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(4)書くということについて

ワタシは、ワタシの人生に関わってくださった方の中で、

『本に書いた方が絶対いいと思います』
と、何度も思った方がいます。

その中のおひとり
ケンタロウ先生。
先生のことで、ワタシが書いただけでも、本1冊分でも終わらない…


広島大在学中の1963年、福山市田尻町の民家を使って重度障害のある人向けの施設を支援者と共に開所した。その前年に社会福祉施設でボランティア活動をしたのがきっかけだった。友人と何げなく参加したが、施設の貧弱さを目の当たりにした。「社会福祉の制度が一つ一つ作られようとしていた時代。障害がある人のための施設づくりがしたい」と決意した。

 開所後も、同大に通いながら福山市内のスリッパ工場で働き、運営費を稼いだ。「18歳以上の『大人の』障害がある人のための施設はとにかく少ない」と感じる。同市のNPO法人福山手をつなぐ育成会の運営にも携わり、その父母とも交流を続けた。「親が亡くなった後、生活できなくなる子がいる。グループホームなどの存在は今後も不可欠」と感じている。

 2001年には社会福祉法人創樹会の理事に就任。一連の入所支援事業や一時支援に取り組む中で、障害がある人の芸術的な感性に引かれた。「1本だけ描いた線でも作品になる。全エネルギーがこもっている」と気付かされた。

 その気付きから、12年に同市鞆町に美術館「鞆の津ミュージアム」をオープン。芸術活動の支援にも力を入れる。完成した作品を世の中に向けて発表し続けることは、障害がある人の自立と同時に、周囲の理解や支援につながると信じている。「その人が持つ特性を生かしながら、幸せと尊厳を守りたい」

検索するとこういう記事が出てくる。

キレイにまとめた文章だ。

語弊があることを分かったうえで、
書かせていただくと、
『重度の身体的・精神的・知的の障害』がある方が家から出ることが許されない…隠されるように生きてこられた時代に、出会い、駆け付けて、心を鷲づかみにされて、走ってこられた先頭の方。

伝える手段がないと思われていた人
伝えたい思いなんてないと思われていた人
そんな 世界の片隅の 聞こえない声を 聞いた人。

「1本だけ描いた線でも作品になる。全エネルギーがこもっている」

これは、その人の封印されていた心が、ある日 突然動いた時から始まる
それを じっと待つ。
その瞬間まで寄り添ってきた方。
その瞬間は、いつ来るかわからない。

『必ず どんな人も思いがあるよ。』
先生がよく教えてくれたよね

何もない、前例もない、あるのは偏見と、反対
その中で…動いた人。


20数年前に、
心がプチって音を立てて止まったときに
出逢って、数年間、ワタシが社会復帰するまで、
見守って下さった方。

ときおりいろんなお話を聞かせてくださった
生の現場の事
そこでおこったこと
… … … … …

ワタシ 『先生、本にした方が絶対いい』
先生は 『今までも何度も言われたよ』
ワタシ 『なんで書かないの?  先生書けるじゃん』


そんな時 先生は
黙って 遠くを見るんだ

あー あの目だ

ワタシは 先生のあの目を見ると
胸がギュっってする

書いておきたいことはある
伝えたい思いもある

でも

書いてはならぬ 事がある。
書くと 傷つく人がいる。

そこを書かずして、伝えれることは真実ではないんだよ。

だから 書かない

遠い目をした 先生が 
優しく 強く 教えてくれた。


ワタシは、今 書こうとして、書きたいと思って
書き始めたけれど…

…そう 
…書いていいのか、悩むことがたくさんある
…きれいな言葉だけを書きたいわけじゃない

ワタシの中には

キレイな言葉と 汚い言葉
守りたい人と 死ねばいいのにと思う人
金持ちと 貧乏
フランス料理のフルコースと  冷えたご飯の茶漬け
天の美しい音と  魂を揺さぶる音

清濁あわせもつ


それがワタシ

書くということが何なのか

いつか
わかるといいな





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