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雨の日の静かなやさしさ、恋に落ちる一瞬にも似ている

一目惚れってするタイプと、しないタイプがいるという。本当かな?

わたしはどちらかといえば、一目惚れしないタイプ。相手をよく知ってから好きになるタイプだと思う。

だがしかし。人生で一度だけあれが一目惚れというものか、という経験をしたことがある。うんと昔、10代の終わりころ。バスに乗っていたら、楽器ケースを持った男の人が乗り込んできた。

その人がそっと、両足の間に楽器ケースを置いた。大事そうにそうっと。たったそれだけ。

言葉を交わしたわけでもなくて、なんなら顔もよく見てないんだけれど、その一瞬には、恋に落ちるくらいの何かがあった(気がする)。

時は流れ。ここからが最近のできごと。

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“だるまさんがころんだ”10歩の善行

仕方のないことだけれど、雨の日のバスはいつも遅れてくる。
ザーザーと音を立てて雨が落ちる土曜日の朝、遠出をする用事があってバスに乗り込んだ。

交差点を曲がって、次のバス停で停車。
白杖でバスのステップをさぐりながら乗り込んできた人が、海から上がってきたかのように濡れていて、驚く。
白杖と傘を同時に持つのは大変そうだから、傘はあきらめたのだろうか。

終点でバスを降りると、すぐ目の前が駅の改札。10mかそこらの距離だ。

白杖の人は、外出に慣れているのだと思う。すっと立ってバスを降りていく。でも、雨が感覚を邪魔するのだろうか。改札と違う方へ歩いていってしまった。白杖が車止めのポールをカンカンと叩く。向きを変えるも、反対側のポールにぶつかり、途方に暮れている(ように見える)。

「駅へ行くんですか?」
気が付くと、改札に入りかけていたところから、戻って声をかけていた。
言い終わるか終わらないかで、わたしの肘に手がかかり「その前に、改札の横のコンビニへ」とその人は短く言った。

“だるまさんがころんだ” をするときのように、1歩1歩を数えるようにゆっくりと進む。コンビニまではほんの10歩か、15歩くらいだったと思う。
「着きましたよ」と声をかけて別れた。

目の不自由な人に声をかけようかと思ったことは、今までにも何度かあった。でも、かえって邪魔をしてしまうのではないかと思ってためらってばかりいた。

“だるまさんがころんだ” の一瞬で電車に1本乗り遅れたけれど、ぜんぜん気にならなかった。声を出せてよかった。

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そして沈黙にも、金のやさしさ

その翌週。
家の事情で急に仕事を辞めることになって、その日が最後の出社日だった。

今にも雨が降り出しそうな夕暮れ時。
地下鉄を降りてJRへの乗り換えは、いくつものエスカレーターを乗り継いでいく。この乗り換え通路も今日で最後か。

地上行きのエスカレーターの手前には、長い行列ができていた。と、わたしの目の前を横切るように、行列の先頭へ向かって歩いていく人がいる。

盲導犬がその人を、エスカレーターの乗り口へとまっすぐに導いているのだ。行列に割り込みをして、トラブルになったらどうしよう。思わず足を止めて、行く先を目で追ってしまう。

その時、ちょうどエスカレーターに乗り込もうとしていたのは、年配の女性だった。
横からの気配に驚いて足を止めた、その隙間から一人と1匹がゆっくりと、エスカレーターに乗りこんでいく。
そうして何事もなかったかのように、止まっていた行列がまた進みだす。

JRのホームへ上るエスカレーター、ぐうぜん、盲導犬とその主がわたしのすぐ前に乗った。静かにしている犬に「いい子だね」と声をかけたくなる。でも、確かお仕事中の盲導犬には、声をかけたらいけないんだよね。

エスカレーターのひとつ前の段に乗っている人たちも、「声をかけたいけれど、ガマンだね」というようなやさしい顔で、犬を見ていた。

これもひとつの、沈黙は金。
静かであったかい空気。
日々に溢れている、特別な一瞬。

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