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小説「それ」

我が家には僕が物心ついた時から「それ」が在った。

母の「それ」は、トランプのジョーカーのように僕の前にぶら下がり、僕はいつも「それ」を理由に色々なことを諦める必要があった。何かを讃える歌を歌うこと、色の付いたお菓子をたべること、具合が悪くて学校を休みたいという希望でさえも「それ」を理由に時に叶わなかった。成長するに従って、我が家の「それ」は一般的にはまるで普通ではなく、むしろ奇異なものであると知った。僕は初めこそ戸惑ったが、僕は母の「それ」に応え続けた。母が大好きだったから。

母への愛によって「それ」に応え、僕が何かを諦める様子を、母は嬉しそうに見つめ、満足そうに笑みを浮かべるのだった。

母曰く「それ」は僕ら家族のためらしかった。家族が健康で平和に過ごせるのは「それ」のおかげらしかった。実生活の上では父が働き、母が家事をしているからこそ、家族三人が暮らせているのだが、母に言わせればそれら全ては「それ」のおかげなのだそうだ。父が健康で働いていられるのも、生活するに足るお金があるのも、そのお金で野菜やお肉や日用品が買えるのも、僕が友達と遊べるのも。「それ」に感謝をしなくてはいけないよ、と母は事ある毎に言った。

母の「それ」への傾倒は生半可なものではなかった。家族との約束はすぐに忘れ去られ、参観日や運動会に重なっても母は当然のように「それ」を優先した。そして優先することが何も間違いではなく、むしろ良いことだと信じて疑わなかった。口では家族のためと謳いながら、結局はその家族よりも「それ」を優先する母の姿に、僕は違和感を感じ続けた。

僕が成長し「それ」を恥じ、隠すようになってからも、母の「それ」から上手く距離を置くようになっても、母の「それ」への傾倒は続いた。父も一時ほど「それ」に熱狂することは無くなり、妻の傾倒を苦笑いとともに黙認した。そういう父の態度が、僕も大人として正解なのだと弁えていた。

しかし僕が婚約者を紹介した時、事態は一変した。可愛らしい彼女に、両親は嬉しそうに形相を崩し、その夜は楽しい宴となるはずだった。

「この日の為に、お前が生まれてから貯金をしていたんだ。母さん、アレを持って来てくれ」

と、父が言った途端、母の表情が暗く翳った。

「何のことかしら?」

と、とぼけた調子で母が言う。

「アレだよ、アレ。コイツが産まれた時から、結婚費用を貯めていただろう?」

酔って首まで赤く染まった父が詰め寄った。

「…分かりました」

母はノロノロと立ち上がり、襖を開けて出て行った。数分後、しびれを切らした父が寝室に行くと、とうの昔に残高がゼロになった僕の名前の通帳が、母のベッドの上に置かれ、母は忽然と姿を消していた。その日、母は出て行って、それきり帰って来なかった。


後に分かったことだが、多くの借金が父の名義で借りられていた。妻になるはずだった彼女は僕の家庭の異常さを垣間見て、婚約は破談となった。残されたのは多額の借金と、定年を過ぎた年老いた父と、僕だった。返すのは僕しかいなかった。

僕は母を憎んだ。
「それ」を憎んだ。
「それ」を黙認した父や世間、自分を憎んだ。

今になれば思う。母は、僕や父に「それ」に感謝を捧げるように、自分自身に感謝をして欲しかったのではないのだろうか。

その思考は、今でも度々、僕を苦しめる。僕にとっての母、父にとっての妻という役割は「それ」無しでは何の意味も為さないのだろうか。その役割だけでは不足だったのだろうか。目の前に確かに存在する僕よりも、目に見えない「それ」のほうが、母にとっては価値が高かったのだろうか。

母から「それ」を取ったら、何が残るのだろう。
何の役割にも縛られない素の母の心が、ひとりの人としての心が、「それ」を求め、傾倒していたのであれば、何故あんなにも、彼女はいつまでも、耐え難いほどに苦しそうだったのだろう。

普通の母で居てほしかった。でもその普通を、僕は知らない。
しかしどこかで、知りたいとも思わない。

僕の母は「それ」抜きには語れないから。
人が何かを信じること。
それを踏みにじることは、例え家族であっても許されない。
それでも。

僕の望むのは「それ」のない母と、「それ」が無くても満ち足りた母である。

この世でただひとりの、母である。



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