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自分と向き合う時間

今、もう一度仕事を外に探そうかどうかを迷っている。
いや、正直言うと今の状態で食べていけるなら仕事はしたくない。
仕事、と言うのは私の中では「外に出て誰かに雇われて働くこと」。決して悪いことじゃないけど、私には向かない事だ。
作品を作ったり、何か手助けをして生きていけるならそれが仕事になればいいと思っている。ただまぁ、やってみてはいるけどそんなすぐには上手くいかないのは分かってるけれども。

学校を出てから何年間は正社員で働く出張族で、メンタルが危なくなってからはもう少し自由なフリーターになった。
正直言うとこの選択は、正解だった。
ありがたいことに親族皆元気だし、家も食べ物もあったから、多少収入が減っても(大した減りじゃなかった)生きては行けた。
いろいろな業種や人間関係を経験して、仕事を変えるたびに学びがあって、知り合う人間によってもまた学びがあった。
多分、学生時代の私しか知らない人と会ったら驚かれるかもしれない程度には成長したように思う。

そのおかげなのか、今こんなコロナの渦中であっても、一時仕事を失っても大した同様もなく心穏やかに過ごせている。
一時は「やりたい事が!」「そのためにお金が!」と思って掛け持ちしたり時給のいいところを探してやってみたけれど、尽く長続きしなかった。
私の原動力が「お金」ではない事が何年かかかってようやく飲み込んだ。

ここ暫く植物を育てているが、毎日小さな変化が嬉しく、”最短枯らす記録”を着々と更新している。本当に植物は3日で枯らす人間だったので、自分でも驚いているが、植物の観察もnoteを毎日更新も、マメさが必要なことは全て仕事をする過程で身についたように思う。いまだにメールを返すのは苦手だが。
他にも、仕事をする過程でできるようになったことといえば、

・在庫の管理
・電話対応
・来客対応、接客
・作り置きや下ごしらえの早さ
・一人当たりの食材の分量のの換算
・自分にできるからといって相手に同じものを求めないこと
・後輩に仕事を教える事
etc...

初期の自分にはできなかった事が1つ1つ仕事を変わるごとにできるようになって、それが楽しくなっていった。
特に仕事を教えたり、自分以外の誰かと関わるようなことはなかなか難しくて正解がないので今も課題ではあるけども。

仕事を毎日していると事細かにそう言うことを振り返る時間も心の余裕もなかったが、時間ができた今のんびりとそんなことを振り返っている。
元々自己肯定感が低めの人間ではあるが、できるようになったことを思えば「がんばったんだな」と少し認める事ができたように思う。

私が思うゆたかさは、自分を振り返る余裕がある事。

とりあえず突っ走るのはやろうと思えば誰でもできる。
けど自身を振り返ることは、いい事だけではなく、ダメだったこと含めて全部テーブルに並べて見返さなくてはいけないので、見ぬふりをする人が多いのではないかと思う。
正直見たくない記憶も蓋をしたい黒歴史もある。
でもそれがあるから今の私がある。
失敗したことを振り返って認めたから、他の人が同じ失敗をしてもフォローできるし、冷静に対処できるし、次に生かせる。
いいことを思い出せば幸せな気持ちになるし、ハッピーな時は誰かに優しくしたくなる。

仕事に必死な時はそんな余裕はなくて、とても疲弊していた。
良いか悪いか、時間ができて、ゆっくりと振り返る時間ができて自分を見返すようになり、多少なりとも自分を大切にする時間になった。
今再び生きるための仕事をちょこちょこはすると思うが、このゆたかになる時間だけは日々の生活の何処かで確保していきたいと思う。

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