感情を可視化してみる? うつ病者の生存戦略7

お金がないのに独り立ち準備、私です。

独り立ちに際して、無理やりそうせざるを得ない状況になってしまったので、想像通り、ものすごい量のパニックや不安、動機がワンセットでやってきて、どうなることやらと心配でした。
幸い、2週間程度でその一番大きな山を何とかマシなレベルに収める事が出来たので、今回はその事についてお話してみようかと思います。

あと、毎度の事ですが、これは個人的な体験に基づく話でして、確証とかがありません。自分用メモの意味合いも強いので、こういうのもあるのねーというスタンスで気楽に読んでみて下さい。

・不安と動機をコントロールする下地作り

私は不安が強くなると、その不安とそれに伴う動機で早朝に目が覚めてしまうのですが、今回も案の定そうでした。

とにかく、朝が怖い!

しかし、動かないといけない。さてどうしよう?お金も仕事もない、自分の基盤がないのに、どうにかしなくちゃいけない。

まず、私が考えたのは、ひたすら動く事。私は一度寛解した経験があるので、「絶対に寛解はできる!」という、根拠のない信念を持って、今自分に出来る範囲で精一杯動いてみようと思いました。
現在のスキルで引っかかりそうな仕事へ応募。今の手持ちで動けそうな物件探し。
しかし、やっぱり、このご時世、そして就職氷河期の申し子・私。仕事の結果はお祈りメール、物件探しも難航。そして、私はさらなる悪循環へ。
正直、「あ、これ、詰むかも」という気持ちが、ネガティブ感情を肥大化させ、不安と動機を止める頓服が全く効かなるなる始末。

そこで、私は、何でそう思ったのか理由はないんですが、自分の恐怖や不安がどこからやってきているのかを可視化してみる事にしたんです。これが、見出しで言っている「下地作り」ですね。

人の感情は細かく細分化されていると思いますので、出来る限り、自分の中にある感情を分類し、それにどんな特性があるのかを考え、それに具体的なイメージを持たせてみました。
ドンドン変わっていくのかもしれませんが、現段階では下記の通りです。

・知識や環境に左右されない「本来の自分の特性」:
長い髪に白い服、裸足の私。何故か右目は眼帯で見えない。
・子ども時代の私:
4才くらい?海遊びしていた写真の私からイメージが来ていて、あまり話さない。
・恋心:
トラジマのふっくらした子猫。小さな女の子になる事もあり、天真爛漫。
・勇気:
亡くなった私の親友。普段は部屋着でのんびりしている。弓道をしていたので、勇気を出す時には、袴姿で弓を構える。

怪しい新興宗教とかじゃないですよ!!(自分で書いていてちょっと不安になりました)

イメージを持たせたのは、その感情特性をうまくコントロールする為に、感情を可視化させてみようというアイディアが出たからです。

・感情にイメージを付けてみると?

そこでひとつ気付きがありました。
私がうつを発症したきっかけは人生をかけた恋に2回破れた事。その内ひとつは、結婚と離婚が伴っています。だけど、何故かしら、恋心のイメージである子猫に乱れは見られませんでした。
暴れているのは、子ども時代の私。そして、それを見て困っている本来の自分。つまり、失恋はきっかけであり、抜本的な理由はそこではなかったのです。

その後、私は、幼い自分と本来の自分に焦点を当てて、もっと自分の心を探ってみました。すると、ある現象に気付いたのです。

不安や焦り、絶望などのネガティブな感情を持った時、小さな私は泣き叫んで誰かを探している。それを見た本来の私は、何かしたくても出来ない状況。子どもは誰を頼っていいのか分からず戸惑っている様子。

ここから私は、「私は誰かに傷つけられ、その傷を癒やしたい。でも、頼るものがなくて困っている」という仮説を立てました。
ここで、矛盾が発生します。本来、人間は自分で自分を賄うもの。それが出来ないまま、誰かで心を埋める行為は非常にリスキーなのです。でも、私はそうなっている。

こうなったら、行けるところまで行ってやると、半ばヤケクソで、私は自分の心を、現状と照らし合わせながら入念に観察してみました。
そこでたどり着いた結論。

私は社会的に自立したかったのに、その機会を奪われてしまった事、そしてそれが故に自分を賄えないに絶望している。無意識レベルで、そこを他人に委ねてしまっていた。

ここに至るまでの道程は苦しいものでした。

・理由が見えてきた後は?

ここからは、どうやって自分の尊厳を取り戻すか、という話になります。

私はまず、小さな自分を慰め、励まして、癒やしてあげようと考えました。心が暴走する時は、「大丈夫だよ、心配しないで」と、幼い自分を抱きしめてあげるイメージを作り、実際にお布団やぬいぐるみ、自分自身をギュッと抱きしめてみました。実際に声に出せるなら、しっかりと声に出して言い聞かせてみたりして。
少し動けたら、それはそれは大げさに喜び、褒めてあげました。普通の人からしたら「当たり前」の行動も、今の私には「ものすごい」んだよ、と。

やり方は色んな本やサイトで調べてやってみました。
こちらの記事も大変参考になりました。

しばらくして、幼い私と本来の私に小さな変化がやってきました。

小さな私は少しずつ喋るようになり、ちょっとずつ自分で歩いたり、冷たい水に足を入れてみたりと、小さな挑戦を始めたのです。

そして、本来の私は眼帯が取れました。取れた右には、何もない。真っ暗。だけど、そこから色々な美しい情景が出てきたり、一瞬本来の顔を取り戻したり、いい意味で変わり始めてきました。

このイメージを大切にし、素敵に育てたい。そして、自分で自分を好きになりたい。自分を好きになり、自分で自分を世話出来る状態になった時、本当に大切にしたい人を大切にする力が出来る。
何故か、そう思いました。

その後、私は機会に恵まれたのか、職業訓練の面接と小さなアルバイトの面接に合格しました。

・あとがき

今回の記事は起承転結がなく、ちょっと垂れ流し的な面もあって申し訳ないですが、どうしても現在の状態を書き留めておきたくて記事に起こしました。

ひとつ言いたいのは、うつで悩む人達の心にも光があると信じたいって事。

この続きは、また発展があれば書いてみたいです。



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