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関係を維持するということについて考えてみた(後編)

(前編の続き)前編はこちら↓
https://note.com/may_eirenote/n/n3dd6706242bb?sub_rt=share_b 

友人関係と、恋愛関係は違うものだと思っていた。友人関係は、なんとなく労力を掛けずとも続くものだと。
でも、正直ここ最近よく分からなくなってきているかもしれない。

「合うところがあるから仲良くなって、友人になる、だからなんとなく続く、労力が掛からない」そう思ってた。でも、幼馴染みの友人と、うまく分かり合えなくて、現在進行形で疎遠になってしまっている。それは、とても「なんとなく合ってたけど、合わなくなったから、いいや」と言えるような、簡単に割り切れるものではなくて…。

私は、人と別れるのが苦手だし、誰かと疎遠になるということに、とてつもなく恐怖心があるのだな…と今は自認している。そういう意味では、レロさんのおっしゃることが、よく分かる。人間関係に限らず、対象物に多くを掛け過ぎる。だから、失うことで失うものが、大きすぎる。だから、失うことが怖くなる。

私は欲張りなのかもしれない、と最近は時々思う。『ユリ熊嵐』というアニメに出てきた「私は好きを諦めない」という台詞。今頃になって、よく思い出す。適当に流す、みたいなことができずに、いつまでも「想い」を引きずってしまう。

それと似たような話で、とある友人に「何事にも全力投球100%だよね」というような評を受けた。「だから時々、付き合うのが疲れる」とも…。
でも、その友人は「私がこういう人間である」ということを理解した上で、適度に、受け流してくれる。
これまで、きっと、私が嫌になったことも疲れたこともあるんだろうけれど、それでも「付き合いを続けたいと思わせるところがある」からと、率直に素直に、物を言ってくれる。

得難い人間関係だな、とつくづく思う。それと比較して「なんとなく続く友人」と思っていた、もうひとつの、幼馴染みとの友人関係を思うと、まだうまく言語化できない辛さがある。

たぶんおそらく、見ている方向性が「今は違う」だけで、またいつかは会えるのではないかという希望は持っている。

でも、今の私には、相手とどういう関係を築いていきたいのか、自分が相手とどうありたいのかが、分からない。友人関係を続けたいとは願えど、今会うのはしんどい、と思う自分もいる。何故なら、その友人と会うと、復職を急かされているような気持ちになって、落ち着かなくなるんだ…。

まずもって、こんな長文を書いて、簡単な当たり前のことを難しく考えてしまう、自分のような人間は、面倒くさい人種だな〜と、つくづく思う。「恋や愛について、そんなに深く考えてる人がどれ程いるか」とは友人の談。全くだ…。

-------以下、補足------

『ユリ熊嵐』について調べ直していたら、こんなブログ(というよりも論考と言ったほうが相応しい超大作!)を見つけた。
https://hoshihime.hatenablog.com/entry/2015/04/02/203623

なんと、昨年読んだフロムの『愛するということ』に言及してある…。アニメ視聴当時は、ほぼ内容を理解できなかったので、今こそ見返すべき時が来たのかもしれないな…。

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