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ハードルを、乗り越えない

なるほど!!そういうことね!!この記事のこの言葉を読んだら、ここ数日のモヤモヤがすごくスッキリした。『「他の人の心配をしてると気が紛れる面もあるよね」(中略)「気が紛れる」だと語弊があるけれど、「支えなきゃ」って思う対象がいると「こっちがしっかりしなきゃと」思うもの』

友人が、身内のことを1人で抱え込んでいる。どう見ても、彼女1人で対処できるような問題ではないし、彼女が主体となるべき問題でもないのに。彼女自身も今まさに問題を抱えているのに、それ以上、荷物を背負って欲しくなくて、余計なことを言ってしまった。

売り言葉に買い言葉みたいになってしまった。で、しばらく距離を置こう、ということになった。

思えば、私だって他人のことを言えた立場じゃないのだ。復職にむけて頑張ろうとしている時に、他人の問題に首を突っ込んでいる場合じゃない。それでも…直感的に、このまま行ったら、彼女もまた、どうにもならないところまで行ってしまいそうなのが怖くて。私と同じ目に、遭って欲しくなくて。身体が物理的に止めない限り動き続ける、なんてことになって欲しくなくて。だから、つい、言ってしまった。

休む前の私もそうだった。目標とするハードルが高すぎるということに気がついてなかった。自分の能力以上、心のエネルギー以上の生き方をしていた、ということに気がついていなかった。「私はそんなに優秀じゃない。能力なんてない。」自分で自分にそう言い聞かせながら。「出来が悪いから他の人よりも頑張らなきゃいけない」「これだから障害がある人なんて雇うもんじゃない、と思われないようにキチンと振る舞わなくちゃ!」

それで…約8年?べつに四六時中、常にそう思ってきたわけでもないけれど、でも、ずっと自分で自分に鞭打ちながら、高い高いハードルに向かって飛ぼうとし続けてきた気がする。休職してみて、やっと気がついた。気がつけた。

今の彼女には、「私がしっかりしなきゃ、私が支えなきゃ、と思うこと」が、心の支えなのかもしれない。それでも。それでもいつか、彼女自身が自分で自分の高すぎるハードルに気がついて、苦しいことを手放せるように、私は願ってやまない。(おそらく彼女には公的な福祉が機能してくれることを信じて…本当に1人じゃないことを信じて、とりあえず私は距離をとっておこう)

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