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眠れない夜をこえて

近頃夜中3時前に寝られたためしがない。

今日こそは早く寝るぞと布団に入っても、
今日こそは勢いで寝るぞと酒をあびても、
どうにも眠れない。

己の中で色々な妄想や空想や理想の世界が展開していくばかりで、あれもしなきゃ、これもしなきゃ、ああできたらいいな、こうできたらいいな…。

そうして眠らなきゃ、と、あれこれしたい、の間に挟まって、行動的には何も起こしていないというのに脳みそだけが活発に動き続けてる。

最近はそんな夜ばかり。

で、こんな夜には割と最近は文字を書くようにしてるのだけど。こいうことを書けば書くほど、日々やってる感みたいなのを自分自身が感じたいだけなんじゃないか…って自問してしまったりもするのだけど…。こうして何かを吐き出さない限りは、どうにもこの心拍数はおさまらないのです。

話はそれるんだけど、日本にはそういう風潮、割とありますよね。何かってと、「やってる感だしてんじゃねー」「思わせぶりな言い方してるんじゃねー」ってやつ。

私はね、別にその、やってるぜってかんじ、誰でも出してっても良いんじゃないかなー、なんて思うのです。

それって自分自身で自分のやってることを、いいぞいいぞって肯定してあげてるってことでしょう?

日本人は、(って一括りにするのも良くないとは思うんだけど)、やっぱり大きく自己肯定感の薄い国なんじゃないかなーって、たまに思う。

私は、各々が、自分自身だけのことを、大いに否定しながら肯定しながら生きていけば良いと思う。

近頃のメディアやSNSは、どうにも軽率な他人批判が多過ぎる気がしますよね。
なんかそれって、全然お互いへのリスペクトがないから全然面白くもないし美しくもない。

話はまた少し逸れるんだけど、先日見たドキュメンタリー映画『三島由紀夫VS東大全共闘』の話。

私は60年安保の時代を生き抜いた方々の力強い言葉に、どうしても惹かれてしまうタチで。

自分の生死を、国によって左右されていた時代。
人間の存在を根本から考える人々が数多く生きていた時代。
だからこそ、政治にも関心が熱く、己自身を顧みることが当たり前だった時代。

当時を生きていた方々からすれば、全員が全員そうではなかったのかもしれないけれど、少なくとも私には今の時代よりも、一人一人が己の人生と、己が関わる国への問題意識が強かったように思う。

そして、この映画のなんとも素晴らしいところは、この数時間の討論の中に、お互いへのえも言えぬリスペクトを感じるところ…!!!
(己の語彙の無さが悔しい)

これこそまさに討論。
お互いの認め合うべきところはしっかり認めつつ、違う意見を持つ点は理論的な対話でもってやり合う。
ああ…なんて美しい言葉のやりとり…。


最近の国会中継は頭が悪すぎてみてられない。
はぐらかしのご飯論法。
嘘と隠蔽とごまかしと時間稼ぎの応酬。

ほんとに、ほんとに美しくない…。
人間の、尊厳と進化を否定されたみたいな気分になる…。

私はこの映画を見た時、何故、ここまで人間同士の言語レベルを高めてきていたものを…現代で無残にも破壊してしまったのだろう…と思わずにはいられませんでした…。


もうすぐ都知事選挙ですね。


そして、私自身はもうすぐまた次の配信演劇の本番がはじまります。

『むこうのくに』

タイトルからしてとても面白そうでしょう?

今日はやたらと頭がぐるぐる廻るのは、この稽古が始まったから、というのもあります。

私はこの作品を通して、日本を、「くに」というものを、今深く考えています。
いや、本編はそこまで小難しい内容ではないですよ?
ただ、台本を読めば読むほど、そのことを考えないではいられないのです。


私は演劇がやりたいし演劇で生きたいし演劇で人と繋がり続けたいって思いながら生きてる。
昔も今も。

演劇は想像力の芸術。

誰かのことを、知らない世界のことを、演劇というツールを通して想像していく。
そこには豊かな価値観が備わっていると私は思う。
押しつけじゃなく、貴方の世界を変える方法、貴方の世界を広げる方法を、演劇は教えてくれる可能性がある、っていう。

誰だって、他人のことを100%理解することは出来ない。
だけど、想像することはできる。
そこには優しさと思い遣りとリスペクトがある気がする。

そんな尊い世界がわたしは好きです。

今日も今日とて演劇LOVE。

とりとめもない雑感を書き殴り、朝がくる前に力尽きたいと思います。
それでは皆さま、おやすみなさい…🌟

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淺場万矢
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