無政府主義を考えてみる(2)
政治に疎い私のような者が、どこか聞こえが物騒な「無政府主義」という言葉を聞くと、それはちょっとヤバいんじゃない?とまずは考えます。
単純に「政府」が「無い」と書くわけですものね。また中東の「タリバン」のようなイメージが浮かんできます。
そういう時は、まずしっかりと「言語的な意味」から探ります。
無政府状態の言語的意味
無政府状態(英: anarchyアナーキー)は、国家などの社会集団において支配や統制が無い状態をいう。この用語は当初は指導者不在の意味で使用されたが、1840年にピエール・ジョゼフ・プルードンが新しい政治思想であるアナキズム(無政府主義)の用語としても使用されました。(wikipedia)
またロシアの思想家で革命家のミハイル・バクーニンは、無政府主義を最初にアナキズムの歴史を語る上で重要な人物で、マルクス主義、とりわけマルクスの主張したプロレタリア独裁に反対したことでも知られています。ノーム・チョムスキーなど、現代のアナキストにも影響を与えているといわれています。
「アナキズム」の「anarchy」の語源は、古代ギリシア語の「ἀναρχία」で、「支配する者のない」を意味するとあります。
『語源中心英単語辞典』で調べてみると、「an=negative(否定)」+「arch-y=chief(長、あるじ、かしら、族長、親分)」の組み合わせだとわかります。「アーク」はアーキテクト(建築)やアーキタイプ(原型)にも使われる接頭語です。大天使とか、大司教など「大」の存在をあらわす言葉ですが、それを「an=否定」しているのが「アナーキー、アナーキズム」というものですね。
でも「頭=指導者」がいないのと「政府」が無い「無政府主義」「無政府状態」とは、少し訳の意味が違うように思いますね。
その「長、頭」について、前回(1)の最後に紹介した、マル激の公開録画で宮台先生が次のようにお話をされています。
"日本を誰が握っているのか、支配しているのかということを考えるとき、問題なのは、日本には「大ボス」がいないということ。
たとえば検事総長のような存在、特定の理念やイデオロギーや価値観をもって様々なシナリオを描いているボス的な存在がいれば、そいつを殺してしまえばいい。ところが日本では、どこに大ボス、ラスボスがいるのかわからない。捉えて頭首を落すことができない。それが日本人と日本の劣等生である。ラスボス(頭)を打ちとって、前に進むことができない。"
ということは・・・もしかして日本は既に悪い意味での「アナーキー」な状態ではないのでしょうか?
「アナキズム」
wikiでは「アナキズムとは、国家を望ましくなく不必要で有害なものであると考える思想であり、国家の廃止を呼びかけるものとなる。無政府主義と言われることもある。アナキズムの支持者はアナキスト(アナーキスト)や無政府主義者と呼ばれる。アナキズムは、無政府状態の実現方法により、自由主義的な立場と、社会主義的な立場に分かれる。政治色は黒で、シンボルは黒旗あるいは黒尽くめの衣服である。」(wiki) とあります。
ちょっと如何わしい感じの表現。
黒魔術の魔女か、中世のフリーメーソンかバラ十字秘密結社みたいですね。
ちなみに台湾の政治家、唐鳳(オードリー・タン)は、自らを「保守的なアナキスト」と呼んでいるそうです。氏の考えるアナキズムとは「強制のない世界」で、権力に縛られず、暴力で威圧されず、変革に取り組むが、進歩のために伝統を切り捨てたりはしない。肝心なのは強制のなさであり、日本語訳の「無政府主義」はアナキズムの意味を狭めると批判する。と書かれていますが、だんだんと本来性に近づいてきましたね。
現代人類学「Lexiconレキシコン」では、どう捉えられているのでしょう。
「アナキズムの思想そのものは、特の時代、地域、個人による発明品ではない。むしろ自然や人間の本性の中に根ざし、過去から綿々と営まれてきた多様かつ具体的な生の営みのなかで育まれてきたもの。 国家、資本主義、宗教が、それら自体を支える制度的暴力(軍隊、警察、裁判所、刑務所、銀行、教会等々)によって社会を上から統治/支配しようとするのに対して、アナキストたちは、それらを廃絶させることで、古い社会の殻の内側から、自由で平等な社会のモデルを生み出そうと試みる。
アナキズムは、自由かつ平等に相互に結びつき、各人の能力と欲求の範囲の中で、お互いに助け合う社会を作りだそうとする一つの理念であり、またその実現のための実践/知/表現なのだ。」 p133
では少し視点を変えて、古代マヤの歴史的な視座から「無政府」という意味がわかるような内容をみてみましょう。
マヤのコミュニティ
先古典期、古典期のマヤについては、民族の移動や侵入があったり、動乱の時期だったりするので、今回はそこは参照せず、後古典期のマヤ族は統一勢力をもたず、地域ごとに首長が統治するという時代を過ごした、ということに注目してみます。
考古学者 張光直(チャン・クアンチ)の議論によると、初期中国文明の基盤をなすイデオロギーは、初期狩猟社会の世界の継続で、シャーマンに代わって「君主」が神的諸力と個人的な結びつきを享受していて、結果として「絶対的な権威」が生じたとあります。チャンは、初期中国の世界観が、近年翻訳されてきたマヤの碑文を通して比較すると、古典期のマヤの世界観に類似しているという事実に魅了されたそうです。
大航海時代叢書に『ヌエバ・エスパニャ報告書、ユカタン事物記』という、大変貴重な書物があります。スペイン人侵略時におけるマヤ・アステカをふくむメソアメリカの原住民の文化や記録など、貴重な情報を与えてくれる重要な文献であり民族誌です。
この本を最初から最後まで読みますと、マヤインディオの民族がいかに穏やかで人が良く、豊かな暮らし(これは近代人が考えるものの豊かさとは異なります)や日常の生活がいかに先住民の心を豊かにし、物語りや教育、伝承が引き継がれ、語られ続けているのかが良く理解できます。また何と酷い仕打ちを受けていたのかと、衝撃をうけるような場面にも遭遇します。そのことを書き始めると長くなってしまうので、キリスト教徒のエスパニャ人によって征服された当時(16世紀に記録されたとき)のマヤコミュニティ理解について、参考になる箇所だけピックアップして紹介してみます。
このようなマヤ先住民の生活を「幸せな日常」と呼ばずして何が幸せと言えましょう!
では当時の社会、政治はどうなっていたのか。というと、古代マヤの王国は、神権政治でもなければ原初的な形態の民主主義政治でもなく、いくつもの自集団が相互に絡み合って秩序を維持していた社会でした。
成人したマヤ人は、二つの名前をもっていました。一つは母から由来する母系の名で、もう一つは父から与えられる父系の名前です。母系と父系の原理が共存し、自分たちのことを自分たちで守るという共同体自治が行われていました。
スペイン人に征服されたとき、250以上もの父系の自治集団があったといわれています。そしてすべての共同体の構成員は、それぞれが互いに助け合う義務をもっていて、大きな集団になると、裕福な老人たちのなかから、ひじりのような一目おかれる人物が長老議長に選ばれ、共同体地域をまとめるための治安の責任をもちますが、それは数年で交代するような任期だったそうです。 もっと高い神官や書記のような役職を望むものがいたら、彼らは「スユア言語」の神秘的教義の試験に合格しなければならなかったようです。
また土着の「首長」がそれぞれの部族、共同体を治めていたころは、人々はとてもおとなしく、平穏に暮らしていたのですが、エスパニャ人が次第にマヤ民族のそもそもの在り方を破壊していきます。平和で争いもなかった先住民たちは、多く収穫したものが、その能力と状態から、首長を頼りにして相談し、治めるという自治への貢献をしていましたので、古い慣習にならってうまく統治が行われていたわけです。そこへエスパニャ人である彼らは、首長のもとに「税」を要請しにいきました。先住民は「税」によって私腹を肥やそうとか豊かになろうなどとする考えなどなかったので、非常に迷惑をこうむりました。
ところがたくさんのインディオが呑気に楽しくあまり働かない様子をみたエスパニャ人は、「労働」に「強制と支配」をおこない始めます。
・鉱山で働かせるためにインディオを奴隷化し、1000人ずつの原住民に、大きく重たい荷物を何日間もかつがせ、移動させたことで、人口を減少させた。
・数多くの牧場と、その柵を作ることを強制させ、インディオたちの生活や労働のペースと慣習を無視させ、何日も何週間も働かせ、道路や橋、石垣や製糖所を造らせた。
酷い労働を強いられて、多くのインディオが亡くなりましたが、マヤの人々はコミュニティを復活させました。
鍵となる「サパティスタ」
マヤの自立性の高い首長たちの共同体は、専制や国家統治をする勢力にずっと抵抗してきました。良く知られているのは、1712年と1868年のチアパス州の高地に暮らすツェルタル人の反乱だそうです。そして、1994年にこのツェルタル人と、ツォツィル人が中心となって、結成されたのが「サパティスタ民族解放軍」だといわれています。 グアテマラのイサバル湖の西方、チョラン語やマム語ほか、マヤ諸語が話されている地域では、伝統的に一定の自己統治が許されていました。そしてラカンドンの森に新たに切り開かれた土地に、新しく「多民族」とでもいえるようなコミュニティを形成してきました。
マヤ先住民の末裔を含む彼ら先住民たちにとっては、コミュニティ的な価値観や倫理や正義などを主張するような、あるいは政治的な観点から組織される過激な思想をもつ集団なわけでもなく、マヤ人だけを擁護したり特別な自分たちを意識するものではないのです。
サパティスタの出した答え
“―革命とは国家の強制的装置を奪い取ることだと考えるのをやめて、自律的コミュニティの自己組織化を通して、民主主義を基礎づけなおそうという提案―は、完璧に有効である。だからこそ、世に知られることもなく終わったかもしれないメキシコ南部での蜂起が、ラディカル派をはじめとする人々にこれほどの反響を引き起こしたのだ。こうして民主主義は今、それが当初生まれた場所に帰りつつあるように見える。つまり、あいだの空間に。”
『民主主義の非西洋起源について』p123
では現実的な「サパティスタ運動」とはどのようなものだったのでしょう。
サパティスタは、国家レベルでも社会的、政治的、文化的にも深い影響を及ぼしてきました。メキシコ社会の多くの部門にとって、サパティスタは声のない人々の声を代表し、何十年にもわたる絶望のなかでも、メキシコの貧しい先住民に、新たな希望を抱かせました。 市民社会に力を与え、メキシコ政府への信頼を損ない、現状に挑戦することが可能であることを実証することによって、EZLNは、Partido Revolucionario Institucional(制度的革命党、PRI)がメキシコで数十年にわたる一党支配を終わらせることに貢献したことは間違いないと報告されています。
また、サパティスタと非サパティスタの女性の間の交流は、実り多いものだったそうです。サパティスタの女性は、メキシコや世界中の女性に刺激を与え、反家父長制の基盤を守るために「苦労している女性」のための国際集会を開催しました。
つまりサパティスタ運動は、小規模ではあるものの、グローバル資本主義に代わる、ローカルな選択肢の実行可能な例として提供し続けています。サパティスタコミュニティの経済協同組合は、競争や利益ではなく、共同の努力とコミュニティの幸福に基づいて、地域経済を強化しています。
『A Spark of Hope: The Ongoing Lessons of the Zapatista Revolution 25 Years On』
グレーバーの認識するアナキズム
「どのような人間にも、共通の本性が備わっている」
これがグレーバーの中心にあるもので、そこからケア(架け橋)的な思考が、アクティベストとしての彼の揺るぎのないグレーバー哲学を支えているのだろうと思います。 ブルシットジョブについても、人類学者としてのグレーバーの体験と理解が深く関与していることもわかります。
それは前回(1)で述べた、「他視座的、多自然的」なオントロジーの世界観に基づいて、別様の可能性に開かれているのだと感じます。
これまで未開社会と呼ばれていた国家、資本主義的な市場をもたない社会の多くは、実際にはアナキストたちの社会であり、むしろ国家や市場を拒否する倫理的・道徳的な「変革のためのプロジェクト」の帰結だった、とグレーバーはいいます。
「サパティスタ」についても、その発想を「境界の思考」と名付けていて、自律性と水平性と直接民主主義を原理とする国際的ネットワークを生み出すほど、地球規模、惑星全域に広がる一連の社会運動にインパクトをもたらしているとして、グループも列挙しています。
・ピープルズ・グローバル・アクション(PGA)
・土地なし農村労働者運動(MST)
・カルナータカ州農民連合(KRSS)=ガンジー社会主義を掲げるインドの直接行動グループ
・カナダ郵便労働者連合
・その他ヨーロッパと南北アメリカの多数のアナキスト団体
・あらゆる大陸の先住民組織
民主主義が機能しなくなっている今、アナーキズム的転回において、次のようなことを確認していく必要性をグレーバーは説いています。
〇自発的結社で相互扶助的
〇垂直構造(国家権力)ではなく水平構造(国家なき水平的な共同体)の重要性
〇発議は相対的に小規模
〇自己組織化を行う自律的な諸集団
〇指揮系統を通しての上意下達をよしとしない発想
〇常任の特定個人による指導構造の拒絶
〇普通なら周縁化されるか排除されるような人々の声(マイノリティ)が聞き入れられる仕組みを確保する
「アナーキー的な秩序は、単に望ましいものであるばかりか、実現可能、実践可能、実行可能なもので、地下に潜んでいたアナキストの伝統への関心が呼び覚まされ、アナーキーは改めて、中心的権威を排した集合的な自己組織化として理解されるようになってきた。」と翻訳家である片岡氏はあとがきで述べています。
宮台真司による「無政府主義」
加速主義
ここ数年間、宮台先生はアメリカ大統領選でトランプが当選することを予言したことも含め、「加速主義」的な立場を明言していたことは宮台ファンなら周知のこととと思います。
加速主義について、エマソン・クリプキ・ロールズの「道徳的完成主義」の進化バージョンだよね。と先生は話されていたのですが、とにかく最初は難しかったです。 宮台ゼミでも加速主義については、相当な文献を提示されて読んだり、学んだりしていました。新反動主義(西海岸のインテリ集団)、シリコンバレーの起業家にして最大の加速主義者、ピーター・ティールのリバタリアン思想、ネオリベ、ニック・ランドの「暗黒啓蒙」、政治的背景や思想、テクノロジー進化など、とにかく学ぶことが多かったと記憶しています。それがあるときふと全体的に理解できた時がありました。それは「加速主義」の意味がわかるより、なぜ宮台真司は加速主義を良いと思っているのか?と考えて、読み直したり聞き直した時です。
『崩壊を加速させよ 「社会」が沈んで「世界」が浮上する』 宮台真司著
「沈みかかった船の座席争い」の例をだして、メディアでも話しています。
新反動主義
民主主義はくだらない!ということの理由
1)人々は今後もますます劣化していくので、民主主義の決定は出鱈目を出力する
2)民主的な決定はいつも「再配分」を要求するが、俺たち金持ちはどうでもいいやつらに金は払わない
国民国家は戦争マシーンである。ということは制度による社会変革はもう諦めて、テクノロジーによる制度化をすればいい。
(ベーシックインカム、ゲーミフィケーション、ドラッグテクノロジー)=ニュー権威主義(知識社会化)、メタバースの実装
しかしこのままではゲーミフィケーションやテクノロジー&ドラックで人間がダメになってしまうので、どうするのか。
民主主義を小さなユニットに編成し直さないと、新反動主義の方向性に抗うことはできない。
➡民主主義は否定したほうがいい
➡小さなユニットで倫理を貫徹していくことが大切
宮台真司×神保哲夫 マル激【5金スペシャル】2部の後半、無政府主義について語られている箇所を聞き起こしながら、要点を抜粋しました。
小さなユニット&無政府主義
19世紀フランス革命の失敗のあと、保守主義が出てきて、そのあと無政府主義がでてくる。そのあとマルクスが出てきて、エミール・デュルケームがでてきたが、それらは国家を肯定する中間集団であった。しかし中間集団を形成したとして、その集団間がバトルになるのか、意味ある秩序をつくるのかが問題だ。
「無政府主義」はロシアの思想家、ミハイル・バクーニンが言いだした立場
「無政府主義」は、国民国家大の権力、国家を否定する中間集団主義
例として、再生可能エネルギーは単体では不可能なので、周囲の共同体とのネットワークが不可欠ということがある。
同じように、食の共同体自治イタリアのブラ(スローフード運動)もおなじように、感情の働きで良いことをする。システムを頼るのではなく、人間関係、人間同士を頼ろうという意識のある自治的活動。
しかし、それぞれが自律したスモールユニットであるとすると、外貨を稼ぐときに、近隣と競合することがありうる。そうすると都合が悪いから、それぞれがすみ分けて協同するような連携を生み出していくことが不可欠。
グレーバーがなぜ無政府主義を主張するのかというと、それは現代にテクノロジーがあるから可能なのだということ。今はその危惧はもうないと考えていい。だがテクノロジーとの連携が不可欠。
「国家のない中間集団と考えたとき、タリバンのような軍閥闘争になってしまう可能性もあるから、危惧していたのだが、指導者を選抜する能力やテクノロジーの使い方は重要な課題としてあるが、僕もそろそろ無政府主義と名乗ってもいいのかな、と思っている。」by miyadai
古代マヤ民族と文明の智恵
私はこの20年ほど古代マヤ文明の叡智、歴史や暦体系、その他世界観などをずっと学び続けています。そこに終わりやゴールはありません。マヤの暦をつかって相談にのるお仕事もしてきています。現在は、カルチャーセンターで講座を開催したり、古代マヤの叡智を伝承するためオンラインレッスンなどで後継者の育成をしています。
それらは「マヤ暦占い」というような小さな一つ技術や知識を示しているのではありません。古代のマヤ文明においてマヤの人々が大切に守り続けてきた古代の知恵の体系や世界観、思想などを学び知ることで、別様に世界を見たり体験したりする視座の転換や型の引き受け的な視座、抽象的、神話的な思考が得られることを知るための学びです。
デヴィッド・グレーバーや宮台真司先生の思考や議論は、私にとって確かな手ごたえを与えてくれるものでした。
「マヤの世界観」や古代マヤ先住民の見るような視座からこの地上世界や人間たちをみたときに感じていたことや気づき、認識や理解などが、ふわふわした絵空事のようなものではなく、スピリチュアル的なものだけではない、人類学的な視座、しっかりとした人間の道徳倫理感、共同体認識や宇宙や自然、天の摂理に基づいた思想として確認することができた、ということで自分で感動しているのだろうと思っています。
まだまだグレーバーが考えているような、あるいは宮台先生が思考する「無政府主義」的な立場を理解するのは、容易なことではないと思いますし、そこから生じてくるであろう課題をクリアにするための知識や理解も必要になるだろうと思います。
それでも古代マヤ先住民たちが築いてきた小さな共同体的の集まりとして、継承と存続によって築かれた古代マヤ文明の叡智や神話、暦等々の文化伝承は、民主主義に代わりうる可能性の光としての私たちの未来はありうるのではないか、と考えています。
長文になりましたが、ご覧いただきありがとうございます。
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