はじめての歌舞伎

先日初めて歌舞伎座に行った。


何年か前にワンピース歌舞伎を見に行っただけで、正統な様式で、生で、フル尺で、歌舞伎を見るのは初めて。

演目は市川海老蔵主演の「暫」と尾上菊之助主演の「土蜘蛛」。

座席は二等席。二階席の奥の方。
花道は見切れてしまうけど、舞台全体が見渡せるので見にくいとは思わなかった。

あらすじや概要を軽く調べはしたものの、専門知識はほぼなしで観劇。

イヤホンガイドも使用せず。(今思うと借りて見ればよかった)

その数日前に劇団四季のライオンキングを観劇したばかりだったため、
現代の舞台と比べ独特だな〜〜〜〜と思った点がたくさんあり、記憶を頼りに書き出してみた。


舞台に関しても歌舞伎に関しても完全にド素人目線ですので何卒…

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◎クロストークしない

誰か一人が喋っている時は被せない。
みんな黙ってちゃんと聞く。決して邪魔をしない。
多少オーバーにはやってるだろうけど江戸時代の人たちは実際こうやって会話のキャッチボールをしてたのかな…

暫ではその題名通り、主人公の権五郎が舞台袖から悪役に対し「暫く!」と叫ぶシーンがあるのだが、
「ちょっと待ったあ!」的な意味の言葉を
「しぃ〜〜〜〜〜〜〜ばぁ〜〜〜〜〜〜らぁ〜〜〜〜〜〜くぅ〜〜〜〜〜〜!」とかなり長い尺で放つ。
悪役も「し〜〜ば〜〜ら〜〜くぅ〜となぁ〜〜〜?!」って言う。
その後権五郎は何度も「し〜ば〜ら〜く〜!」と言う。
人質を取る悪者の元に正義のヒーローが登場するシーンで随分悠長である。
正直緊迫感は全くない。


そういえば劇中の歌も一言一言ゆっくり発してる。
これがなかなか、心地よさもあって眠くなってしまう…。(実際寝てるお客さんもいた)

所作の一つ一つもゆっくりなのだが、これは着物を着てたらしょうがないところもあると思う。

◎動きは特に揃えない

何人かで一列に並び同じ動き、同じポーズを取る時
腕や脚などの位置を細かく揃えたりはせず、役者それぞれの個性が出る。

「集団演舞は動きを揃えるのが美しい」とされてるもんだと思ってたけど、その辺はラフ。


◎役者は一列に並ぶ

舞台上に多くの役者が一度に揃う暫では、役者が皆綺麗に横一列に並んでいた。

袖から脇役(切られ役)が10人出てくる時も上手から5人、下手から5人、一列になって登場する。
主人公に倒された後も、一列になって退場する。

綺麗な隊列を崩すことがない。
主人公は一人でスペースを取って立ち回るので、主人公とその他大勢で動きの自由度に差をつけてるのだろうか?

◎端役はやることがないと壁に向かって立つ

これがものすごく気になってしまった。

村人たちが一斉に土蜘蛛に襲い掛かるアクションシーン
他の役者が土蜘蛛と絡んでる時、脇役たちは
舞台の壁に向かって後ろ向きに突っ立ってるのである。(これも一列)

適当な動きでアクションシーンに紛れるとかしないんだ…?

これには脇役と主要キャストの扱いの差をものすごく感じた。
表情を作ることも許されない。やることがない時間は壁になる。
黙って小さくなっている背中が切ない。

けど見たことない状況で面白い。


◎補佐の仕事が多い

暫では「腹出し」と呼ばれる悪の手先のふとっちょ5人組が横一列に並び椅子に座っている。
その椅子の後ろには腹出し一人につき一人ずつお手伝い的な方がついていて、
腹出しが立ち上がる際に椅子をしまったり、腹出しが座る際に椅子を出したりする。(その作業いる?)

お手伝い的な人はメイクはしていないが周りの役に馴染むようちゃんと着物を着ている。(それとは別で黒子も出てくる)
舞台上で演出の補佐役となる人の数もやることも多い。
そして堂々といる。ずっといる。

土蜘蛛では主人公の土蜘蛛がスパイダーマンのように走り回りながら手から長い糸を出すので、
補佐の人は糸の回収で忙しそうだった。しかし片付けは迅速。


◎観客の想像力に委ねる

土蜘蛛では、城にお祈りに来たお坊さんの正体が人間じゃないと、
行燈によって出来たお坊さんの影の形を見て城主の部下が見破るシーンがある。
物語の本筋に関わる大事なシーンである。(と思ってた)

行燈の影は影絵なり照明なり、なんらかの演出によって表現されるのかと思ったら何もない。
なんなら行燈も置いてない。

お坊さんの近くにいた部下役の少年が「影がなんか変だ!」と言うだけで、
その影がどう変なのかは観客の想像に委ねる。
最低限の舞台装置しかないため道具を使っての状況説明が少ない。

しかも舞台上には城主の部下が二人いて、
一人は部下の中でも偉い雰囲気の人、もう一人がお付きの少年。
少年の方が見抜くんかい!
将来有望な子だ…。

◎話に関係のない踊りが長い

脇役がけっこう長めに踊り出すシーンがある。
これは役者の演舞の見せ場として設置されてるのか、本筋には全く関係なかったりする。

物語よりも役者一人一人の演技を魅せることに重きを置いていて、
技が決まったら拍手、一人が捌けてまた次の役者の演技が始まり拍手…と
なんだかフィギュアスケートのシングルを見てるような感覚。

◎物語未消化で突然終わる

最後に、一番びっくりしたポイント。

暫では悪役がたくさん出てくる。
親玉が1人、幹部っぽいのが1人、ふとっちょが5人、謎の四天王、謎の雑魚8人、首切られ役10人。

しかしちゃんと主人公にやられて明確に「死んだ」と描写されるのは途中で突然現れる首切られ役の10人のみ。

親玉に取られた人質や盗品はちゃんと回収するものの、
物語冒頭からずっと舞台上にいた悪の主要メンバーは倒されない。親玉は殺陣すらない。

手下の雑魚っぽいのと絡んだ後役者一斉にポーズを取り、
真ん中で主人公権五郎がキメ顔。
そこで幕が降りる。

…悪人倒さないんだ?!


これは土蜘蛛にも通じる。

人間界を支配しようとする土蜘蛛の精を、村の侍たちで退治しに行く。
侍と土蜘蛛の激しい攻防の後、土蜘蛛が舞台の真ん中にある山に登り、キメ顔。

で、終幕。


…土蜘蛛倒さないんだ?!



悪人を倒してから村に平和が訪れました的な後日談までやって、めでたしめでたし…の流れを想像していたのだが、
どうやら歌舞伎はそこまで描き切らないらしい。

個人的な見解だと、
物語の一番の山場で終わらせるのが最良とされてるのかな、と。
観客の気持ちがかっこいい!すごい!と昂ったポイントで締めるのは潔いかも?

あと、勧善懲悪の世界観ではあるけど悪人にちゃんと罰を受けさせる描写は必要ないのかな。
昔の方がむごい刑罰あったけど、それも演技としては盛り上がらない、か…


この形式をライオンキングに置き換えると、
崖の頂上でシンバがスカーを追い詰めて
シンバが「ガオーッ!」と叫んで終わり、か…?と想像したり。

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暫と土蜘蛛しか見てない状態だけど、
この二つだと私は土蜘蛛の方が楽しめた。

演目として有名なのは暫だと思うけど、
主演・市川海老蔵扮する権五郎の衣装が60kgもあるため
基本的に決まった立ち位置で止まって喋る→移動する→止まって喋る
と動きが少なく、
一番の見せ場と言われる一太刀で十人の悪者を首を斬り落とすシーンでは
大きな刀を振るモーションがあまりに小さく二等席からでは「今斬ったんだ?!」となってしまった。

(一番の見せ場のアクションシーンが仁王立ちのまま腕一振り
人形の首がゴロゴロ転がるという余りにも地味な絵面がなんだかコミカルでちょっと笑っちゃった。
ずんぐりむっくりの衣装にメイクもしてるから、巨大な人形劇みたいでかわいかったなあ…)

土蜘蛛は主人公の土蜘蛛の精が跳んだり舞ったり糸を出したり動きが派手なので、
アクションが見てて面白かった。


兎にも角にも、独特の様式美。
日本の伝統文化だけどなんだか新鮮でした。

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