子どもと性の話は気恥ずかしい。そのリスクを想像してみたこと、ある?
外出自粛の影響で、中高生の妊娠相談が増加しているというニュースを読んで、考えた。付き合っている彼氏彼女がいて、どこにも外出しちゃだめで、家族は仕事で留守だったりしたら、そうなるかもなって。そうだよね?
(ほんとは、わたしは自身はオタク系女子だったから、中高生のきゅんきゅんしちゃうような彼氏彼女事情なんて少女マンガでしか知らないけどさ)
妊娠って、ただでさえ孤独や恐怖と背中合わせ
「妊娠したかも」と一人でおびえている女の子の胸の内を思えば、今日も真っ昼間からぐーぐー寝てるうちの中学生を見ながら、「この子、1日24時間のうち18時間くらい寝て過ごしているんじゃないか。自粛解除になってもこのままなんじゃないか」と気をもんでいることの、なんてちっぽけな悩みよ。(わりと本気で困っているけど。きみは今もしかして、冬眠中なのかい?)
この娘を授かったとき、わたしは妊娠初期の経過が不安定で安静が必要になり、仕事を休んだ。そのタイミングで夫が仕事の契約を切られた。
望んでいた赤ちゃんだけれども、産んで育てていけるんだろうか。不安で眠れない夜、まっくらな部屋で、窓の向こうのうっすらとした街灯の光を見つめながら、そう考えたのを覚えている。
いい年をした大人でも、妊娠・出産というのは女にとって、無二の喜びと、経験したことのない怖さとが背中合わせだ。
中高生の妊娠、それは特別な女の子の話ではない。本当だよ。
いまの日本で、中高生で妊娠したら、どうだろうか?
まず、喜びどころではないだろうと思う。
「親にはとても言えない」
「どうしよう」
「バレたら学校に行けない」
わたしだったら頭に浮かぶのはこのくらいかも。
そうして、どうするだろうか?
昔のドラマかなにかで、女の人が赤ちゃんが流れるようにと冷たい川に入るのを見たことがある。それをまねして、冷たい水に腰までつかって耐える女の子が、いる。
自分のお腹を叩いたりも、する。
想像してみて。
だれにも言えないままお腹だけが大きくなって、やがてお風呂場やトイレで、たった一人で赤ちゃんを産む女の子が、いる。
性教育への批判、嫌悪、その正体は枯れ尾花
冒頭で紹介した「休校で中高生の妊娠相談が増えている」というニュースは、熊本の慈恵病院に寄せられた相談件数を紹介する記事だった。熊本の慈恵病院は、親が育てられない赤ちゃんを匿名で預けることができる「こうのとりのゆりかご」(赤ちゃんポスト)を運営しているのだ。
赤ちゃんポストは設立以来ずっと、「匿名で赤ちゃんを預けられるなんて、無責任な妊娠・出産を助長するだけだ」というような批判を受けてきた。(もちろん、支持、応援している人も大勢いる)
この批判って、子どもに避妊について教えるなんて、性の乱れにつながるという考えと根本が同じなんじゃないかなあ。とわたしは思う。
自分や家族を守ろうとする特殊な思考のバリア。そうじゃない?
そのバリアがきっと、中高生で妊娠する=ふつうとは違う問題のある子ども(いわゆる不良)の話、つまり他人事よと片付けたがるんだ。対岸の火事を消すために、わたしの家の壁を壊さないでよと肩をいからせるんだ。
それを偏見と呼ぶのは簡単だけれど、本質は「恐怖」。だから手ごわい。正直に言うけれど、わたしの心にも、そのバリアはある。
昔は…っていつだろう。おばあちゃんのおばあちゃんが若かったころ、明治、いや江戸時代か?? たぶん、女性が未婚で妊娠して出産したら、それだけで家族から縁を切られたり、安心して働ける仕事にも就きにくくなったりしたんだと思う。
赤ちゃんを抱えてそんな状況に追いやられるということは、命にも関わることだったろう。
万が一にも娘がそんな運命をたどることになったらという恐怖も大きかったはずだ。
だからこそタブーとされ、”きちんとした”娘さんは知らなくていい世界とされたのではないだろうか。
でも、いつまでその恐怖に引きずられていくんだ、わたしたち。ばくぜんと警戒している敵の正体は、もはや幽霊なんだ。
本当は若くして妊娠したからって女性が追いつめられる、そのこと自体が問題なんだし。
いま、実際に中高生で望まぬ妊娠をしたかもとおびえているのは、ごくふつうの子どもたちなのだ。
2018年の朝日新聞デジタルに、「高3カップル、2人きりの自宅 震える彼女に手をかけた」という記事がある。有料会員でないと途中までしか読めない記事だけれども、1年近く付き合った彼女から「妊娠したかも、死にたい、殺して」と泣かれて手をかけてしまった少年は、運動部をかけもちしてその一つでは部長もつとめていたというから、聡明だったんだろうに、と悲しい。
望まぬ妊娠で自分の人生が、将来が壊れてしまうとおびえているのは、どこにでもいる、誰かの大事な子どもたちなのだ。
学生はセックスをするなって、もはやファンタジー
ところで、学生の分際でセックスをするのがそもそも悪い、という考えの人もいるだろう。
わたしだって子を持つ親だから、気持ちはわかります。
でも、人間って肉体的にはそもそも、個人差があるにしても15歳かそれくらいから生殖の適齢期に入っていくんではないか。20代のほうがより体の準備が整うにしても。
実際、昔ばなしの桃太郎とかに出てくるじいさまばあさまって、40歳くらいだっていう説があるもんね。
大学に行って社会人になって働いて、それからよき相手を探して出産してねっていうのは、あくまでも現代の社会的な人生設計でしかなくて、そのために本能にブレーキをかけて回り道させているような部分があるのかもしれない。
わたしたち大人は、その回り道を、なんとなく無言で察して通ってくれと願っているわけである。テレパシーか。
願うよりも話そうよ。
性教育というか避妊について。なにをどう伝える?
実際には、わたしはまだ中学生の娘に避妊の方法を、しっかりとは教えていない。避妊具も見せたことがない。
「もしもあなたに好きな人ができて、セックスをするときは、避妊について話せる相手であってほしい」と話した。
「もしも避妊なんてめんどくさいし、しなくて大丈夫でしょっていう男の子だったら、その人はあなたを大事に思っていないんだよ」と。
中学生に性教育なんてって思う気持ちも、わかるよ。
わたしだって、そう伝えるだけでもう、せいいっぱいだったもん!
でも、もうひと頑張り。
「男の子が避妊をしなくても、ピルといって、女の子が薬を飲んで避妊をする方法もあるのね。それはあなたに好きな人ができたときに、また話そう。きちんと教えてあげたいと思っているからね」
「妊娠しちゃったかもというときにすぐ、3日のうちに飲むことで妊娠しないようにできるピル(モーニングアフターピル)もあるのね。だから、もしも困ったときには、一人で悩まないで相談してほしいって思っているんだ」
わたしの伝え方でよかったのかどうかは、正直、わからない。
実は大人も翻弄されている、あやふやな性の知識
「避妊について子どもと話すなんて」って引く人もいるかもしれない。でも、伝えなかったらどうなるかというと
「安全日っていうのがあるんでしょ」
「外で出せば大丈夫」
「1回だけなら」
きちんとした知識がないから、都合のいいうわさ話を信じてしまったりするかもしれない。
そんなあやふやなリスクのなかに、子どもをさらすなんてこわすぎる。
親の口からはどうしても伝えにくい、何を伝えたらいいかわからないと思ったら、プロの力を借りる方法もあります。
女医さんが子どもむけに書いた性教育の本「産婦人科医宋美玄先生が娘に伝えたい 性の話」(小学館) を買ってあげるとか。
子どもに正しい知識を教えてくれるサイト(たとえばPILCON)を教えてあげるとか。
わたしもより具体的な知識については、これで行くつもりでいます!
これだけは伝えたい「あなたは大事な存在」
そして、「あなたを大事に思っている」「自分を大事にしてほしい」ということを、ときどき言葉で伝えるようにしています。
「自分は大事な人間なんだ」という気持ちが、虐待や性被害から逃げる力になるし、もしものとき誰かに相談する力にもなるんですって。これは昔、海外の児童虐待防止の取り組みについて勉強したときに、子ども自身を勇気づけるポイントとして教えてもらったこと。当たり前のような言葉だけど、適切に伝えれば、子どもが自分で自分を守る力になる。
念のため適切でない例としては、露出の多いファッションをしているから痴漢に会うんだとかとか、夜遊びするから変な男にひっかかるんだ、とかそういうのとセットで使うと呪いになります。←これ、軽い気持ちで口にしちゃわないよう、気をつけなくっちゃ。
気がつけば怒ってばっかりの日々だから。
わたしなんてもう、自分が適当人間で、躾も下手だからずーっと怒っているわけです。脱いだ靴下を洗濯カゴに入れろとか、食べたお皿をシンクに片付けろとか。宿題さっさとしろとか部屋をきれいにしろとか。毎日怒鳴ってる。
だからほめるのと、大事って思ってることは意識して口にしないとバランスがとれないっていうのもあります。
最後に言わせて「相談してくれてよかった」
「中高生の妊娠相談が過去最多に」というニュースを読んで、いろんな受け止め方をする人がいると思います。
子どもが悪いとか親が悪いとか。否定的な意見が多いかも。
否定的でなくても、困ったねって、そりゃなるか。
でもね。
相談してくれてよかった、って思う大人も、必ずいるからね。
相談してくれたときに、力になれる大人でいたいって、思っているからね。
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