムだが、事実の後ろには歴史、背景があるが、国民に教養をつけるために紙面にそういった背景を記すのは良いのか?

真山先生:ジャーナリズムとしては正しくない。読み手側が背景や歴史を理解しなければならない。
ロシアが報道管制をしたこともあり、西側の情報ばかり日本で出ている。大手2社からウクライナに行かないかという話があったが、自分のところの記者も行っていないのに派遣できない、と言われてしまった。自分のところの記者も出さないほどウクライナに関心が無い。

真山先生:自分の本当に学びたいことを勉強している?

Cさん:政治学科に行くべきだったとは思わない。宇宙物理を選んだのは正しかった。どう役に立つか、というところや、興味を持っていない人に興味を持ってもらえるように伝えるのに教養が必要。興味がない分野を自覚するというのは重要。ここでがむしゃらにやっておけば役に立つとは思う。

真山先生:研究したこと、専門に学んだことを活かしたいと思っても、社会に受け皿がない。これは深刻な問題で、じゃあ大学は就職予備校化してしまえば良いということになるが…

Bさん:工学部から文学部。こっちの方が(自分の興味に)近い気はするが、さらに一歩近いところまでは分からない。哲学よりは文学。

Fさん:大学ではもともと自分の興味があるクジラの研究は学べないと分かっていて、学びたいことを増やしたいと思っていた。水産学科の教養と言われるが、専門の段階になってまで学ぶ内容?と感じる。どうせなら政治等他の科目をやりたい。

Cさん:実際学ぶと後から分かることがある。専門として物理を幅広くやることは良かった。

Gさん:必要なのは論文を書くということで、自分の理解や知識が生半可な状態では論文を書けず、書いて初めて専門家になれる。アウトプットをさせる。駒場は本当に論文丸投げ。論文を機械的に書く、でもなく論文を書かない実学でもなく、論文を自分で書かないといけない。卒論を本気で書かせると教養がつくのでは。

Eさん:自分の興味関心は学術研究より実践に近い。実践にも裏付けという意味で学術研究は必要だが。

真山先生:今起きていることを学ぶのは大学ではない。

Iさん:学部生の段階で、論文を書けるレベルまで行くのか?というのはある。
Hさん:政治思想史、自民党一強時代に興味がある。

問題意識もあり、他の人よりも知識もあるのだが叩かれ慣れていない。ゼミ生の誰かがレクチャーしてきて、他の人に突っ込まれる経験が必要なのでは。今は情報過多、昔は情報が選別されたものの中で考えていれば良かった。声の大きな人の声を聞いていると世の中を分かったような気になってしまう。

例えば、歴史という観点から見たら、何故日本は戦争を続けていたのか、日本は原爆を落とされるまで戦争を続けたのか、経験者、歴史を知っている人がもういなくなってきている。

日本は何故ここにいるのか、今、こんな状況になっているのか、ものを考える。マッピングする地図の前の状態、真っ白な状態のため。そろそろつなげていくための試み。毎回ゼミに来て、「良い話聞いたな」で終わらせないために。

台湾有事がテーマのときに、中国は本当に敵か?戦争なんて起こらない、と言ったのが一人だけだった。戦争とは何かさえ忘れかけている。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?