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100年以上昔の観光ガイド本と行く 京阪電車沿線の旅(天満橋編)

京阪電車、という電車をご存知でしょうか。大阪と京都を結ぶ私鉄です。大阪と京都の間にはJRや阪急も通っていますが、京阪の本線は淀川の南側を走っている点が他2路線との大きな違いです。そして京阪電車の開業は1910年のことなので、100年以上の歴史のある鉄道会社です。

さて、そんな歴史ある京阪電車が、その歴史の第一歩を踏み出した時に「京阪電気鉄道線路案内」という書籍が発行されています。要するに今でいうところの観光ガイドです。そして、実はこの書籍は、国会図書館のWebサイトで全文が公開されています。一部、かすれなどで読みにくい点もありますが、iPadからも閲覧できるので、この100年以上前の旅行ガイドを手に今の現地の様子を見に行ってみる、なんてことも出来てしまいます。

なので、どんなスポットが載っていたかを紐解きつつ、何か所かは実際に行ってみた、というお話の連載です。


天満橋

「線路案内」で一番目に紹介されているスポットがこちら、天満橋。当時の京阪電車の始発駅は天満橋だったから選ばれたのだと思われます。また、当時の天満橋はドイツ製の鉄橋で、1885(明治18)年に起こった洪水の後に架けられたものでした。

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現在の天満橋。右奥には京阪天満橋駅が見える

同時期に完成した天神橋と並んで注目を集めたようで、「線路案内」の中では以下のように紹介されています。

難波、天神の二橋と共に大阪三大橋の名あり・・・
天満橋も同時の設計にして・・・今は共に澱江の二大異観たり。

「京阪電気鉄道線路案内」

思い返すと、十数年前に工場だとか団地だとかジャンクションだとか巨大な人工物の鑑賞ブームが起こって、今はもう自然に「観光名所」の一覧に載っていたりもしますが、京阪開通当時の天満橋は「真新しい建築物」だったから注目されていたのでしょうか。それとも、今のように「でかい!」「つよい!」「かっこいい!」と、橋に興奮していた人もいたのでしょうか。今の感覚からすると橋を名所として紹介するのは中々マニアックなチョイスに思えますが、当時の読者の受け止め方がどうだったのか気になるところです。

なお、現在の天満橋は上下二段、二重の構造になっています。下段は1935(昭和10年)に架け替えられた橋、上段は橋のすぐ南にある天満橋交差点の渋滞緩和のため1970(昭和45年)に建設された橋で、交差点を上空で飛び越すように建設された豪快な橋になっています。

人によっては、戦前から架かる橋の美しさを破壊した愚かな行為だ!と思うかもしれませんが、これはこれで、武骨さがあって、見上げるような迫力があって面白い光景ではないかな、と私は思います。今の姿も、まさに「異観」ではないでしょうか。


澱江の納涼舩

そんなことを考えつつ「線路案内」を読み進めると、二項目めとして「澱江の納涼舩(船)」が登場します。当時の様子は以下のように書かれていますが、浄瑠璃を上演する船があったり、酒や料理を提供する船があったりと、さまざまな趣向の船が出て賑やかだったことが伺えます。

大阪名物の浄瑠璃、仁輪加、新内、物まね等の余興船はその間を漕ぎまはり・・・・真に之れ水の都の不夜城として大阪市民の夏の歓楽を代表せるものと謂ふべし

「京阪電気鉄道線路案内」

現在も変わらず納涼船や水上バスは大阪の名物のひとつ。2008年には天満橋駅の北側に八軒家浜船着場が整備され、駅前からクルーズ船などに乗ることが出来るようになりました。ただ、この数年ほど発着する船が少ない状況が続いているようです。

便利な立地ながら、船の姿をなかなか見ない船着場

それにしても、世の中にクーラーも普及して、娯楽も色々と増えて、船の形もすっかり変わった今でも、夏になったら船に乗りたくなってしまうのは何故なのでしょうか。不思議なものです。100年経っても変わらない行楽・娯楽がここにあります。


天満宮(大阪天満宮)

目線を再び「線路案内」に戻すと、続いて登場するのは天満橋の名前の由来にもなっている天満宮(大阪天満宮)です。現在も天満橋駅から天満宮までは15分程度なので、今も徒歩圏内ではありますが、天満宮近くに谷町線の南森町駅とJR東西線の大阪天満宮駅が出来ているため、今日では天満橋が最寄り駅として紹介されることは滅多にありません。こういった点も、100年の歴史の経過を感じさせるところです。

ちなみに大阪天満宮は社殿は大塩平八郎の乱の大火で全焼しており、その後再建されたものが現在に残っています。実はこここまでの経緯は「線路案内」でも解説されていますが、その後、第二次世界大戦中にも天満宮の近くまで火の手が迫ってきたことがありました。しかし、この時は地元住民の必死の消火活動により社殿が守られた、という逸話が残っています。歴史の上に歴史が重なって今があることを実感させるエピソードではないでしょうか。

ちなみに「線路案内」の後半には「夏季祭典」について言及があります。これは「天神祭」のこと。7月25日の本宮の日には天満橋駅も非常に混雑します。


将棊島

さて、「線路案内」はここで駅の近くに戻って将棊島(しょうぎじま)という小島を紹介しています。「島」という名称ですが、実際は大川の上流方向から伸びていた築堤のこと。河川改修によって大川の南岸と陸続きになってしまい、現在では島だった形跡も残されていません。ただ、天満橋駅の向こう岸にある「南天満公園」の中には「将棊島粗朶水制跡」という記念碑があって、河川改修についての説明書きも立てられています。

「将棊島粗朶水制跡」の碑

ちなみに余談ですが、南天満公園の隣には分析化学の専門学校があり、その1階の窓に「chemistryを化学と訳した人は……」なんて雑学が書いてあったので、私はつい見入ってしまいました。みなさまも現地に行った際には是非読んでみてはいかがでしょうか。


さて、ここまでは天満橋駅の周りをぐるぐる回っているだけでしたが、次回からは京阪電車の線路に沿って移動したいと思います(つづく)

いざ、おけいはん。


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