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化粧と私3

noteを使うようになって、良かったこと。
それは、自分と同じようなモヤモヤを抱えていて、それを自分より上手く言語化している記事と出会えるようになったことだ。

最初は「誰にも迷惑を掛けない捌け口」としての場所だった。それが、共感した記事にハートを押すことで、どんどん似たような記事が出てくるようになって、段々と出力だけではなくてインプットの場にもなってきた。

下記の記事もそうだった。

自分の中で、どうしても「女である自分」に自信が持てない時がある。「女のはずなのに、化粧に興味がない、いや、興味が持てないのはおかしい」と思っている部分がある。
興味ないなら興味ないで、開き直れれば楽なのに。未だに「化粧をしない自分」を認められていない。「そんな自分でいること」に、いまだ許可を出せていない。

結果、「メイク/化粧」というワードを目の前にすると、考え込んでしまう自分が、未だにいる。

「普通」はみんな、ある程度の年齢になれば周囲に合わせて化粧ができるようになるはずなのに、どうして抵抗感があるのか。
ずっとモヤモヤしてきたし、ここでも以前、同じような記事を何本か書いた。

少なくとも私は「女でいたい時にだけ女でいたい」人間だし、いつも化粧をする人というのは「私の在り方とは違う」のだ、ということにしておきたい。

“自分の都合の良いタイミングで、切り札として自分の幾つかある手札の中から引っ張り出してきて使うもので、だれかのタイミングで勝手に使われるものではないからである。”

自信があるから化粧をしないのではなく、自信がないからこそ化粧ができない人だっているんだよ!ということに、きっとかなりの自信を持っている…のだと自分で思う(笑)
自信がないことにかけては自信があるし「自分の都合とタイミングが合う時だけ」女らしくさせて欲しい。少なくとも今は…。下手な女装を毎日こなすより、疲れない時だけ女装でいたい。「可愛くならなくても良い」という自由をくれ…!

「女の子なんだから」「こうあるべき像」みたいなものを、疑いもせずに受け入れることができれば、どんなにか楽だろうと思う。

前回の「化粧と私2」を書く際に参考にさせてもらった、牧村朝子さんのいうところの「野良学者」、こういう生き方は、楽じゃない。

きっとみんなそんなに考えずに生きてるさ。面倒くさいやっちゃな〜!考えすぎだよ!と、セルフツッコミすること、いったい何度目だろう。

そもそも「女の子みたいな格好して…いや女だけど…」と自分で自分にツッコんでしまうような人間は、きっと少数派。
大半はいつの間にか化粧を覚えて、好き好んで化粧をする、はずなのだ…。
ある程度の年齢になったら、様々な規則から開放されて、むしろ「やっと自由に化粧ができる」と思うのが、「普通の女の子」のはずなのだ…。
女らしさを身にまとうことを「女装」と表現しているツイートを見て共感を覚えるのが「普通の女の子」であるはずがないのだ…。



いや。そもそもこれらは全て「普通という幻」に囚われた人間の、世迷言かもしれない。
漫画「ダルちゃん」の冒頭を思い出す。ダルちゃんよりも、もっとダルダルしていて、メイクもせず、ストッキングに足をつっこんでもいないけど「OLに擬態」をして現代社会に溶け込んでいるダルダル星人は、丸山成美さんだけではないかもね?…ほらね、あなたのすぐ隣にも。
ダルちゃん 第1話

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