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The reasons why I "fight" everyday①


あまりにも更新が滞っているから、ここでわたしの考えが終わってしまうのはちょっと嫌だな、と思い、少しだけ最近の考えごとをここに書こうと思う。

わたしがこれからもたたかっていきたいこと、そしてその理由とかをお話するシリーズにしようかなと、現段階では思っている。


でも、ここに、今まで出したことの無い内容の、綺麗な文章を書けるほどの元気は今のわたしにはなく。
ほぼTwitterのまとめになってしまうけれど、ちらばったツイートたちを少しだけでも分かりやすく、まとめられたらいいなと思う。

良かったら覗いていってください。




①特権について


最近、特権性についてよく考える。


わたしという人間を例にしてみよう。

わたしの立場やアイデンティティを言葉にあらわすとするならば、

わたしは日本という国で生まれて、20年間育ってきた。
海外に出たことが1度もない。
生まれたのは徳島県だが、今は山梨県に大学進学のために引っ越してきて住んでいる。
7畳の部屋で一人暮らしをしている。
貸与奨学金を借りている。
学科の留学には色々な事情で行けなかった。
家族との仲は良好。
過度な不注意や記憶力・集中力の欠如があるが、かなりの労力を使い、努力をしてアルバイトをしている。
外国語学習が苦手で英語がそんなに話せない。
自分がノンバイナリーである、パンセクシュアルであると自認している。
アトピーのアレルギーがあるが、食物性アレルギーはない。
etc.

これだけの項目の中から、わたしが特権をもっていると考えられる部分を挙げてみる。

まず、県外の大学に親の支援を受けて進学できている(帰省には飛行機をつかう)。
7畳の部屋で一人暮らしができている(ひとりで身の回りの事を行うことができ、自分だけで生活をできる家が山梨にある)。
家族との関係が良好なため、経済的な支援などを相談でき、支援をある程度好意的に行ってもらう事ができる。
アルバイトができている(自分でお金を生み出す力がある程度ある)。
食物性アレルギーがないため、食事を(自分の意志や思考を除いて)制限されない場合がほとんどである。
etc.


まだわたしの自覚がないことにより挙げられていない項目もあるかもしれないが、ここまでのことを普段の生活では、正直あまり考えないだろう。
考えなくても生きていけるというのが特権だと、わたしは思う。


わたしだって奨学金が貸与じゃなければ、こんなに経済的に苦しむことは無かったのに

とか

わたしがセクシュアルマイノリティでなければ、クィアでなければ、こんなにマイクロアグレッションを浴びることなんてなかったのに



自分が受ける被害やしんどさ、マイノリティ性に目を向けることは、案外簡単なことなのかもしれない。(それを引き受けて生きていくことはとても困難だし、しんどいことだとは思う)
だが、自分の特権性や加害性には、気づきにくいし、気づいてもどこか自分に言い訳をして見て見ぬふりができる。

マジョリティは、特権を持つ者は、
逃げられるのだ。


わたしは、つねに自分の特権性と向き合いたいと考えている。

こういうことをブログでパブリックに開示できることも、誰かにうちあける勇気があることも特権だと思う。

つねにわたしがもつ特権性を自覚して、それによって自分が得た利益や支援は、できる限り他者に還元したい。

まだ至らぬ点はたくさんあるとは思うが、努力することをここに誓いたい。

これは、わたしが誰とも対等で、クリアな人間関係を築いていくために、そして、あなたと連帯するために、わたしがきっと最低限やらなければならないことのはずだ。

みんなにとって、そしてわたし自身にとって、
わたしがよりsaferであれるように、わたしはこれからもがんばります。






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