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「弱み」というものについて考えてみた話

知人がパラに出場したので初戦を観戦した。
結果は、残念でした…!
いや、でも、あんな楽しそうな顔を見れたら、もう、見てるこっちとしては充分だ、って思っちゃった。そりゃ結果も大事、本人は悔しいかもしれないけど。それに、まだ次の第2戦目があるし。
でも「自分にとって楽しいこと」を全力でやる姿を見せてもらったから、第三者としては、もう充分満足、っていうか。


パラ卓球の解説の人が、良いことを言っていた。(要旨)
パラの面白いところは、オリンピックと違ってあくまで無理をしないこと。そして、弱点を認め合い、弱点を攻めることこそが、相手への最大のリスペクト。(つまり、お互い弱点をカバーするために鍛えあげてくるわけだね)

ある意味での無理をした先にある、身体の限界を超えた「超人的な努力の結果」を見せてもらえるのが五輪だとするのならば、パラは、全然違う世界観なんだな、と。
1人1人違う、社会的にもスポーツ的にも「弱み」とされる部分を、選手がどう工夫してカバーして戦い抜いているかを見られる世界大会、なんだなって。

そう考えるとこれって、パラリンピックとかスポーツとかに限らず「弱点をどうカバーするか」が、その人の人生の見どころであり、見せどころなのかもしれない…、なんてことも思ったりした。誰しも、得意不得意はあるわけで。得意なことは、そう苦労せずにできてしまったりもする。でも、その得意分野を磨こうとしたら、弱点と向き合うことは避けられない。不得意な分野なら、もっと向き合うことは難しい。なんなら、マイナスからのスタートだったりする。

失敗やミスや弱点って「良くないもの」というのが世間一般の常識。そうなんだけど、でも、「弱点にどう対処していくか」こそが、実はその人らしさなのかな。例えば、失敗は成功のもとという諺がある。人間という生き物にとっての成功を「生き延びること」と定義すれば、失敗は、生き延びることのもと(糧)になるのかもしれない。学びになるのかもしれない。

…な~んて言いつつ、実は今日、かなり生きていく自信を失いかけてたんだけど。(前記事を参照)

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