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わたしを見つめる

2年ぶりにたけださん(taya名義で活動するフォトグラファー)に写真を撮ってもらいました。
前回も玉川上水をぶらりとしながら、緑に囲まれて緑のワンピースで。

前回の写真は各種SNSのアイコンに使わせてもらっていました。

2年前の夏
玉川上水沿いを歩く
覗いてる風(何も見えてない笑)

たけださんの写真は、じんわりとやさしくて
ひとやものがその場所にすっとなじんでいるような…
自然体だけど瞬間の切り取り方がグッとくるんですよ。

食べかけのパンや、器の写真も
空気まで伝わるような、愛おしい日常を感じるのです。
※たけださんのインスタ参照

今回は玉川上水のあと、鷹の台のまちでも撮ってもらいました。
光もきれいで、味のある雰囲気で、ものすごく気に入っています。

イメージカラーの緑は引き続き
木にパワーをもらってる
桜を見上げていい表情
写真撮りたくなる場所すぎた
レトロな商店
熱心にメニューを読む

事前にていねいにヒヤリングをしてくれて、どんなイメージで撮りたいかなども一緒に考えてくれました。

写真の中の自分と対峙しなければいけないのが、年々つらくなっています。
娘たちのハレの日に、一緒に思い出を…と思っても、キラキラとしたエネルギーが眩しくて、わたしはもう映らなくてもいいか…なんて思うことも多々。
ちょうどこの3月4月は、卒入学や部活の集大成などで、娘たちのイベントが多く、そんなことを思う機会がありました。

でも、2年ぶりにたくさん撮ってもらって、わたしも写真に映っていいよねって思えました。

とはいえ、見たくない自分の要素が増えているのは事実。
この日も、はじめに撮った写真が驚くほど猫背で、首や背中も肉付きが目立つ姿で、ギョギョッとしました。笑
でも、ちょっと背筋を伸ばして目線を上げると、見違えるほど雰囲気が変わりますね。
もっと自分を見つめる意識を持ちたいものです。

兎にも角にも、写真の中の楽しそうな自分の表情を見て、なんだか安心しました。

最近ある音声配信で聴いた話で、
母やおばさんであることが嫌なのではなく「モブキャラ」の母やおばさんであることがつらい。
というような話がありました。
うん、わかる…
自分をモブキャラ認定してしまうと、「わたしなんて」という言葉で、自分を呪ってしまう。

好き勝手やっているわたしですが、自分の人生は自分のものだと、時々忘れてしまうのです。
たまにはていねいに自分と向き合って、どんな自分でいたいのか再確認するのはたいじですね。

わたしはことばで想いや思考と向き合うことが多いけれど、レンズを通して、信用できる他者の目を通して、自分と向き合うのもいいものです。

たけださん、すてきな時間をありがとうございました。

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