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今日は財布の埃まで飲むぞと居酒屋で呼応しあったハズだったのだが  

いざ店を出るとKは明日早いから、と告げて早々に帰宅していった。  

おれはと言うと相変わらずの要領の悪さで飲みすぎたビールを駅舎の周辺へと散布する仕事をしていたところ終電は人を乗せて西へと移動していった。  

金無し職無し女無し、のおれから電車までも奪う時代が憎い。  

矛盾脱衣でも起こしそうな二月の寒気の中、千円札一枚ポッキリで安寧に朝まで過ごせるものか。  

煙草は残り六本。途中のコンビニエンスストアで安酒を買い繋ぎながら、どうにか歩いて帰れるだろうか。  

途中で疲れたら、有り金全部カイロにつぎ込んで公園の便所で鍵をかけて寝よう。  

さぁ歩こう。歩かないことには、帰れないのだから。  

***  

歩き始めて数十分は酔いが残っており悪くない塩梅だったのだが、そのうち今日Kから受けた説教が急にプカプカと脳内へと浮かび、苛立ちを覚える。  

K曰く、年齢に見合った収入を手に入れていない奴は穀潰しの畜生以下だと。  

あの野郎は横文字の会社に入ってから妙に上から目線じゃあないか。  

あいつにおれを値踏み出来るのかって話だ。  

興奮して路駐の自転車を殴りつける、フレームがゴンと音を立てるも壊れる兆しは無い。  

おれの拳には、自転車一台の価値もない。  

価値、価値。己の価値。ふと妙案が思いつく。  

おれの右拳が破壊できるものの値段がわかれば、おれの値段がわからいでか。  

右拳の値段が算出できれば、その拳で何回おれ自身を殴れば死ぬかを計上すれば、おれの値打ちがわからいでか。  

そうと決まれば帰り道は宝の山。  

兎に角街を殴りつける。  

電柱、自販機、看板、空缶、電話ボックス、塀、暖簾。  

一つ足りとも破壊的変更を加えられりゃしない。  

業務用スーパーの袋麺で構成されている体にそんな力は無いのか。  

腫れた右拳を冷やすために、二丁目公園というなんの面白みもない小規模な公園の便所へと立ち寄る。  

掃除された痕跡のない、くすんだ蛍光灯の公衆便所で用を済ませ、右手を洗い流し、ついでにうがいなんかもガラガラと、水を吐き出し鏡を見ると、カッターナイフ片手に制服姿の女が後ろに立っていた。  

***  

鼻がムズムズする。  

緊張し過ぎの時はいつもそう。鼻の調子が悪くなる。  

あなたの鬱はどこから?僕は鼻から、てな陽気な感じで女に話しかけてみる。先手必勝。  

「いやあ今日さ、友達が酔って吐いたゲロが真横に光線みたいに出てさ、凄いね人体と思ったんだよ」  

「そうなんですか」と女。  

「だからまあそんな物騒なものはしまって」  

「いえ、お話が終わりましたらこのカッターでわたしも終わるので」  

「そんなことになったら、おれがあれじゃあないか」  

「あれ……とは?」  

「いやまあ、悪い人みたいな。女子高生をさ、そんな見捨てて」  

「わたしは浪人生ですよ」  

「あれ、でもその制服は……」  

「趣味です」  

「趣味……趣味?」  

「恋人の」  

「恋人……恋人?」  

「なんですか、日本語学校みたいに」  

「夜中で浪人で刃物……天誅?」  

「全然おもしろくないです、何なんですか、ナンパですか?わたしが死んだ後にしてもらえませんか?」  

妙に高圧的な自殺志願者だな。こちとら右ストレートの値段を計算中なんだぞ。なめてんのか。  

突如便所脇の茂みから弾丸のように野良猫が飛び出す。  

逃げたいのはおれの方である。会話の着地が見えない。  

「とりあえず、一緒に歩いて帰らないか」  

「嫌ですよ、何でですか」  

「一人で歩いて帰ると暇だから、と、俺みたいな駄目人間の話を聞いてみると生きる希望が湧いてくるよのハーフアンドハーフだ?」  

「何で疑問形なんですか、自分のことでしょう」  

「そう!そこなんだよ、俺は今そこに着目している。自分がわからない。自分の価値がわからないんだ」  

「ちなみにさっきの、何でですか、何であなたは生きているのですか?という問いです」  

「きみは、あれだね、頭が良いね」  

「鞄にカッターの替刃しか持っていない女がですか?」  

「用意がいいね、話を戻そう。俺は丁度、自分の価値を計測していたところでさ。ちょっと失敬失敬」  

女の手元からカッターナイフを掠め取り、壁面へと左手で固定したのちに、固めた右手で思いきりぶん殴る。  

見るからに粗悪品であるカッターナイフは、いくつかの部品に分かれて分解された。  

女の顔をうかがうと歴史ある聖剣が破壊されたような表情。  

「まて、怒るな。違うんだ、これは必要だったんだ、おれの自死に。そう、聞いてくれ。替刃はお仕舞いください。このカッター、これは二百円程度だろう。つまり今のおれの右ストレートの市場価値は二百円なんだ。身体の一部でも値段がわかれば、あとは色んなやり方で自分を目利きできるだろう。値札付きの拳で自らを殴ったっていい」  

「……なんで?」  

「え……?」  

「なんでオニイサンは死のうとしてるんですか」  

「ええと……原罪を浄化する為に」  

「原罪って?」  

「キミは質問ばかりだね。そうだな、最近の原罪だと趣味で短歌を作っているんだけどさ、友人が少ないから下の句の七割がひとりかもねむなんだ。どの札取っても正解なんだよ。あとはポイントカード申し込みの時、職業欄に俳優と書いた。ほんとうは日雇いのドカチンさ」  

「それは原罪ではない気がしますけど。」  

「いいんだ、別にわかってもらえる気は。それよりキミはなんで……。すまん、浪人生にナンデは無いよな。」  

「……わたしだってわかってもらえる気はしないんですけど。それより道具。弁償してくださいよ」  

「ああ、いいよ。しかし今は駄目だ。手持ちが千円しかない。家まで来てくれ。現物支給で包丁を渡そう」  

「……どれぐらいですか、お家まで」  

「話しながらならすぐさ。けどおれは体が冷えたよ。その先のおでん屋台で合成酒でも引っ掛けてから行こう。なんならそこで奢ってくれてもやぶさかではない」  

「いいですよ、どうせ死にますから」  

「よし、じゃあ一級酒を飲もう。さぁ行こう。牛すじが売り切れる」  

しわぶき一つして、先に歩き出す。  

ちなみに包丁は質流れして我が家にはない。  

公園を出て、先ほどの道へと戻る。  

浪人生の少女はおれの数歩後ろを黙ってついてきている。  

今日おれが唯一破壊できたカッターナイフの残骸を律儀に左手へと持ちながら。  

はあ。おれの右拳はたった二百円だったようだ。  

まあでも、この子が死ぬのを諦めてくれたら付加価値がつく。  

将来とんでもない大物になってもらえたらいい。  

その時この子を救った俺の右手は、とんでもない価値になるわけだ。  

そうなるといい、そうなれば、いいんだ。死ぬことは無いさ。  

線路沿いを二人、おでん屋に向けてトボトボと歩く。  

冷えたおれの身体のなかで刃物を破壊した右手だけが妙に熱を持っているように感じた。

短歌と掌編小説と俳句を書く