巫女と龍神と鬼と百年の恋 ⑤
一週間後、準備が整えられた。
予想していた通り妖怪達に猛反対されたけど。
『どうして細波が行かなくてはならないんだ』
婆様の家から帰ってきた夜、大事な話があると妖怪達を全員集合させた。話を聞いた妖怪達は誰も口を開く事をしない。
蒐だけが激怒していた。
『他の奴ではいけないのか。わざわざ細波が行く必要がどこにあるのだ』
感情のまま妖気を放出する蒐に弱い妖怪は怯えるように身を寄せ合わせている。桜花は蒐の行動が予測できていたのか頭を押さえていた。
『誰かが行かなきゃいけないの』
何も言わずにいた桜花が優雅に立ち上がり、場の雰囲気を一瞬にして支配した。
蒐だけが不快そうに桜花を見上げる。怯えていた侻達の雰囲気が少しばかり和らいだ。
「お主が進みたい道を進みなさい」
私には「邪魔をするモノは何であろうと全力で阻止する」と言っているようにも聞こえた。美しい人間の容姿をしている桜花も妖には変わりない。私には優しいお姉さんのような存在だが、侻達には一目置かれている存在だ。蒐が妖気を出した時に恐れないのは桜花位だ。
蒐は不機嫌そうに暗闇の中に姿を消していく。私は皆の視線が集中している。
「ごめんなさい」
私の心に空いた隙間を埋めてくれたのが彼らだから、最期まで彼らのために生きようと思ったこともある。
それでも夢の中に出てくる神様の事を考えると、締め付けられる想いがないと言い切れない。
こうなる事を予測していたかのように私の出した結論に反対をするモノはいなかった。
現世での穢れを落とす必要があるため禊をすべく、湖の近くの社に籠ることとなる。清き魂でなければ龍神の元にはたどり着けないと考えられていたからだ。
妖怪達は神聖な場所なので近づく事は出来ず、一人きり。
私が神の元へ行ったところで村の日照りは収まらず作物は全て枯れてしまい、私が夢で見ていた神は私の心が作り出した幻だったのではないか。
本当は妖怪たちの存在も有り得ないものですべて私の妄言。
不安は日に日に収まる事を知らずに叙所に大きくなっていった。
「誰か、教えて」
・・・・。
心が闇の中へと落ちていく。反発しなければ清き姿で龍神の元へ行けないのに。
初めて誰か側にいて欲しいと願った。
〇●〇●〇
「ゆう、せつ、夕雪」
娘は突然現れてそして、いなくなってしまった。
探してもどこにもいない、君は一体どこへ消えてしまった。
会いたいときは名を呼べばいつでも参りますと言ったのは君だ。
わたしの前から勝手に姿を消さないでくれ。
お願いだ、そばに居てくれ。
ずっと側に居られないことは分かっている。流れている時間が違うから。
君が教えてくれたんだ、寂しいという感情を。
誰かが傍らにいてくれたら温かいことも。
「夕雪、どこにいるんだ」
何度名を呼んでも君の姿は見えない。
〇●〇●〇
湖から龍神の棲む神域へと通じていると信じられているため、人が入れる樽を湖の中に沈める。沈めた樽は二度と浮き上がってこない。
数人の村人が集まっていた。湖の近くには子供が一人入れる位の大きな樽。
白い着物を着て肌寒さを感じながら私は禊をしている時に見た夢を思い出そうとしたが、出来なかった。
「細波」
遠慮がちに声をかけてきた婆様は深々と頭を下げた。
「村を代表して礼を言う」
結果論では村のために犠牲になるようなものだ。申し訳なさそうな表情をしていた。
桜花が禊をする前に最後に私に送った言葉は『心残りはここに置いていけ』。
心残りがあるとすれば『人としての幸せ』を味わってみたいということ。妖怪達が私にくれた数々の思いでは胸の奥にしまっておく。誰もが何もしなくても手に入れられる当たり前を知りたかった。
両親に囲まれた暖かな日常。
友達と日が暮れるまで外で駆けずり周り、帰るのが遅いと両親に怒られる事。
全て私にとっては憧れ。
来世があるのなら普通の女の子に生れてきたい。
婆様が悲しそうな顔をして私の事を見つめていた。
「どうしてそんな表情(かお)をしているんですか?」
婆様は瞼を伏せた。
「村が助かるために誰かが犠牲になる、幼い娘一人に押し付けることになるとは・・・」
泣き出しそうな声に正直驚いた。私が居なくなっても悲しまないと思っていたから。
「綺麗事だけで生きていくことはできないんです」
私は婆様から視線を外した。桜花が言っていたのはこの事なのだろうか。直前に行きたくないと思う事があるはずだから、心残りを置いて行けと言ったのかな。
誰よりも一番に考えてくれていた桜花の事が大好きだった。桜花達を傷つけることになると分かっていても後悔をしてい。ない。
私のエゴだと気が付きながらも。
樽は外観よりも狭く水が入らないようにきつく密閉がされている。少しの明かりも入らなかった。暗闇は妖怪達が好んでいたから馴染み深かった。
樽がぐらりと揺らぐと、ユラユラと揺れ始める。水の中に落とされたのだろう。
私が村から姿を消すことを奈々に説明してこなかった。大人達が正直に話すとも思えない。別に本当の事を知る必要はないのだ。
私が人間としての心を忘れずにいられたのは奈々のお陰。
密閉された樽の中に居るのに不思議と息苦しくない。樽が揺れ上下左右が逆になることはあってもそれ以上の事はなかった。沈められたはずなのにどうしてこんなに苦しくないのだろう。
私は気付かないうちに死んでしまったのか。
そんな事を考えていたら視界が急に開けた。瓶の蓋が外れたのだ。
「ほぉ、人間が入っておるわ」
声とともに小さな人影が覗き込んできた。見ると髪も肌の色も白い十歳くらいの男の子。目だけが赤く全てを見透かしているようだ。
「人間が来るとは、はて何年ぶりじゃ?」
見た目を似つかわしくない言葉使い。
きょとんと見つめていると男の子は面白いモノを見つけたような笑顔になった。
「これは、これは」
覗き込んでいた者は私に手を差し伸べる。
「いつまでもその中に居ては窮屈だろう」
ほれ出た、出たと独り言を呟きながら男の子は片手で軽々と私の事を持ちあげ樽の中から救出してくれた。男の子からは人間でない気配がする。妖怪とは少し違うよう、不思議な雰囲気。龍神なのかもしれない。
樽の外に出てみると空は天高く、青く澄みきっていた。地面は土ではなく水で出来ていたが、私は水の上に立っていた。
私が立ち尽くしていると少し呆れたように男の子が歩き出していた。
「何を驚いているのだ?早く歩け」
男の子に導かれるように、歩き始める。神の棲む場所。そう思わなければ、私は夢の中に居るような感覚。
生まれ育った村じゃない。寂しいのは妖怪達がいないから。
私が居なくなってからは好きなように生きていいと言ってきた。元々人間に縛られるような性格をしていなかったので今頃、己の好きな場所で生きているだろう。
知るすべはないのだけれど。
神の棲む場所に行くと聞いたときにどんなところか少しだけ考えた。
きっとお殿様が住んでいるような大きな城に住んでいて、私の生活とはかけ離れている“豪華”という言葉が一番合うような環境。現実は鳥の囀りが聞こえる訳でもない、寒くも暑くもなく生きているのか分からなくなる空間。
「娘、名は何と言うんだ」
樽の中から助けて貰い後を歩いているが、どこに連れて行かれるのかは聞かされていない。神様は人のはかりでは測れないため、余計な事を口にしないよう心がけていた。殺されるのが嫌な訳じゃなく、村に雨が降らなければ誰かが生贄に捧げられる。
それは避けたい。出来ることなら私が最期の犠牲者になれればいい。綺麗事だと言われるかもしれないが、生きる意味のある人たちの未来を消し去ることをしたくない。村のためではなく、残酷な習慣はなくなるべきだ。感情が表に現れないように細心の注意を払いながら答えた。
「細波と申します」
短く言うと、男の子は少し驚いた顔して振り返った。
「字は何と書くのだ?」
男の子は足を止めた。じっと私を観察しているかのように真直ぐ見つめて。
ここは神の領域。嘘や隠し事が通用するはずがないのなら正面から挑むのが礼儀だろう。
「細かな波」
母親が私に付けてくれた大切な名前。村人は私の名前を呼んでくれる者は居なかったけれど、名前を忘れないでいられたのは妖怪たちが呼んでくれていたから。
「・・・良い名前を貰ったものだな」
懐かしむように私の名を口の中で呼んだのが聞き取れた。
「細波様か・・・」
私がここに来るのを待ち侘びていたように感じれた。
「私は貴方をどう呼べばよろしいですか?」
自分の名前だけを知られているのは何処か不公平な気がしてしまう。それだけじゃない。名を知られるということは命を握られるのと同等の行為。本当の名を教えて貰えるとは思っていないが、人外のモノとのやり取りを知っている事を知らしめたかった。
私の思惑を読み取ったのか男の子はにやりと目を細めた。
「神の使者にも気負いしないとは、昔を思い出すわ」
喉の奥で声を出さないようにしながら静かに笑うと『私の名前は白巳(はくみ)だ』と教えてくれた。音の響きと先ほどのセリフが聞き間違いで無いとするとこの人の本性は蛇だ。白(はく)は白(しろ)という意味で、巳は蛇を指す。気質を表すものを付けるとそれが主張される事もあり、願いを込めて名を付けるとその願いが叶うとも。
「貴方は龍神様ではないのですね」
確信を持って言える。長年妖怪たちと一緒に居たから本質を見抜く自信はあった。初めて見たときから妖怪ではないけれど、神様とも違うような気がしていた。村を守っているのは龍。本質が蛇のはずがない。
「なぜそう思った?」
一瞬にして白巳の表情が引き締まる。先ほどまでの友好的な笑顔は消えてしまった。
「名前の響きと貴方の見た目から “白蛇”が本性なのではないかと。私は神様に会いに来たので、違うところに連れていかれたら困りますので」
白巳が困ったように頭をかいた。
「わしが神でないと気付いた?」
桜花が本性の分からない妖怪には用心しろ、心を開いてもらいたいからといって安易に自分から心を見せてしまうなと教わっていた。心に浸け入るモノも居るからと。
「雰囲気が妖怪のそれに近いモノのような気がしたからです。神様に会ったことはありませんが、御神体から感じる気配と貴方とではまるで違います」
幼いころより見てきたから良く分かる。龍を本来の姿に持つのならば「蛇」の意味の名を付けるはずがない。
白巳が可笑しそうに口の端を上げた。
「神の使いに喧嘩を売るような真似をするとは、肝が据わっておる。面白くないからな」
何かに満足したように白巳は歩き始めた。私はそれに置いていかれないように彼の後を追いかける。