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小説「夢見るくせっ毛ちゃん」

太郎の髪は細く飴色で、しかしその繊細な見た目からは想像も出来ないほど強いコシを持つ。くるりくるりと頭部から四方八方へと跳ね、その毛を伸ばす。赤子故にそれは太郎をたいへん可愛らしく見せ、大人はしきりにその薄毛頭を撫でたがった。

そんな幼少期だったため、髪は早くから自分が可愛いと認識していた。あちこち自由に飛び出し、全く太郎の言う事を聞かない髪へと成長してしまった。

髪はたいそう夢見がちでアニメなどを見ては
「こんな色になりたい」
とのたまったが、隣に腰を下ろす太郎の祖父の髪は
「やめとけ。こんな色、頭皮に悪いわい」
と呟いた。

祖父の髪、別名爺はすっかりと禿げ上がり、耳の上に白い産毛がぽつりと残るばかりである。

太郎が成長するにつれ髪はますます自我が強く、我儘が過ぎるようになった。くせっ毛とからかわれ太郎がべそをかく傍ら髪は涼しい顔で風にそよぎ、いじめっ子のさらさらとした髪の毛に
「あんな真っ直ぐで優等生みたいな髪、どこがいいのよ。わたしは絶対ああはなりたくない」
と、ぶつぶつと文句を言い、
「なんも恥ずかしいことなどなかね」
と、祖父だけが、孫の頭を優しく撫でた。

しかし思春期に足がかかった太郎は、そのくせっ毛をなんとか人並みに出来ないものかと苦慮していた。風呂場にこっそりとお酢を持ち込んで揉み込んでみたり、父の整髪料を使ってギトギトに撫でつけてみたりした。

髪にしてみればたまったもんじゃない。
自由気ままに生きてきたのに、突然否応なしに何度も撫でつけられ、文字通り毛並みを整えられる。

こんな理不尽があってたまるかと、持ち前のど根性毛根で太郎の弾圧に抵抗するも、しかし年頃の太郎の情熱は凄い。お小遣いをコツコツと貯め、ついに縮毛矯正という大量破壊兵器を投入したのである。薬液に浸され、熱いアイロンで何度も引き伸ばされた。

これにはさすがの髪も大打撃で、見るからに不自然で真っ直ぐな優等生にされてしまった。髪はその夜、しくしくと嘆いた。

「わたし、きっと生えるひとを間違えたんだわ。本当は女の子に生えてくるはずで、虹みたいなカラフルな色にしてもらって、くりくりの毛にハート形の髪留めを刺してもらいたかったのに」
あまりにおいおいと髪が悲しむものだから、爺も見兼ねて口を開く。
「そんなこと言うのはやめい。何事も経験じゃ。わしなどもういくばくの命もないわいな」

言われてみると爺は、風前の灯のごとく数本を残すのみで、ほぼ無毛と化した頭皮には何の生命力も感じさせなかった。

それはイコール祖父本人の生命力と直結していたのかは不明だが、突如祖父は急速に体調を崩した。

年頃になったとは言え、幼い頃からともに暮らしてきた大切な祖父である。太郎は目にかかる真っ直ぐな前髪を、鬱陶しそうにしきりにかき分けながら
「じいちゃん、大丈夫?」
と、床に伏せる祖父に声を掛けた。

その頃の太郎は重過ぎる一重まぶたとおでこに浮かぶ大量のにきびに悩んでおり、縮毛矯正を繰り返した真っ直ぐな髪で、おでこと目元を深々と隠していた。本人は思春期真っ盛り故に「ちょっと影のあるミステリアスな少年」と内心自惚れていたのだが、家族には「目悪くなるよ、前髪切りな」と散々言われていた。

「顔を見せんしゃい」

病の床で祖父は、太郎へと手を伸ばした。

「なんも、恥ずかしいことなかね」
と、太郎の頭を弱々しく、でも愛おしそうに撫でた。


数日後、祖父は空へと旅立った。爺、もとい祖父の身体は焼かれ、それはそれは立派な骨だけが残った。太郎は震える手でそれを拾いながら、拭うことなく涙をこぼした。目にかかる前髪が、ひどく邪魔だと思った。

深夜、髪は爺を、太郎は祖父を失った悲しみに暮れていた。髪は縮毛矯正により昔の強情さや利かん気を随分と失ってしまったが、それでもこんなふうにセンチメンタルに凪いでる自分も、まぁ悪くないかもしれないと思っていた、のも束の間。突然身を切る痛みに襲われた。

あろうことか太郎は洗面所の鏡の前で髪を引っ張り、そこに鋏を当ててジョキジョキと切り出したのだ。髪にはなすすべもない。見るも無残なざんばら頭になった。髪は自身の短さにたいそう心許ない気持ちでいっぱいだ。太郎の奇行は尚も止まらず、バリカンを取り出して頭皮すれすれまで剃り上げた。

深夜、洗面所の鏡に映る、ありのままの自分。
重たい一重まぶた。
にきび面に無数の髪の毛がふりかけみたいに散らばる。

モテない。
友達も少ない。
勉強もスポーツも、なんにも、ままならない。

でもそんな自分を、ありのままの自分を、心の底から愛してくれた、祖父。自由気ままに遊び回る自分を、皺皺の手で撫でる優しい手。

「なんも、恥ずかしいことなかね」

祖父の口癖を、湿った声で太郎が言うものだから、切られたそばから髪はもう、次の形を夢見て、力強くその毛を伸ばす。


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